帝院第一部三会員協議 

記事番号:00033
年月:1936年04月

予てより所謂帝展不開催、或は再改組の意見を抱く帝国美術院会員松岡映丘荒木十畝両名は、四月十一日午後湯河原に竹内栖鳳を訪問し、帝展改革に関する意見を交換し、種々協議を遂げた。此の協議に先ち竹内栖鳳は再改組に対する根本的態度を明かにしたとして、四月十二日附報知新聞は左の如く伝へた。 「漫然と帝展不開催を唱へるのは破壊のための破壊で自分の取らざるところである、次の建設を目指しての破壊でなくてはならない・・・・・・いやしくも帝国美術院会員たる者が改革意見を出すからには、後進出品画家の方向を考慮してやらなくてはならぬ、単なる不開催意見、解消論であつてはならぬ、あくまで官展の機構を尊重したものでなくてはならぬ、ただこれだけのことだが、これは一歩も譲らぬ、帝展の現状ではいけないといふことについては信念を持つてゐる、事実統制のとれなかつた帝展を支持するためには横車を押しても厭はぬ会員達を反省させ、聴従させなくては止まぬものである、私の意見は『論理は穏健だが、信念は固い』のである、統制の取れない帝展を統制の取れるやうにしようといふ穏健な案を提出して、それでも文部当局や帝展支持会員連が横車を押してこの案を葬らうとするなら、その時はまた何をかいはんやである、意見の一致を見ないが故に止むなく帝展不開催、あるひは廃止となるなら、その時は現状を維持して行かうといふ会員たちに帝展滅亡の責は帰せらるべきである」云々

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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