京都画壇の帝展不出品運動 

記事番号:00009
年月:1936年02月

京都在住日本画家の間では、旧臘東京の第一部会が新帝展反対運動を起して参加を勧誘した時にも之に応ぜず、一般に帝展出品を目指して製作中であつたが、出品搬入日の迫つた二月上旬に至り俄かに不出品の空気が起り、主要作家の大多数並に一般出品者等も申し合せて帝展出品を中止せんとするに至つた。其の動機は、予て昨年の帝国美術院改組及び新帝展に慊らぬながら、同院総会の決議を重んじて帝展参加に決し、世上再改組などの論が行はれても自重を続けてゐたものであるが最近に至つて前記の如き竹内栖鳳の意見が伝へられてから、栖鳳の系統に属する画家達の間に、恩師の意向に順応し、之を実現せんとする気運が昂じて来て、遂に動かし難き大勢を成すに至つたものである。栖鳳を主宰者とする竹杖会は全員不出品を決議し、二月八日夜には西山、西村、土田、堂本、石崎、中村の各画塾では塾員参集して協議した結果、何れも全員不出品を決するに至つた。西山翠嶂西村五雲等は帝国美術院会員の立場から極力慰留に努めたが、此の気勢を如何ともし難く、菊池契月川村曼舟の各画塾に於ても無鑑査の作家達は友情不出品の情勢となり、一旦出品の発送を托した作家も撤回を申し出るなど混雑を極めた。右に就き西山翠嶂等は九日午後四時談話の形式で左の如く声明した。 「私達は今度の新帝院改組につきましては、素より十全のものとは思つてゐませんが、所謂再改組問題につきましては当然期待を持ち但し時機としては、第一回展覧会開催後が適当かと考へてゐましたが、最近栖鳳先生の再改組に対する御意見の表示を忖度致しますとその根本意見としましては元来私達と全く同一であり要はその時機が今日であるとの御考へであります上、また私達の立場と致しましては現在の状勢に鑑みまして、この際これに対する何等かの考慮を計りたいと思つてゐる次第であります。 西山翠嶂西村五雲土田麦僊

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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