中尊寺華鬘発見
1953年04月前年一〇月盗難にあつた平泉中尊寺の重要文化財華鬘四個は、二一日東京都内と花巻で、あいついで発見され、久しぶりに寺に帰ることになつた。
前年一〇月盗難にあつた平泉中尊寺の重要文化財華鬘四個は、二一日東京都内と花巻で、あいついで発見され、久しぶりに寺に帰ることになつた。
故横河民輔が収集し、東京国立博物館に寄贈した古陶磁約九五〇点のうち、中国陶磁を中心として時代別に陳列、一一日から六月三〇日まで、同館の春季特別展として公開された。
欧米の日本大使館、公使館、領事館等を日本美術で飾ろうとして外務省では日本画家に依嘱していたが、第一期として皇太子殿下の立ち寄られる道筋にあたるところに配布を急ぎ、一部作品が完成した。横山大観「東海仙山」(イギリス)、川端竜子「熊野」(アメリカ)、前田青邨「小禽」(フランス)等七三点である。
昨年より文芸家協会、日本美術家連盟、出版美術家連盟、日本著作家組合、全日本工芸美術家協会の五団体が設立準備中であつた「文芸・美術国民健康保険組合」は認可を得て二二日発会式を挙げた。理事長に丹波文雄、常務理事に伊原宇三郎、理事に鴨下晁湖、中島健蔵、山崎覚太郎を選出し、四月一日から業務を開始した。
文化財保護委員会では相つぐ国宝建造物炎上から防災事業を計画、その手始めに、東照宮、二荒山神社、輪王寺の日光二社一寺に大規模な防災工事を進め、第一期工事が大体完成した。主な施設は、自動火災警報装置、ドレンチャー装置、自家発電設備、貯水池、防火水路の増強、電動ポンプと消火栓の改修などで、工費総額五八五九万円である。
文化財保護委員会では三一日、特別史跡本居宣長旧宅など五件、特別名勝六義園など三件、史迹九件、名勝三件、天然紀念物四件、無形文化財として芸能関係四件、工芸技術六件の新指定を発表した。
文化財保護委員会では二七日、国宝一〇九件、重要文化財一四五件の指定を発表した。国宝は計五七四件、新指定のものに、善光寺本堂、雪舟筆秋冬山水図、随身庭騎絵巻、新薬師寺一二神将像、香取神宮海獣葡萄鏡等がある。その一部を四月一日から一〇日まで陳列公開した。
東京都美術館は設立に際して基金を寄附した佐藤慶太郎を記念して館内に佐藤記念室を開設することになつた。講堂奥の二室六五坪を改修して常設陳列場とする計画であり、一五日から「近代印象派絵画複製展」によつて第一回展を開いた。
朝日新聞社の主催により六日から一七日まで日本橋白木屋に開催。唐獅子図屏風、浜松図屏風等御物三点のほか、初公開の長次郎楽茶碗を含む八〇余点が展観された。
中尊寺金色堂の宝物盗難事件に鑑み、文化財保護委員会では同寺に宝物収蔵庫の建設を決定、着工した。建築は鉄筋コンクリート三階建、鈎型をなし、三ケ年事業で総工費二、六〇〇万円の予定。
オランダ大使P・E・テッペマは個人所蔵の一八世紀のニコラス・ヴァン・ラヴェスティン作と伝えるオランダの肖像画を東京国立博物館へ寄贈した。
一四日よりロンドンの国立テートギャラリーで開かれた「知られざる政治囚」の課題をもつた国際彫刻コンクールに参加の招待は主催者の現代美術協会から昨年一月にとどいた。これに対し日本美術家連盟やその他各作家が知人を通じて通知をしたため申込は多数に上つたが、審査規約の変更などの事情もあり、出品申込手続や審査方法などに関して国内で意見の対立が起つた。そこで斎藤素巌、加藤顕清、本郷新、和田新等が世話人となつて一本化をはかり、審査委員を決定して、一月九日から一〇日間銀座松坂屋で国内展示会と審査会を行い、笠置季男など七人の作品が選ばれて発送された。朝日新聞社がこれを後援した。この銓衡にあくまで反対した作家二〇数名は、コンクールには参加出来なかつたが、ロンドン展と同じ時に丸善で別に発表会を開いた。
昭和二二年創立の日本彫刻家連盟を解散、改めて日本彫塑家クラブとして新発足した。職能団体的性格をはなれ、二科会、新制作協会に属する作家が脱け、日本美術院所属の彫刻家が加入、顧問に朝倉文夫、北村西望等を推して日展系の色彩が強くなつた。従来行わなかつた作品公募も行う。
昭和二七年度の芸術分野における優秀作品にたいしておくられる芸能選奨文部大臣賞が二七日決定発表された。 美術 日本画 金嶋桂華(第八回日展出品作「鯉」に対し) 洋画 小林和作(第二〇回独立展出品作「海辺の丘」その他近業に対し) 彫刻 清水多嘉示(第八回日展出品作「裸婦」に対し) 工芸 浜田庄司(個展出品「壺」その他近業に対し) 他部門略。
英国の陶芸家バーナード・リーチは欧米を外遊中であつた陶芸家の浜田庄司、日本民芸館長柳宗悦とともに、一七日羽田に到着した。一七年ぶりの来日で一年ほど滞在し制作する予定である。
ワシントンで開催中の日本古美術展に政府代表文化使節として派遣される文化財保護委員会委員矢代幸雄は一七日出発、米国側と交歓をとげ五月二二日帰国した。
昭和二七年度(第九回)の恩賜賞及び日本芸術院賞が内定し、九日日本芸術院から発表された。 恩賜賞 洋画 石川寅治 洋画界および絵画教育につくした功績に対し 日本芸術院賞 第一部-美術 日本画 児玉希望 作品「室内」(第八回日展出品)にたいし 彫刻 沢田晴広 作品「三華」(第八回日展出品)にたいし 工芸 香取正彦 作品「攀龍壺」(第八回日展出品)にたいし 書 辻本史邑 作品「白詩七律」(第八回日展出品)にたいし 建築 村野藤吾 建築界につくした功績にたいし 他部門略。 五月二五日午後二時から東京国立博物館において授賞式が行われた。
朝倉摂に決定 上村松園賞の第三回は新制作協会々員、朝倉摂の「働らく人」(第一六回新制作協会展)およびその他一連の作品に決定し五日発表された。福田平八郎、小野竹喬、山口蓬春、山本丘人、上村松篁の選考委員によつて、二七年度中に公開された女流画家の日本画作品のうちから選ばれたものである。
西ドイツのシュトウッツガルト市で二一日から三月八日まで開かれるシュトウッツガルトのバアデンヴェルテムベルグ州実業団主催の国際工業デザイン展へ日本も参加することになつた。主催者より出品招待をうけた日本インダストリアル・デザイナー協会では費用や日時の都合上、実物ではなく写真を主として出品することに了解を得て、各デザイナーより参加を求め、そのうちから五六点を選び、五日航空便で発送した。
丸木位里、赤松俊子夫妻が広島に取材して描いた五部作の「原爆の図」が国際平和文化賞のゴールデン・メタルに入賞したと世界平和評議会からの知らせが二八日とどいた。国際平和文化賞は世界平和評議会が平和擁護に貢献した文学、絵画、映画などの文化的作品に授与するため本年度から設定した賞である。