中井宗太郎

没年月日:1966/03/16
分野:, (学)

元京都市立絵画専門学校校長、立命館大学教授の中井宗太郎は、3月16日逝去した。享年87才。明治12年(1879)9月19日、京都市下京区に生れ、生家は代々油商を営み、はじめ家業に従事したが、学業を志して上京し、中学・第四高等学校を経て、東大文学部哲学科を卒業し、明治42年京都市立絵画専門学校講師に就任、以後、昭和35年立命館大学教授を退職するまで51年のあいだ、京都にあって日本、東洋美術史研究、美術教育、美術評論に活躍した。その間には、国画創作協会による近代日本画運動に協会の鑑査顧問として参加し、特に村上華岳と深い親交関係をもち、晩年には福田平八郎と特に親しい関係にあった。また、立命館大学においては奈良本辰也、林屋辰三郎、北山茂夫らによる日本史研究会に参加、民主主義科学者協会に属した。晩年は中国文化の研究に進み、現代中国に対して深い関心を示していた。

略年譜
明治12年 9月19日、京都市に生れる。
明治38年 東京大学文学部哲学科(美学美術史専攻)に入学。
明治41年 卒業、大学院に入学。
明治42年 京都市立絵画専門学校講師となり、美術史を講義する。
大正3年 結婚。
大正7年 1月、国画創作協会発会、竹内栖鳳とともに顧問として参加。
大正8年 京都市立絵画専門学校教授に就任。
大正9年 中国各地を視察旅行し、主として竜門石窟を研究、朝鮮を経由して帰国。
大正11年 2月、ヨーロッパに留学、入江波光同道。
大正12年 英・独・仏・伊・スペインの美術を調査研究し、8月帰国。
大正14年 朝鮮美術研究のために出張。
昭和17年 京都市立絵画専門学校校長に任命される。
昭和23年 京都市立絵画専門学校教授を退職。
昭和24年 立命館大学文学部講師となり「日本史研究会」グループに参加。
昭和29年 立命館大学教授となる。
昭和35年 立命館大学教授を退職。
昭和41年 3月16日死去。
著作:一立斎広重 大正5年 浮世絵研究会。
東洲斎写楽 大正9年 浮世絵研究会。
近代芸術概論 大正11年 二松堂書店。
氷河時代とエジプト芸術 大正12年 市川美術図書出版部。
ギリシャ芸術 大正14年 市川美術図書出版部。
大同石仏について 大正14年 市川美術図書出版部。
永徳と山楽 昭和2年 中央美術社。
日本風俗画大成(桃山篇) 昭和4年 中央美術社。
日本名画譜仏画篇解説 便利堂。
司馬江漢 昭和17年 アトリエ社。
華岳作品集 昭和17年 春鳥会。
絵画論 昭和23年 日本科学社。
京都の美術教育 高桐書院。
浮世絵(岩波新書) 昭和28年 岩波書店。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(136-137頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中井宗太郎」『日本美術年鑑』昭和42年版(136-137頁)
例)「中井宗太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9242.html(閲覧日 2024-10-10)

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