竹内栖鳳
明治大正昭和三代の画界に独歩の境地を礎き、大なる足跡を残した帝室技芸員帝国芸術院会員竹内栖鳳は、神奈川県湯河原天野屋旅館別荘で病気療養中のところ肺炎のため8月23日午前6時40分死去した。享年79。同月27日洛東黒谷本房に於て葬儀執行され、畏き辺りでは幣帛並に祭粢料を御下賜、また久迩宮家より御菓子を賜り、葬儀委員長西山翠嶂をはじめ全画壇をあげての会葬があつた。同日特旨を以て位1級を進められ正4位に叙せられた。栖鳳本名は恒吉、元治元年11月22日京都の料理屋「亀政」こと竹内政七の長男として生れ、14歳のとき土田英林の門に入り、18歳に至つて幸野楳嶺に師事した。明治16年より京都府画学校に出仕、爾来京都新興画壇の先頭に立つて活躍、明治33、4年外遊後、棲鳳を栖鳳と改めた。この頃より次第に軽妙斬新な独自の写生画風をなし「獅子」「和蘭の春・伊太利の秋」「古都の秋」「羅馬古城跡真景」「蕭条」等の習作を相次いで発表、明治40年文展開設と同時にその審査員に選ばれ、42年には京都絵専教授、大正2年早くも帝室技芸員を仰付けられた。文展開始以来次々と問題作を出陳、大正9、10年には渡支して画嚢を肥し、大正11年日仏交換展には「蘇州の雨」を出品して、12年仏国サロン会員に推薦された。昭和6年病んで後は湯河原に定住、悠々自適しつつ、一層画道に精進し愈々画境を洗煉した。この間帝国美術院、帝国芸術院の創立と共にその会員となり、昭和12年4月には初の文化勲章を拝受した。記憶される作は数多いが、初期文展時代には「雨霽」「飼われたる猿と兎」「絵になる最初」「日稼」「河口」帝展時代に入つて「蘇州の雨」「鯖」「蹴合」昭和期には「潮来出島」「蛙と蜻蛉」「夏鹿」「若き家鴨」等々がある。本年に入つて「海幸」の如き優作あり、7月完成の陸軍省依囑による「宮城を拝して」が絶作となつた。
略年譜
元治元年 11月22日京都市にて出生、父竹内政七
明治9年(13歳) 11月より同12年(16歳)12月迄吉田勘介に就て漢籍を学ぶ
明治10年(14歳) 土田英林に師事し画学修行を初む、5月17日母きぬ死去(49歳)
明治14年(18歳) 秋、幸野楳嶺の門に入る
明治15年(19歳) 私塾工芸長に任ぜらる、10月第1回内国絵画共進会「雁に双鶴」「瀑布」
明治16年(20歳) 3月京都府画学校に出仕を命ぜらる
明治17年(21歳) 第2回絵画共進会「山水」「花鳥」褒状、巴里日本美術縦覧会「月下桜樹図」
明治18年(22歳) 3月乃至5月東本願寺光勝法主巡錫随行の楳嶺に随ひ東京経由北越地方旅行
明治19年(23歳) 6月フエノロサの美術講演を聴く、9月京都青年絵画研究会「藤房遁世」2等石印
明治20年(24歳) 4月新古美術会「池塘浪静図」、8月開業、高山奈美と結婚
明治21年(25歳) 新古美術品蒐集会「看花美人図」
明治22年(26歳) 2月より高島屋に勤務
明治23年(27歳) 1月逸三出生、4月京都美術博覧会「寒林鳴鹿」3等、5月第3回内国勧業博覧会「枯木寒鴉図」褒状、10月日本美術協会第3回展「保津川秋靄」銅牌
明治24年(28歳) 1月京都青年画家懇親会に議長となり共進会開催の件を決議、4月京都市工業物産会「田家急雨」3等8席、5月日本青年絵画共進会審査員「秋渓遊鹿」出品1等1席、同高島屋帛紗図案「古代文具図」3等入賞
明治25年(29歳) 2月9日父政七死去(65歳)、4月京都博覧会「猫児負喧」3等
明治26年(30.歳) 米国市俄古閣龍博覧会「秋渓遊猿」受賞、6月園出生、9月楳嶺帝室技芸員被仰付、10月2日門生発企にて祝宴、10月日本美術協会第5回展「秋景暮雨」
