田淵安一

没年月日:2009/11/24
分野:, (洋)
読み:たぶちやすかず

 戦後からフランスを中心に創作活動を続けていた洋画家の田淵安一は、長らくパーキンソン病で闘病してきたが、11月24日心不全のためパリ郊外の自宅で死去した。享年88。1921(大正10)5月20日、父田淵安右衛門、母アイの長男として生まれる。本籍は、北九州市小倉南区。1941(昭和16)年、第三高等学校文科丙類に入学。中学時代から絵画制作に熱中し、在学中の42年、43年の京都市美術展に入選した。43年、学徒動員で海軍に入隊。45年8月、米子海軍航空基地で終戦をむかえる。同年、東京大学文学部美術史学科に入学。大学在学中から、猪熊弦一郎に師事する。47年9月、第11回新制作派協会展に初入選。48年、同大学を卒業、同大学大学院にすすむ。49年9月、第13回新制作派協会展に「腰掛けた三人」等3点が入選、岡田賞を受賞。51年、金山康喜、関口俊吾とともに渡仏。渡仏後の2年間、絵画制作以上に、ヨーロッパ各地を旅行することに傾注し、その原像をみつめることに費やしたという。また、在仏の佐野繁次郎、岡本太郎菅井汲今井俊満等と交友し、「熱い抽象」と称された前衛グループ「コブラ」のアトラン、ハルツング、シュナイデル、ミッシェル・ラゴン等を知った。54年、コペンハーゲンのノアノア画廊で最初の個展を開催。55年5月、サロン・ド・メ展に初めて招待出品される。(以後、73年まで毎年出品。)61年、10年ぶりに帰国、パリへの帰途、東南アジア、インドを旅行する。67年には第1回インド・トリエンナーレ展に出品、その折にインド中央部を旅行した。これを契機に、それまでの黒を基調にした抽象表現主義的な表現から、色彩の面では、鮮やかな原色を多用するようになり、具象、抽象をこえた表現にむかっていった。田淵は、ヨーロッパで思索をかさねることにより、日本人にとってのヨーロッパ像であった地中海文明、あるいはキリスト教文明とは異なった、原初的なケルト文明などに注目していった。さらにそれと対峙するアジア的な文明にふれることで、その創作は一気に変貌していった。この60年代が、田淵の芸術の原点を形成した時代であったといえるだろう。一方で、フランスで暮らすことで、やはりヨーロッパの原像を探ろうとする思考をつづけており、その根底には、ヨーロッパにおける異邦人としての日本人、あるいはアジア人としての自覚があり、その意識は、最初の著作のなかでつぎのように記されている。「僕はヨーロッパに対する違和感でこのエッセイを書き出した。この違和感は無意識にまで根を張っている歴史性のちがいからくるのではないか、生理と意識との間に果しなくひろがっている無意識の原野には、日本とヨーロッパを隔てる森林と凍土と砂漠とがひろがっているのではないか。僕が日常に感じているのは、こうしたおもいなのだ。」(「象徴についての前章」、『西欧人の原像』、人文書院、1976年)70年代以降、田淵の芸術は、その奔放なフォルムと鮮やかな色彩による生命感あふれる表現を展開させながら、フランス、日本をはじめとして評価がたかまっていった。85年には、フランス政府よりオフィシエ・デ・ザール・エ・デ・レトル勲章を受章。国内の美術館における主要な展覧会、回顧展は下記の通りである。79年2月、国立国際美術館において「現代の作家1 田渕安一、湯原和夫、吉原英雄」展が開催され、田淵は初期作から近作まで60点を出品。82年10月、郷里にある北九州市立美術館において「田淵安一展」を開催、新作を中心に油彩画80点、水彩画21点を出品。1990(平成2)年1月、東京のO美術館において、「田淵安一展 ―輝くイマージュ―」を開催、初期作から新作まで63点の油彩画と水彩画、版画22点を出品。96年5月、神奈川県立近代美術館(本館)において、「田淵安一展―宇宙庭園」を開催、85年から95年までの10年間に制作された作品37点を中心に出品。2006年4月、神奈川県立近代美術館(葉山)において、「田淵安一 ―かたちの始まり、あふれる光―」を開催、新作8点を加えた96点による本格的な回顧展を開催。また、先にあげた最初の著述以降、絵画制作と併行して、述作にも積極的であり、ヨーロッパ、あるいは日本、東洋に関する思索をまとめた著述は下記のとおりである。

『西欧の素肌 ヨーロッパのこころ』(新潮社、1979年) 
『二面の鏡』(筑摩書房、1982年) 
『アペリチフをどうぞ―パリ近郊からの便り』(読売新聞社、1985年) 
『イデアの結界―西欧的感性のかたち』(人文書院、1994年) 
『ブルターニュ 風と沈黙』(人文書院、1996年) 
『西の眼 東の眼』(新潮社、2001年) 

出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(477-478頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田淵安一」『日本美術年鑑』平成22年版(477-478頁)
例)「田淵安一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28472.html(閲覧日 2024-12-05)

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