笠置季男
彫刻家、二科会理事、多摩美術大学彫刻科主任教授の笠置季男は、9月28日午後6時25分、じん臓ガンのため東京目黒区の東邦大学医学部附属大橋病院で死去した。享年66才。明治34年1月7日兵庫県姫路に生れた。大正10年大阪府今宮中学校を卒業、昭和3年3月東京美術学校彫刻本科塑造部を卒業した。在学中から藤川勇造に師事し、昭和2年第14回二科展に「首」が初入選し、美校卒業翌年の第16回展では「裸女立像」を出品、樗牛賞を受けた。更に昭和6年第18回展に「顔」「腰かけた裸婦」を出品、二科賞を受賞、翌7年第19回展には、「立像(習作)」「立像」「M嬢の像(習作)」を出品、二科会会友となり、昭和11年第23回展では「少年工」「青年」「書見」で会員に推挙された。以後18年第30回展の中絶に至るまで専ら二科展を発表舞台とした。戦後の21年9月第31回展から二科会の復活をみたが、日展参加に対する会規一部変更の件で僚友の松村外次郎、渡辺義知らと訣別し、ひとり二科会に止まって彫刻部の大黒柱的存在となった。35年には、パリ、コンパレーゾン展出品の機会に渡仏した。40年第50回二科展では青児賞を授賞した。作風は、逸早く戦後の動向に呼応して、幾何学的抽象の方向をとり、毎年、主にセメントによる大作を精力的に発表した。二科展出品の代表作には、「和」(25年)、「力」(27年)、「地上の形態」(30年)、「躍進」(32年)、「裂」(33年)、「生存」(38年)などがあり、野外作品として、「花の精」(セメント・36年作、調布市深大寺バラ園)、「哺」(セメント・36年作、愛知県蒲郡市庁舎中庭)、「自鵬」(セメント・37年作、蒲郡市庁舎前)等がある。なお、戦後早くより、小野田セメント会社が主催してきた野外彫刻展(白色セメント造形美術会)の委員を当初からつとめ、この分野での推進に寄与したことは大きい。
出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(150頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「笠置季男」『日本美術年鑑』昭和43年版(150頁)
例)「笠置季男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9043.html(閲覧日 2024-12-12)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1953年03月 国際彫刻コンクールに参加
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