明治27年(31歳) 4月京都美術工芸品展「平軍驚禽声逃亡図」2等2席、7月10日如雲社革新小数幹部制を多数委員制に改め委員に挙げられる、9月-12月東本願寺須弥壇揮毫の楳嶺の助手となる、10月日本美術協会第7回展「漁村夕照」3等
明治28年(32歳) 2月2日幸野楳嶺逝去、2月広島大本営御慰献画帳「一路功名」、4月京都美術協会春季陳列会「南泉斬猫」、同京都青年絵画共進会審査員「山村晩帰」1等1席、5月1日京都市美術工芸学校教諭、5月第4回内国勧業博覧会「松間纎月」3等、10月日本美術協会「霜樹秋水」3等、12月如雲社を後素協会と改名、委員となる
明治29年(33歳) 4月日本絵画共進会(大阪)審査員「炭竃」2等1席、6月京都奠都一千年記念博覧会協賛会屏風揮毫、10月日本美術協会「山水」、同日本絵画協会第1回展「秋夕」銅牌5席(鴫立沢の西行法師)
明治30年(34歳) 1月ヴエニス万国博覧会「竹下激湍」、4月日本絵画協会「廃園春色」銀牌3席、同第1回全国絵画共進会(後素協会主催)「凉蔭放収」2等2席、9月日本絵画協会「枯野の狐」銅牌5席、10月日本美術協会「孤猿待月」
明治31年(35歳) 4月新古美術品展鑑査委員「田舎風光」、10月日本美術院第1回展「春郊細雨」
明治32年(36歳) 10月日本美術院展「十二ヶ月」銀牌5席
明治33年(37歳) 4月巴里万国博「雪中燥雀」銅牌、5月百双画会締切、8月渡欧、フランス、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、イタリヤ等巡遊5ヶ月
明治34年(38歳) 2月帰朝、3月京都美術協会例会に「西洋美術巡遊見聞談」講演、4月新古美術品展覧会審査員「獅子」(六曲一双)出品1等金牌、棲鳳を栖鳳と改む
明治35年(39歳) 4月新古美術品展「和蘭の春・伊太利の秋」六曲一双、4月日本美術院「古都の秋」銀牌7席
明治36年(40歳) 4月叙正8位、5月第5回内国勧業博覧会審査員「羅馬古城趾真景」協賛賞
明治37年(41歳) 2月1日楳嶺10周年祭執行追悼展「蕭条」六曲一双、「ヴエニスの月」高島屋依囑にて天鵞絨友染下図として揮毫、完成品は43年春第10回関西府県聯合共進会に出品、6月後素協会頒布画陳列会「印度奇果」
明治38年(42歳) 1月楳嶺門凌雲会より月刊美術雑誌「画林」第1号発行以後続刊15号迄発行、4月新古美術品展「雪の加茂川」11月京都美術工芸学校々友会大会参考品部に長幅「ライオン」出品、同竹杖会内水曜会第1回大会開催以後毎秋第3回迄、機関雑誌「黎明」第1号発刊以後続刊5号迄発行
明治39年(43歳) 2月6日姉こと死去(53歳)
明治40年(44歳) 4月新古美術品展「宿霧」屏風、10月文展審査員「雨霽」
明治41年(45歳) 10月文展審査員「飼はれたる猿と兎」
明治42年(46歳) 2月10日叙従7位、4月京都絵画専門学校教諭、5月美術工芸学校講演会「獅子の作品に就いて」、10月文展審査員「あれ夕立に」、此年大原三千院本堂襖絵揮毫
明治43年(47歳) 6月文展審査員被仰付、9月東本願寺山門天井絵「天女舞楽の図」下図提出、此年京都市上京区役所に「熊図」揮毫
明治44年(48歳) 7月叙正7位、10月文展審査員「雨」、此年嵯峨別荘成る
大正元年(49歳) 6月文展審査員、11月大阪高島屋展「群鴉」四曲一双
大正2年(50歳) 10月文展審査員「絵になる最初」、12月18日帝室技芸員被仰付
大正3年(51歳) 御大典御用主斎田風俗絵軟障揮毫、8月文展審査員、大阪高島屋展「芳野山」
大正5年(53歳) 東京高島屋伝馬町店開店記念展「紅葉に鹿」
大正6年(54歳) 10月文展審査員「日稼」
