堀進二

没年月日:1978/03/27
分野:, (彫)

彫刻家、太平洋美術会会長堀進二は、3月27日心筋こうそくのため東京文京区日本医大付属病院で死去した。享年87。明治23年5月5日東京赤坂区に生まれ、同39年谷中の太平洋画会研究所に入り新海竹太郎に師事して塑造を学ぶとともに同44年まで同所でデッサンも学ぶ。同44年隊へ洋画会展に出品、同会正会員となる。大正4年、第9会文展に「若き女の胸像」を出品し褒状を受け、翌5年から7年まで「H老人の肖像」(第10回)「肖像」(第11回)「老人」(第12回)で連続特選を受賞した。同8年第1回帝展に「寺尾亨氏の肖像」他1点を出品、またこの年から審査員をつとめた。また、昭和3年東京帝国大学工学部建築科の講師を依嘱され(同21年まで)、同6年には東京工業大学建築学科講師を依嘱さる。戦後は日展に出品し審査員をしばしばつとめ、一方太平洋画会に所属して戦災より焼失した太平洋美術学校の復興に尽力し、同32年開校と同時に同校々長となって後進の指導にあたった。同33年新日展発足とともに日展評議員となり、同35年第3回展に出品した「人海」で日本芸術院賞を受賞、また、同25年から千葉工業大学教授(意匠学科)をつとめた。作品は他に東大の「浜尾総長像」「足を洗う女」などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(286頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「堀進二」『日本美術年鑑』昭和54年版(286頁)
例)「堀進二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9566.html(閲覧日 2024-04-26)

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