内山武夫

没年月日:2014/04/05
分野:, (学)
読み:うちやまたけお

 元京都国立近代美術館長で美術史研究者の内山武夫は、4月5日胃がんのため京都市の自宅にて死去した。享年74。生前から同人は、西行法師の「ねがわくは 花のしたにて 春しなん そのきさらぎの もちつきのころ」という歌のように逝けたらと話しており、その最後は静かで穏やかであったそうである。また、内山は草花を好み、植物について高い見識を持っており、絵の中や工芸品に描かれている花について美術館のスタッフに詳細に説明することも度々であった。
 1940(昭和15)年4月4日に兵庫県伊丹市に生まれる。56年4月私立灘高等学校に入学し、59年卒業後、同年、京都大学文学部哲学科に入学する。63年3月京都大学文学部哲学科を卒業し、同年4月、京都大学大学院文学研究科修士課程に入学、65年3月京都大学大学院文学研究科修士課程を修了し、同年4月1日に国立近代美術館京都分館に研究員として採用された。67年6月に京都分館が独立して京都国立近代美術館となったことにともない、同館に転任となり、75年7月1日に主任研究官に昇任、81年8月1日には学芸課長に昇任した。1994(平成6)年10月16日には、東京国立近代美術館次長に昇任した。また、98年4月1日には、京都国立近代美術館長に昇任し、2001年4月には、美術館の法人化にともない独立行政法人国立美術館の理事に就任、併せて京都国立近代美術館長を兼務し、05年3月31日に任期満了により退職した。
 この間、内山は、文化功労者選考審査会委員、文化財保護審議会専門委員、文化審議会(文化財分科会)専門委員、京都美術文化賞選考委員などの委員として幅広く活躍する一方、京都国立博物館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館の評議員を兼務するほか、公私立美術館の各種委員として美術館の設立、運営等について適切な指導と助言を行い、40年の永きにわたって、高邁な人格と熱意をもってその重責を全うし、我が国の文化行政・教育研究の推進に貢献した。
 内山は、65年国立近代美術館京都分館に研究員として採用されてから約40年、我が国近現代美術と工芸の紹介と発展に尽力し、開館以来継続して開催してきた、「現代美術の動向」展や近代日本画展、近代工芸展に力を注いだ。さらに71年に開催した「染織の新世代展」をはじめ染織や陶芸の新しい動向を紹介する展覧会を数多く開催し盟友の森口邦彦(重要無形文化財保持者)とは工芸の発展に力を注いだ。また、74年9月29日から11月28日の間、文部省在外研究員として「博物館学の研究および欧米における近代美術収集状況の調査」のためアメリカ合衆国、カナダ、連合王国、スペイン、フランス、オランダ、ドイツ連邦共和国、イタリア、ギリシャへ行った。この在外研修は、京都国立近代美術館の後の展覧会に繋がった。81年学芸課長に昇任後は、学芸課の総括として、様々な事業を指揮し運営に力を注いだ。特に、86年10月には新館開館記念特別展「京都の日本画1919―1930」では、展覧会開催の中心的役割を果たし、無事新館を開館させた。物産陳列館として建てられ、京都市から移管された建物の施設・設備の不適正と老朽化から、同館が抱えていた課題である館建物の新営計画には同館学芸課長として積極的に取り組んだ。
 86年10月には新館開館を控えて、京セラ株式会社から米国シカゴ在住のアーノルド・ギルバート夫妻の蒐集した近代の写真作品1000余点の寄贈を受けるために館長とともに尽力し、翌年にはその主要作品を紹介する「館コレクションから選んだ写真―近代の視覚・100年の展開―」展を開催して、我が国の美術館における写真蒐集の先鞭を付けた。91年には、京都国立近代美術館の事業を支援する「財団法人堂本印象記念近代美術振興財団」の設立にともない評議員、さらに理事となり、国立美術館に対する支援財団の設立に尽力するとともに、新しい時代に対応する柔軟な美術館運営の道を提示した。また、87年には開館時間を30分繰り上げ、翌年には春から秋までの毎週金曜日を夜間開館として午後8時まで開館時間を延長するなど、観覧者の便宜を考慮して時代のニーズに対応し、館長を補佐し、学芸課長として美術の普及活動に積極的に取り組み、現代の美術館活動の基盤を作り上げた。
 94年、東京国立近代美術館次長に昇任した内山は、東京国立近代美術館の総括として館長を補佐し、我が国の美術行政に携わり、日本の美術振興に寄与した。97年に開催した「土田麦僊」展は、内山の長年の研究の集大成として美術の普及活動のみならず、研究活動にも大きな貢献をした。さらに、同展覧会は、京都国立近代美術館にも巡回し、展覧会の質の高さと意義が高く評価された。また、「ウィリアム・モリス 近代デザインの父」展では、英国ロンドンにあるビクトリア・アンド・アルバート美術館と連携してモリスの生誕100年を記念して、日本で始めての大規模な回顧展を京都国立近代美術館とともに開催した。
