芸術院賞決定

1961年04月

35年度第17回日本芸術院恩賜賞並びに芸術院賞が4月14日発表された。そのうち美術関係者は次の人たちである。 恩賜賞 川崎小虎 (日本画壇に尽くした功績に対し) 院 賞 第1部美術部門 岩田正巳 (第3回日展出品作「石仏」に対し) 西山英雄 (第3回日展出品作「天壇」に対し) 矢野橋村 (第3回日展出品作「錦楓」に対し) 新道繁 (第3回日展出品作「松」を中心とする近年の業績、とくに35年の個展に対し) 田崎広助 (「初夏の阿蘇山」、「朝やけの大山」ほかの連作に対し) 堀進二 (第3回日展出品作「人海」に対し) 佐治正 (第3回日展の漆工屏風「都会」に対し) 皆川月華 (第3回日展の染彩「濤」に対し) 安東聖空 (第3回日展のカナ「みなそこ」に対し) 中村蘭台 (第3回日展の篆刻「老子語和光同塵」 谷口吉郎 (東宮御所の設計とその他の業績に対し) なお、恩賜賞受賞者には賞金10万円、院賞は16名の受賞者に対し総額70万円が贈られる。

アフリカ芸術展

1961年04月

現代欧州の絵画や彫刻に大きな影響を与えた原始芸術について、近年は各国でも関心が高まり、我国でも昨年、国立近代美術館の原始芸術展(オセアニアを中心)あるいは小規模な土俗工芸品展など相次いでいるが、このアフリカ展は、アフリカ芸術を伝えるものとして、初めての系統的な展観といえよう。イスラエルのサミュエル・デュビナーの収蔵品を中心としてアフリカ全大陸から集められた、仮面、神像、葬儀用具等、総計170余点。読売新聞社主催、テルアビブ博物館・文部省・国立博物館後援で池袋西武百貨店で4月8日から25日まで開かれた。

東京文化会館落成

1961年04月

東京都が開都500年を記念して昭和34年来上野公園に建設中の文化会館はこのほど完成し、7日落成式を行った。前川国男の設計で、内部装飾、音響壁面構成に彫刻家流政之、向井良吉が参加し、また3枚の緞通には吉岡堅二脇田和向井良吉がそれぞれ制作に当った。

和田英作遺作展

1961年04月

和田英作遺作展委員会、朝日新聞社の主催で4月4日から9日迄日本橋三越で開かれた。 明治中期の作品から昭和33年の絶品まで、代表的な油絵、水彩約70点のほか、模写、装幀、画帖など凡そ100点が出され、生前、歿後を通じて最初の、大規模な展覧会であった。

円覚寺の仏殿復興着工

1961年04月

鎌倉市円覚寺の仏殿復興工事が27日着工された。総工費1億2千万円。来年いっぱいで完成の予定。

福島賞生まれる

1961年03月

昨年末他界した福島繁太郎氏の業績を記念する美術賞が遺族の発案により生まれ、1961年度から65年度までの5年間にわたって、毎年故人の命日である11月10日に賞金20万円を贈ることになった。 授賞の対象は、各年度毎に秀れた作品を発表した新人で、作家の作風や年令の制限はない。選考委員は、梅原竜三郎を顧問に佐野繁次郎、香月泰男、山口彦一郎、福島葉子の5名。

重要無形文化財保持者指定

1961年03月

文化財保護委員会は31日「紙塑人形」を重要無形文化財に指定、保持者として鹿児島寿蔵を認定、同時にすでに指定済みの「色紙磁器」の保持者として加藤一を追加認定した。

“永仁の壺”重文指定取消し

1961年03月

文化財専門審議会は30日、重要文化財の「古瀬戸瓶子(通称永仁の壺)」と「古瀬戸黄袖蓮花唐草文四耳壺」「古瀬戸狛犬一対」の3件4点を「鎌倉期の作品でなく、昭和のものである」として指定を解除するよう文化財保護委員会に答申した。

中村岳陵展

1961年03月

四天王寺金堂壁画による昭和35年度「毎日芸術大賞」「朝日文化賞」の受賞を記念する回顧展である。毎日新聞社主催で3月28日から4月2日まで日本橋三越で開かれ、明治期の作品から今回の壁画制作以前までの代表作50余点が展観された。

パキスタン古文化展

1961年03月

パキスタン古代文化の粋を紹介する大規模な展覧会が毎日新聞主催、パキスタン大使館後援のもとに3月22日から4月9日まで東京上野松阪屋で行なわれ、引続き名古屋、大阪でも展示された。

日光東照宮の薬師堂焼失

1961年03月

15日午後7時5分ごろ日光東照宮境内の重要文化財、薬師堂西側から出火、同堂を全焼、堂内天井に描かれていた”鳴竜”も焼失した。

芸術選奨決定

1961年03月

芸能、文学、美術など、年度内に秀れた作品を残し、我国の芸術の進歩につくした人々に贈られる文部省の芸術選奨第11回(昭和35年度)受賞者が8日決定した。演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術、古典芸術、評論その他、の部門があり、美術関係では片岡球子(昨年度院展出品の「渇仰」及個展作品に対し)、亀倉雄策(我国デザインの近代化に影響を与え、宣伝美術の育成につくした業績に対し)が受賞した。受賞式は4月7日で賞金5万円と賞状がおくられる。

長谷川利行名作展

1961年03月

日本経済新聞社主催で3月7日から12日まで日本橋三越で開催。大正から昭和へかけて洋画界に異彩を放った長谷川利行の作品展でこれほど大規模に扱われたのはめずらしく、100点近く陳列された。なお2月末にも東京兜屋画廊で回顧展が催された。

日本木彫会解散

1961年02月

内藤伸のひきいる日本木彫会では、会員総会を開き協議の結果、本来の性格を一層生かすため解散を決議し、30余年の歴史に終止符をうつことになった。なお解散声明には、今後有志相集り、よりよき研究団体として新発足することをのべている。

故ワーナー博士に感謝状

1961年02月

奈良・京都を太平洋戦争の戦禍から救った故ラングドン・ワーナー博士(1955年死去)に対し日本観光協会(足立正会長)から感謝状を贈ることになった。

美術ジャーナル賞設定

1961年02月

美術雑誌「美術ジャーナル」が設定した「新人賞」の第1回受賞者として、斎藤寿一(版画・春陽会)、戸津侃(彫刻・行動美術)の2氏が選ばれた。審査は、土方定一、滝口修造など5名の評論家によって行なわれた。

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