大正7年(55歳) 1月国画創作協会組織、顧問となる、4月22日叙勲六等授瑞宝章、9月10日叙従6位、10月文展審査員「河口」
大正8年(56歳) 9月帝国美術院創設会員被仰付
大正9年(57歳) 4月渡支上海、蘇州、杭州、南京、漢江、鄭州、北京、朝鮮経由、7月帰洛、10月帝展「薫風行吟」「槐下博戯」
大正10年(58歳) 4月渡支上海、蘇州、鎮江、楊洲、南京、九江、盧山、南京、済南、天津、北京、八逹嶺、張河口、大同、北京、京城経由、7月帰洛、9月30日叙正六位
大正11年(59歳) 日仏交換展「蘇州の雨」、リユクサンブール美術館買上、7月31日叙従5位
大正12年(60歳) 3月大阪高島屋展「駅路」、7月聖徳記念絵画館壁画調製委員、10月大毎東日主催日本美術展「黄河々畔」
大正13年(61歳) 摂政宮御成婚京都府献上屏風「和暖」、東宮御所献上画「春の海」、2月1日大毎附録「富貴くさ」、5月31日附京都絵画専門学校教授被免、11月19日附仏国勲章シユバリエ・ド・ラ・レジヨンドノールを贈らる、11月淡交会第1回展「城趾」「斑猫」
大正14年(62歳) 1月8日竹杖会主催仏国勲章拝受祝賀会開催、夏来沼津滞在、7月大阪高島屋「富岳」、10月帝展「鯖」、11月25日附叙勲5等授宝瑞宝章、11月淡交会第2回展「鳶」「海」
大正15年(63歳) 1月大阪高島屋「富塘飛雪」、4月聖徳太子奉賛展「蹴合」、御用画「小春」「収穫」春秋双幅、10月帝展「南清風物」11月淡交会第3回展「松魚」「宿鴨宿鴉」
昭和2年(64歳) 5月久迩宮殿下嵯峨別荘御成、東亜博「蘇州山水」、11月淡交会第4回展「秋興」「水郷」
昭和3年(65歳) 1月「瑞鳥」大毎附録絵葉書版色刷発行、春撰美堂二曲屏風「狐」「おぼろ月」、夏渋沢男委嘱六曲一双「老柳に鳶」、秋御大典京都府献上六曲屏風「虎」
昭和4年(66歳) 3月淡交会第5回展「蜆籠」「白菜」、夏御池より高台寺邸に移る、秋肺炎臥床
昭和5年(67歳) 日独展「千代田城」「魚菜」、6月淡交会第六回展「虎」「潮来出島」「炎暑」10月帝展「秋」(潮来風景)、帝展出品拒絶問題曲折の後東上審査終了後暫く伊豆伊東に滞在、11月東京三越邦画展「朧月」「笹」、同24日久迩宮同大妃両殿下高台寺邸御成、支那石仏御観覧、翌日知己に公開
昭和6年(68歳) 2月上旬以来歯痛・レウマチス・胃疾・感冒連続、3月下旬肺炎併発、一時重態に陥りしも恢腹病後湯河原に赴く、5月2日匈牙利最高美術賞を贈らる、8月米国トレド日本画展「炎暑」、11月1日文展開設25周年記念式に際し美術功労者として金杯1個を下賜せらる
昭和7年(69歳) 4月31日湯河原より帰洛、6月1日湯河原へ赴く、10月独逸1等赤十字章受
昭和8年(70歳) 3月東京高島屋新築展「夕月」「海日」、3月独逸政府よりゲーテ名誉賞を贈らる、同淡交会第7回「春」「晩鴉」「目ざし」、5月3日湯河原より帰洛、11月東京高島屋展「柿に小禽」、11月24日画塾竹杖会解散式挙行、12月東京三越展「揚雲雀」
昭和9年(71歳) 1月5日湯河原へ赴く、3月東京高島屋展「魚菜」4月東本願寺壁貼り「風竹野雀」「老柳眠鷺」「喜雀」、5月京都市美術館新築記念展「水村」、高島屋展「初夏」、6月淡交会第8回展「松上白鷺」「家兎」「花に蔵」、蝸牛会「麦秋」、多聞洞展「青たゝみ」、8月満洲国皇帝陛下献上画「山寺鐘声」(水墨)、10月帝展「蛙と蜻蛉」、11月1日湯河原より帰洛、同東京高島屋展「山村秋暮」、12月東京三越春掛店「春暁」(桜木兎図)「松竹梅」(三幅対大観玉堂連作)、大阪高島屋展「春の海」