 98年4月に京都国立近代美術館長に就任してからは、同館責任者として館の発展ならびに美術の普及活動、研究活動を積極的に推進し、意欲的な展覧会を開催した。とくに「生誕110年・没後20年記念展 小野竹喬」展は、内山の生涯に渡る研究として展覧会を導き、美術の普及、研究活動に大きく貢献した。
 01年京都国立近代美術館が、独立行政法人国立美術館に統合されるに当たって、独立行政法人国立美術館の理事に就任するとともに、京都国立近代美術館長に就任し、05年任期満了のため退職した。この間、国公立の文化行政に関する委員を務め、我が国の文化行政に大きく貢献した。
 なお主な文献目録は、以下の通りである。
一、単行本
Ⅰ単著
 『日本の名画18 上村松園』(講談社、1973年)
 『日本の名画4 竹内栖鳳』(中央公論社、1977年)
 『原色現代日本の美術3 京都画壇』(小学館、1978年)
 『現代日本絵巻全集5 山元春挙、橋本関雪』(小学館、1984年)
 『現代の水墨画1 富岡鉄斎・竹内栖鳳』(講談社、1984年)
 『現代の水墨画5 村上華岳入江波光』(講談社、1984年)
 『日本画素描大観6 土田麦僊』(講談社、1985年)
 『土田麦僊画集』(毎日新聞社、1990年)
 『名画と出会う美術館8 近代の日本画』(小学館、1992年)
 『新潮日本美術文庫25 富岡鉄斎』(新潮社、1997年)
Ⅱ共著(監修含む)
 『現代日本美術全集4 村上華岳/土田麦僊』(集英社、1972年)
 『日本の名画9 鏑木清方上村松園、竹久夢二』(講談社、1977年)
 『巨匠の名画15 土田麦僊』(学習研究社、1977年)
 『カンヴァス日本の名画4 竹内栖鳳』(中央公論社、1979年)
 『現代日本画全集6 山口華楊』(集英社、1981年)
 『足立美術館』(保育社、1986年)
 『20世紀日本の美術7 村上華岳入江波光』(集英社、1987年)
 『上村松園画集』(京都新聞社、1989年)
 『高木敏子1924-1987』(八木明、1989年)
 『富本憲吉全集』(小学館、1995年)
 『小野竹喬大成』(小学館、1999年)
 『京都国立近代美術館所蔵名品集[日本画]』(光村推古書院、2002年)
 『美人画の系譜 福富太郎コレクション』(青幻社、2009年)
Ⅲ責任編集
『美しい日本 風景画全集6』(ぎょうせい、1988年)
『美しい日本 風景画全集7』(ぎょうせい、1988年)
二、図録
 「陶芸家 八木一夫」『八木一夫展』(日本経済新聞社、1981年)
 「甲の契月、乙の契月」『菊池契月展』(京都新聞社、1982年)
 「榊原紫峰の人と芸術」『榊原紫峰展』(京都新聞社、1983年)
 「京都の日本画1910-1930」『京都の日本画1910-1930』(京都国立近代美術館、1986年)
 「山口華楊の芸術」『山口華楊 六代清水六兵衛 遺作展』(朝日新聞社、1987年)
 「土田麦僊―清雅なる理想美の世界」『土田麦僊展』(日本経済新聞社、1997年)
 「小野竹喬の画業」『生誕110年・没後20年記念 小野竹喬』(毎日新聞社、1999年)
 「明治期京都画壇の伝統と西洋」『近代京都画壇と<西洋> 日本画革新の旗手たち』(京都新聞社、1999年)
 「韓国国立中央博物館の近代日本画」『韓国国立中央博物館所蔵 日本近代美術展』(朝日新聞社、2003年)
 「現代陶芸の異才―八木一夫」『没後25年 八木一夫展』(日本経済新聞社、2004年)
 「画壇の壮士 横山大観」『近代日本画壇の巨匠 横山大観』(朝日新聞社事業本部・大阪企画事業部、2004年)
三、逐次刊行物
 「上原卓論」『三彩』266号(1970年)
 「解説 土田麦僊(特集)」『三彩』307号(1973年)
 「新日本画創造の哀しく寂しい影-土田麦僊-その人と芸術」『みづゑ』822号(1973年)
 森口邦彦/内山武夫「対談 日本工芸展のこれから(特集 日本伝統工芸展50年)」『月刊文化財』481号(1993年)
 「奥田元宋画伯の障壁画」『美術の窓』170号(1997年)
 「麦僊と西洋絵画」『美術の窓』170号(1997年)
 「富岡鉄斎筆餐水喫霞図」『国華』1250号(1999年)
 梅原猛/内山武夫「対談 思い出に残る作家たち」『美術京都』40号(2008年)

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(497-499頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「内山武夫」『日本美術年鑑』平成27年版(497-499頁)
例)「内山武夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/247360.html(閲覧日 2024-04-25)

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