服部亮英
光風会会員服部亮英は、肝臓癌のため東京都大田区の自宅で死去した。享年68。明治20年9月16日三重県河芸郡に生れた。大正3年東京美術学校西洋画科を卒業、同5年から7年まで東京日日新聞、同8年から9年までやまと新聞及び新愛知新聞、同10年から12年まで東京朝日新聞に、それぞれ漫画家として在社した。大正14年帝展に初入選し、爾来毎年入選して無鑑査となつた。昭和3年光風会会員となり、この年春シベリア経由渡欧、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、イギリスを巡遊し、同4年帰国した。この間、サロン・ドウトンヌに出品した。同8年中国に遊び、さらに同11年から14年にわたつて北京美術学校に在職した。
出 典:『日本美術年鑑』昭和31年版(154頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「服部亮英」『日本美術年鑑』昭和31年版(154頁)
例)「服部亮英 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8912.html(閲覧日 2024-11-03)
例)「服部亮英」『日本美術年鑑』昭和31年版(154頁)
例)「服部亮英 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8912.html(閲覧日 2024-11-03)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1953年11月 川合玉堂寄附資金による文部省買上作品決まる
- 1938年11月 服部亮英北京美術学校長となる
- 1939年10月 興亜美術展覧会開設
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016