本郷新

没年月日:1980/02/13
分野:, (彫)

新制作協会の彫刻家本郷新は、2月13日午後5時40分肺ガンのため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年74。1905(明治38)年12月9日札幌市に生まれ、28年東京高等工芸学校彫刻科を卒業、同年の第3回国画展(彫刻部第1回)に「女の顔」が初入選した。この頃から高村光太郎に師事するとともに、ロダンやブールデルの影響を受けた作品を制作し、31年の第6回国画展で国画奨学賞を受賞した。39年6月国画会を脱退した舟越保武佐藤忠良柳原義達らとともに新制作協会彫刻部を創設し、中心的メンバーとして活動を続ける。44年には「援護の手(母子像)」で野間美術賞受賞、翌45年終戦直後の10月に日本美術会創設に参加した。戦後もヒューマニズムに貫かれたモニュメンタルな作品を多く手がけ、戦没学生の苦悩を表現し日本平和文化賞を受けた「わだつみのこえ」(50~52年、立命館大学)、樺太引揚者記念碑「氷雪の門」(稚内市)、北海道開拓百年記念「風雪の群像」(旭川市)、広島市平和公園の「嵐の中の母子像」、冬季オリンピック記念碑「雪華の舞」、鹿児島国体シンボルモニュメント「太陽の讃歌」、大阪市シンボルモニュメント「緑の讃歌」など、豊かな表現力に溢れている。また、59年から68年まで高村光太郎賞選考委員、70年から79年まで中原悌二郎賞、73年から75年まで彫刻の森美術館大賞の選考委員をそれぞれつとめた。79年札幌宮の森にあるアトリエと敷地、彼自身の作品及びピカソ、三岸好太郎などのコレクションを札幌市に寄贈し、同年勲三等瑞宝章を受章している。主な作品は上記モニュマンのほか「泉の像」「哭」「石川啄木像」「牧歌」など。
略年譜
1905年 12月 9日 札幌に生まれる。
1928年 東京高等工芸学校(現千葉大)彫刻科を卒業。国画創作協会第3回展(彫刻部第1回展)に「女の顔」初入選。この頃より高村光太郎に師事。
1929年 恵泉女学園教師となる。
            国画会第4回展「女の首」「Y氏の像」
            この頃より、奈良・京都に仏像研究のため毎年出かける。
1930年 同第5回展「男の首」「朝鮮の女」
            ロダン、ブールデル、マイヨールなどの彫刻に刺激される。
1931年 同第6回展「男の習作」「山内氏像」「メノコの顔」「男の首」 国画奨学賞受賞
1932年 同第7回展「「花と虫」の虫」「浩子像」「温子像」
1933年 国画会第8回展「裸婦座像」「婦人像」会友に推挙される。
1934年 同第9回展「男の習作」「女の習作」
            この頃より大作に取り組み始める。
1935年 同第10回展「女の首」「子供の首」「男A」「男B」
1936年 同第11回展「生誕」「母子」「悦子嬢胸像」
1937年 同第12回展「提琴家千葉氏像」「翁像」
1938年 同第13回展「母子像」「精A」「精B」「精C」「攻勢と守勢」「像を持つ」試作「冬に寄す」オリンピック記念像
1939年 同第14回展「女の首」「男の首」「赤十字記念像白妙」
            6月 吉田芳夫山内壮夫柳原義達舟越保武佐藤忠良明田川孝らとともに国画会彫刻部を脱退し新制作派協会彫刻部を創設。
            新制作派協会第4回展(彫刻部第1回)「氷雪」(ホロカメトック遭難記念碑)
1940年 新制作派協会第5回展「藤島先生の像」
1941年 同6回展「青年座像」「S嬢」「端座」
1942年 同7回展「古老」
            『彫刻の美』(富山房)出版
1943年 同8回展「老人」
1944年 「援護の手(母子像)」野間美術賞受賞。
            戦火のため秋より唐招提寺にこもり、鑑真和上像の模刻に専念。
1945年 10月 日本美術会創設に参加、美術研究所「ユマニテ」をつくる。
1946年 新制作派協会第10回展「婦人像」
1947年 同第11回展「湖」「泉」「青年の首」「女の首」
1948年 同第12回展「青年」「南欧の人」
1949年 同第13回展「夜明け前」(自由独立平和記念碑の一部)
1950年 同第14回展戦没学生記念像「わだつみのこえ」
1951年 同第15回展「塔(わだつみのこえ2)」
1952年 同第16回展「わだつみのこえ3」、東欧・ソ連を歴訪する。
1953年 同第17回展「母と子と」