昭和10年(72歳) 3月春虹会第1回展「炉辺」、4月大阪高島屋展「春の富士」、5月淡交会第9回展「支那風光図絵」紙本12幅、同満洲国皇帝より銀花瓶下賜さる、7月15日湯河原へ、7月五葉会「驟雨一過」、9月東京三越新築記念展大観玉堂雪月花三幅対、11月東京高島屋展「水風静」、12月三越日本画展「竹落葉」
昭和11年(73歳) 1月1日以降朝日新聞「栖鳳芸談」、1月31日報知新聞「新帝展に対する意見」発表、5月16日平生文相に建白書提出、6月4日文相官邸会員懇談会出席、6月7日土田麦僊危篤見舞の為め帰洛、7月五葉会「兎」、9月11日文展審査員選定会議の為東上、10月京都市中京区役所大広間額面「老松図」、同新文展「夏鹿」、11月高島屋「秋興」、12月京都大丸「柿」、丸物「柿」、九品庵「魚介」、東京三越「渋柿」、「草相撲」、東京会「満林秋色」、多聞洞「鮮魚」、尚美堂「秋晴」、同月「栖鳳閑話」発行
昭和12年(74歳) 2月11日文化勲章授与発令、3月倫敦大使館「水村過雨」、春虹会「堅魚」、大阪松坂屋春風会「鮮魚」、4月28日文化勲章授与拝受、5月春芳堂展「国瑞」、黒光堂「南国初夏」(南京城外)、6月選美堂「巣立」、7月15日文化勲章拝受報告の為め帰洛、8月18日湯河原へ、10月文展「若き家鴨」、11月国民精神総動員運動ポスター「若鷹旭日」、東京会「朝寒」、12月九品庵「鯖」、選美堂「鯵」、京大丸「万歳」、東京高島屋「秋の一日」、三越「長江盛夏」
昭和13年(75歳) 3月春虹会「憩へる水車」、5月京都美術倶楽部30周年記念茶会「柳蔭雑居」、6月本山竹荘還暦記念展「初夏」、墨光堂「新凉」、8月西村五雲葬儀の為め帰洛、12月高島屋「錦鯉」、洛秀舎「兎」、同7日湯河原へ
昭和14年(76歳) 4月美の国15周年展「鯵」、研?会「かれひ」、梅軒展「野月」、5月大阪高島屋店舗統合展「海幸」、扶桑会「鯖」、崑山堂展「五月晴」、凌雲会「伊豆清光」、6月7日潮来出島水神森来遊碑除幕式、8月世界一周機日本号の為めに「菊」、12月高島屋「老梅」、東京会「渋柿」、三越「池畔」
昭和15年(77歳) 春来喜寿自祝の扇面「?」図を描き自作の句を添へ知久へ配る、2月春芳堂展「二龍争珠」、3月春虹会「城外霞色」、九品庵「春の潮」、4月大毎東日奉祝展「艶陽」(豆の花に蛇)、6月京都大丸「家鴨の仔」、選美堂「家鴨」、7月祇園会孟相山見送り「孟相竹」、10月2日京都絵専美工校庭楳嶺翁建碑除幕式、10月皇紀二千六百年奉祝展「雄風」、11月雑誌「塔影」喜寿記念号発行、同22日陸海軍部へ各一万円献納、12月大阪朝日ビル美術部開設展「暖冬」
昭和16年(78歳) 1月元旦竹杖会より寿像贈呈、「楳嶺遺墨」刊行、2-3月風邪、4月春虹会「田植時」、5月上野松坂屋現代巨匠展「慈母」、6月汪主席「江南風光」贈呈、9月仏印巡回展「厨の秋」、12月三越展「しぐるゝ池」、東京高島屋展「柳蔭古寺」
昭和17年(79歳) 2月11日陸海軍部へ各壱万円献納、2月新嘉坡陥落記念挿絵東京日々新聞、3月日本画家報国会献納画展「海幸」「春雪」、4月三笠宮殿下御結婚記念として京都府よりの献上画揮毫「海幸山幸」、6月陸軍省依嘱「宮城を拝して」完成、8月23日午前6時45分客舎湯河原にて逝去、戒名霊山院瑞誉栖鳳居士、特旨を以て位1級を進められ正4位に叙せらる、同27日午後1時洛東黒谷金戒光明寺本房にて葬儀執行。
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「竹内栖鳳」『日本美術年鑑』昭和18年版(78-81頁)
例)「竹内栖鳳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8592.html(閲覧日 2024-09-20)
