香月泰男

没年月日:1974/03/08
分野:, (洋)

 シベリア・シリーズといわれた虜囚生活を絵画化した作品で知られた、もと国画会会員の洋画家、香月泰男は、3月8日、午前7時10分、心筋こうそくのため山口県大津郡の自宅で急逝した。享年62歳であった。香月泰男は東京美術学校在学中に国画会に入選し、梅原龍三郎の知遇をえ、また福島繁太郎に認められた。郷里の山口県で高等女学校の図画教師となり、召集をうけて満州に従軍、敗戦後ソ連軍の手によってシベリアのセーヤ地区のラーゲルに抑留されて2年間の虜囚生活を送った。飢えと寒さに死んでいく戦友の老兵たちを眼のあたりにし、「軍隊毛布に包んで通夜をし、コーリャンの握り飯を供えた(そのお供えすら夜中に盗まれることもあった)」という極限的な情況を経験した。帰国後、再び郷里に住んだ香月は終生、その地に住み、戦争と敗戦、抑留の体験を昭和24年(1949)、「埋葬」から描き始めてその後約20年間にわたって45点余の作品を制作、それらが“シベリア・シリーズ”と呼ばれている。作風の単調さからある時期には万年新人候補と云われていたが、陶器の肌のような画肌を基調とした色数の少ない色調の画面で、静謐のなかに戦争の暗黒と死者への鎮魂の詩を描きだし、昭和46年(1971)、第1回新潮社日本芸術大賞を受賞した。昭和31年以降は、「地方在住のため、ややもすれば仕事が独善になり小さくまとまる懸念」しばしば海外旅行を試み、ヨーロッパ諸国からアメリカ、南太平洋、ギリシヤ、スリランカなどに旅行した。
 葬儀は、3月17日、山口県美術文化葬として三隅町明倫小学校体育館で行われ、政府は15日、勲三等瑞宝章を贈った。シベリヤ・シリーズの45点が山口県に寄贈され山口県立博物館に保管されることとなった。