                        日本平和文化賞受賞。
            「わだつみのこえ」立命館大学校庭に建つ。
1954年 同第18回展「平和とパンとバラと子供たちの笑いのために-ローゼンバーグの夫妻に棒ぐ-」
1955年 同第19回展「駄々っ子」
            第3回日本国際美術展「女座像」「女立像」
1956年 新制作第20回展「穹」「食む」「腕をくむ女」
            アジア・アフリカを歴訪。
1957年 新制作第21回展「かがむ」「砂」
            第4回日本国際美術展「堰」
1958年 新制作第22回展「裸婦」「里女」「摩周の舞」
            札幌市の市民広場に「泉」を建てる。
1959年 同第23回展「裸婦」
            第5回日本国際美術展「哭く」優秀賞受賞。函館市大森浜に「石川啄木像」、札幌駅前に「牧歌」を建てる。
            高村光太郎賞選考委員となる。(43年まで)
1960年 新制作第24回展「少年(石)」
            広島市平和公園に「嵐の中の母子像」を建てる。
1961年 新制作第25回展「飛天」「石の首」
            第6回日本国際美術展「母子像」
1962年 札幌で個展開催。
            新制作第26回展「鳥を抱く女」
1963年 同第27回展「氷雪(樺太慰霊碑の一部)」
            樺太引揚者のための記念碑「氷雪の門」を稚内市公園内に建てる。
第7回日本国際美術展「鳥の碑」
            国際近代彫刻シンポジウムに参加。
1964年 新制作第28回展「S夫人像」
1965年 同第29回展「北洋の男(ある文学碑の一部)」
            第8回日本国際美術展「馬の首」
            小樽市春香町の山麓にアトリエを建て、テラコッタ作りを始める。
1966年 新制作第30回展「ヤン衆」
            国際現代彫刻展(ロダン美術館主催)「鳥を抱く女」
            開拓者総合慰霊碑「太陽の手」を釧路市白糠町に建てる。
1967年 新制作第31回展「原生の譜」
            第9回日本国際美術展「少年の壁」
1968年 新制作第32回展「不死鳥」
1969年 同第33回展「火と土のまつり」
1970年 同第34回展「無辜の郡1-10」「砂」
            中原悌二郎賞選考委員となる。(53年まで)
            北海道開拓記念碑「風雪の群像」を旭川市常盤公園に建てる。
1971年 新制作第35回展「花束(南)(北)」(橋のための彫刻)
            冬季オリンピック記念碑「雪華の舞」を札幌市真駒内に建てる。
1972年 新制作第36回展「太陽の讃歌」(国体シンボルモニュメント)同年鹿児島市鴨池運動公園に建てられる。
1973年 同第37回展「沖の人」「ふたり」
            彫刻の森美術館大賞選考委員となる。(50年まで)
            大阪市シンボルモニュマン「緑の讃歌」を中之島公園に建てる。
1974年 モニュマン「緑の環」三基を苫小牧市周辺に建てる。
1975年 新制作第39回展「孤愁の友」「H嬢」
            東京日本橋高島屋と札幌で本郷新彫刻五十年展開催。
1976年 新制作第40回展「天の扉」
            北海道新聞文化賞受賞。
1977年 新制作第41回展「オホーツク海」
1978年 新制作第42回展「顔のない母子像」
            北海道文化賞受賞
1979年 新制作第43回展「鳥の碑」
            札幌宮の森のアトリエを札幌市に寄贈。
            勲三等瑞宝章を受章。

出 典:『日本美術年鑑』昭和56年版(243-244頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「本郷新」『日本美術年鑑』昭和56年版(243-244頁)
例)「本郷新 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9954.html(閲覧日 2024-04-24)

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