以下のデータベースにも「竹内栖鳳」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1936年01月 竹内栖鳳の再改組意見
- 1936年02月 京都画壇の帝展不出品運動
- 1936年04月 帝院第一部三会員協議
- 1936年05月 帝院第一部四会員意見書提出
- 1936年05月 竹内栖鳳意見書提出
- 1936年05月 京都三会員意見書提出
- 1936年06月 京都日本画家意見書提出
- 1936年06月 帝院第一部残留会員文相案支持
- 1937年02月 落款請求の訴訟
- 1937年03月 落款請求の訴訟
- 1937年04月 文化勲章授与
- 1937年10月 国民精神総動員ポスター製作
- 1940年10月 幸野楳嶺胸像除幕式
- 1940年11月 竹内栖鳳喜嘉記念の献金
- 1940年11月 海軍恤兵絵葉書完成
- 1941年04月 日本画家連盟結成
- 1941年12月 野間美術賞の設定
- 1942年02月 竹内栖鳳献金
- 1943年08月 竹内栖鳳一周忌法要
- 1944年08月 竹内栖鳳三周忌
- 1970年03月 国宝重要文化財指定
- 1989年02月 昭和63年度芸術選奨
- ■物故者記事
- 倉田公裕 内山武夫 田中日佐夫 關千代 中村傳三郎 広田多津 吉岡堅二 加藤一雄 宇田荻邨 山口華楊 浜田観 梶原緋佐子 池田遥邨 鎌倉芳太郎 萩谷巌 中田晃陽 小野竹喬 小林和作 東原方僊 徳岡神泉 青木生冲 福田平八郎 金島桂華 中井宗太郎 榊原苔山 安井曽太郎 西山翠嶂 川合玉堂 三木翠山 田畑喜八〔3代目〕 上村松園 石崎光瑤 飛田周山 橋本関雪 建畠大夢 加藤英舟 西村五雲 土田麦僊
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1883(明治16) 明治一五年絵画共進会出品画家々名一覧_806931
- 1891(明治24) 現在今世名家書画一覧_806916
- 1892(明治25) 古今名家新撰書画一覧_806921
- 1897(明治30) 古今名家印譜古今美術家鑑書画名家一覧_807171
- 1902(明治35) 古今名家新撰書画一覧_806926
- 1902(明治35) 大日本絵画著名大見立_807031
- 1908(明治41) 日本書画名覧_807166
- 1909(明治42) 日本書画評価表_807001
- 1911(明治44) 増補古今書画名家一覧_807111
- 1913(大正2) 大日本絵画著名大見立_807036
- 1913(大正2) 日本書画評価一覧_807041
- 1916(大正5) 大正五年度帝国絵画番附_807051
- 1919(大正8) 大正八年度帝国絵画番附_807061
- 1920(大正9) 大正九年度帝国絵画番附_807066
- 1921(大正10) 大正十年帝国絵画番付_807076
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1926(大正15) 大正十五年版 東洋画家名鑑_807026
- 1927(昭和2) 増補古今書画名家一覧_807121
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
- ■『美術画報』所載図版データベース(21件中ランダムで5件表示しています)
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