年譜
明治44年(1911)10月25日、山口県大津郡の医師の長男として生まれる。
昭和4年 中学校(現・大津高等学校)を卒業して上京し、川端画学校に学ぶ。
昭和6年 東京美術学校油画科に入学し、藤島武二教室に学ぶ。
昭和9年 第9回国画会展に「雪降りの山陰風景」が初選。
昭和11年 東京美術学校を卒業し、北海道倶知安中学校教諭となる。文展に「二人坐像」、国画会展「雪庭」入選。
昭和13年 山口県立下関高等女学校教諭に転任、結婚する。国画会展「猫」入選。
昭和14年 国画会展「犬」「少年」入選、国画奨学賞を受賞。文展に「兎」特選となる。、このとき、福島繁太郎と初めて会う。
昭和15年 国画会展「棚と壺」「枯カンナ」入選、佐分賞を受賞、国画会同人となる。紀元2600年奉祝展「石と壺」入選。
昭和16年 国画会展「門石垣」「枝」。
昭和17年 国画会展「釣床」。文展「水鏡」。
昭和18年 1月、山口西部第4部隊に入隊。4月、満州興安省ハイラル地区第19野戦貨物廠営繕係に配属される。国画会展「砂上」「帰途」。文展「波紋」入選。
昭和19年 友人に託して文展に「ホロンバイル」出品。
昭和20年 満州鄭家邨地区に転進、敗戦。シベリヤのクラノヤルスク地区に抑留され、森林伐採作業につく。
昭和22年 5月、復員。下関高等女学校に復職する。
昭和23年 出身校の大津高等学校に転任。国展「雨」「風」、毎日連合展「蝶々」。
昭和24年 国展「埋葬」「水浴」、シベリヤ・シリーズ第1作である。毎日連合展「施療」。サロン・ド・プランタン賞受賞。4月、東京フォルム画廊で第1回個展、11月、第2回個展、以後毎年同画廊で個展を開催する。
昭和25年 毎日連合展「頭骨」、国展「朝」「昼」。第1回朝日秀作展「ホロンバイルの落陽」。国画展中堅会員による型成派結成され、同人となる。
昭和26年 朝日秀作展「白木連」、毎日連合展「水仙」「折尺」、国展「室内」「卓上」。ロックフェラー夫人「白木連」買上げ、初めて作品が海外に出る。
昭和27年 第1回日本国際美術展「仕事場」、パリ第8回サロン・ド・メ展に「人と籠」「裸鶏」出品。カーネギー国際美術展「朝」(1950年作)。
昭和28年 第2回日本国際美術展「ペンキ職人」「電車の中の手」、国展「休憩」「散歩」。萩焼窯元で陶画を始める。
昭和29年 第1回日本現代美術展「鳩と青年」「青年」。国展「牡牛」「盥舟」。
昭和30年 第3回日本国際美術展「新聞」「二人」、国展「遊泳」「山羊」。初めて地方での個展を開催。
昭和31年 第2回日本現代美術展「左官」、国展「路傍」「砂上」、第3回インド国際美術展に「埋葬」(1949年作)出品。個展出品作「ヒューザンス」がメルボルン近代美術館に買上げとなる。10月29日、第1回渡欧、6ヶ月にわたりフランス、スイス、イタリア、スペインを旅行する。
昭和32年 4月パナマを経由して帰国する。第3回サンパウロ・ビエンナーレ展に「鳩と青年」他2点を出品。第4回日本国際美術展「太陽」、渡欧作品展を東京、大阪、長府、下関、福岡で開催。
昭和33年 第3回日本現代美術展「乗客」、ヨーロッパ巡回日本現代絵画展に「遊泳」「左官」「砂上」。個展「告別」「奇術」など。銅版、古材などで人物、動物の玩具をつくりはじめる。
昭和34年 ヒューストン美術館日本美術展「鳥籠」「えい魚」「ダモイ」。第5回日本国際美術展「1945」。個展「北へ西へ」「ダモイ」。西日本秀作美術展「人と梟」「北へ西へ」。中国新聞文化賞を受賞。
昭和35年 学校を退職し、教員生活をやめて制作に専念する。第4回日本現代美術展「ホロンバイル」。個展「避難民」「六掘人」、国際具象派展「運ぶ人」。
昭和36年 日本洋画商展「湿地」、第6回日本国際美術展「涅槃」。国展「流雲」、カーネギー国際美術展「冬田」。日本橋高島屋において「埋葬」以後の作品52点による香月泰男展開催される。
昭和37年 第5回日本現代美術展「アムール」。国画会を退会する。パリのノドラ画廊で個展が開かれる。
昭和38年 第7回日本国際美術展「雪」。個展「雪(窓)」。
昭和39年 第6回日本現代美術展「餓」。個展「鋸」「神農」「伐」など。「久原山」文部省買上げとなる。
昭和40年 第8回日本国際美術展「凍土」。個展「★囚」「朝陽」。
昭和41年 第7回日本現代美術展「星、有刺鉄線」。「海<ペチカ>冬」。個展「マポルカ」「凍河」「エニセイ」など。ジャパン・リサイティの招きでアメリカに旅行する。
昭和42年 第9回日本国際美術展「復員タラップ」。4月神奈川県立近代美術館において香月泰男、高山辰雄二人展開催され、シベリヤ・シリーズを中心とする57点が出陳される。画集『シベリヤ』(求竜堂)刊行される。滞米スケッチ展を東京、大阪、名古屋、福岡で開催。銀座松屋において香月泰男(戦争、虜囚、人間愛)展開催される。NHK教育テレビ「沈黙の画集」放映される。
昭和43年 第8回日本現代美術展「別」「私の地球」。個展「雨」「雲」。谷川俊太郎との詩画集『旅』刊行される。NHKラジオ「私の戦争画」、12チャンネル・テレビ「私の昭和史・執念の画集」でシベリヤ・シリーズの作品について語る。西日本文化賞を受賞。
昭和44年 第1回日本芸術大賞(財団法人新潮文芸振興会)を受賞。第9回日本現代美術展特別陳列「アムール」。個展「麦の太陽」「護」「煙」。初めて版画・リトグラフを発表。日本橋高島屋で<おもちゃ展>を開催。
昭和45年 東京芸術大学非常勤講師を依嘱される。個展「朕」「業大」「奉天L」「奉天R」。北九州市立美術館・香月泰男シベリヤ・シリーズ展、日本橋高島屋・版画と玩具による香月泰男展、山口県立博物館・県出身作家現代美術展。自伝『私のシベリヤ』(文芸春秋社)刊、『香月泰男のおもちゃ筐』刊。リトグラフ版画集『動物シリーズ』1、2。エッチング版画集制作。
昭和46年 第10回日本現代美術展「-35°」「バイカル」、個展「点呼L」「点呼R」。安井賞選考委員を依嘱される。三隅町明倫小学校の壁画を制作。タヒチ島へ旅行。『シベリヤ画集』(新潮社)刊、『海拉爾通信』(新潮社)刊。石版画集(母子、裸婦、パリーの屋根、北海道)を制作。
昭和47年東京セントラル美術館で「香月泰男シベリヤ・シリーズ展」開催される。個展「日本海」「雪山」「滝」。九州一周、北海道、山陰から京阪・奈良・山陽道をそれぞれ自動車でスケッチ旅行。春、ギリシャへ旅行。11月、スペイン・モロッコ・カナリヤ諸島へ旅行。『ギリシャ風物版画集』刊。香月泰男スケッチ集(ニューヨーク、パリ1、パリ2、タヒチ)刊。
昭和48年 個展「デモ」「絵の具箱」「海拉爾」「道」。セーシェルズ・モーレシャス・レュニオン・スリランカ旅行。第2回タヒチ島旅行。ニース旅行。木版画集「タヒチ」、石版集「ギリシャ小品集」「モロッコ」。
昭和49年 三越で陶画・色紙展。3月8日、心筋こうそくのため自宅にて死去する。木版画集「ニース」、石版画集「グランカナリア」、随想集「画家のことば」刊。シベリヤ・シリーズ45点山口県に寄贈される。
昭和50年 4月20日~5月11日山口県立博物館、7月15日~8月17日東京国立近代美術館、8月23日~9月21日京都国立近代美術館、9月27日~10月19日北九州市立美術館において香月泰男遺作展が開催される。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(258-260頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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