- 本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された彙報・年史記事を網羅したものです。
- 現在、2019年/平成31(令和元)年まで公開しています。(記事件数5,450 件)
亜国海軍帝国海軍へ献画
1940年06月アルゼンチン海軍は紀元二千六百年を奉祝して帝国海軍に油絵「強き太陽の日」(キンケーラ・マルテイン作)を贈つた。
川合玉堂御前揮毫
1940年06月再度御来訪の満洲国皇帝陛下は六月二十九日皇太后陛下の御招きに依り大宮御所に於て御団欒の一日を過させられたが、此の日川合玉堂は御前に召され「田植の図」「岩に叭々鳥」を揮毫、御旅情を御慰め奉つた。
満州国皇帝に大観作「富士霊峰」献上
1940年06月東京府及び東京市は満洲国皇帝陛下の御来訪を記念し、美術品の献上を決定、東京府は横山大観に、東京市は朝倉文夫に製作を依嘱したが、大観の「富士霊峰」が先づ完成、六月二十七日献上した。 又洋画家川島理一郎は蘭花図を描き個人として満洲国皇帝陛下へ献上した。
小早川秋声渡支
1940年06月小早川秋声は陸軍省嘱託として北中支及び外蒙へ従軍することとなり六月十五日出発した。
桜谷文庫設立
1940年06月故木島桜谷の遺作及び蒐集品を陳列すべき桜谷文庫は二月十五日付を以て財団法人の許可を得たが、六月二日京都市上京区等持院東町の遺宅に於てその設立披露を催し内覧に供した。
水彩連盟創立
1940年05月水彩画の発展の為、日本水彩画会の荒谷直之介、春日部たすく等八名により水彩聯盟が創立された。
川端竜子渡支
1940年05月陸軍の十二作家現地派遣の第一陣として川端竜子は北支方面、ソ満国境方面へ画材を求めて五月二十八日出発した。尚竜子は六月二十六日帰京した。
紐育、桑港両万博再開
1940年05月再開紐育万国博は五月十一日開会され、欧洲の動乱に依り欧洲諸国の出品がなかつたが、吾が国は特設日本館並に日本部を開設した。又桑港博も紐育に対応して六月二十三日より開会された。
日本産業美術協会創立
1940年05月産業美術の向上発展をはかる為、大阪毎日新聞社により日本産業美術協会が成立し、その発会式が五月十一日大阪本町染工聯会館で挙行された。
正統木彫家協会創立
1940年05月日本木彫会を脱退した沢田晴広、三木宗策等二十二名は次代の木彫芸術の確立を期し、五月七日正統木彫家協会を結成、公募展を開催することとなつた。
小室翠雲心印画塾創立
1940年05月先年帝国美術院改組後その私塾環堵塾を解散した小室翠雲は、五月五日心印画塾を改めて創設し、同日その自邸に於て門下生参集発会式を行つた。
現代工芸作家協会創立
1940年04月工芸美術界に於て新人の発見、新素材の研究奨励、我が国固有技法の保存等を目的とし、川崎克を会長、侯爵細川護立、子爵岡部長景を顧問として四月現代工芸作家協会が結成され、十一月二十七日より十二月七日迄公募展を開催した。
堅山南風福日文化賞を受く
1940年04月福岡日々新聞社は紀元二千六百年を記念し新に文化賞を創設し、その第一回として西日本出身の学者、発明家、芸術家から五名が選ばれたが、画家としては堅山南風の第二十六回院展に出品した「千里壮心」に授賞された。
陸軍より十二画家支那戦線へ派遣
1940年04月陸軍省に於ては今次聖戦を如実に伝へる為、日本画家より川端竜子、川崎小虎、吉村忠夫、洋画家より中村研一、田村孝之介、小磯良平、田中佐一郎、清水良雄、硲伊之助、伊原宇三郎、橋本八百二、宮本三郎を中、南、北支へ軍嘱託として派遣することとなり、四月三十日これ等従軍作家の打合せを兼ね壮行会を永田町星ヶ岡茶寮で行つた。尚これ等の作品は昭和十六年三月十日の陸軍記念日を中心に開催さるる戦争美術展覧会へ出品の予定である。
正木直彦追善会
1940年04月十三松堂故正木直彦の追善会が、芸苑の友五十四名の発起により、四十九日の命日にあたる四月十八日小石川区音羽護国寺の月光殿に於て催された。
野口謙次郎渡支
1940年04月中支派遣軍の招聘に依り約二箇月に亘り長江一帯の風景描写をなす為野口謙次郎は、四月十六日出発し、六月十八日帰還した。
青竜社府美術館不使用声明
1940年04月川端竜子の主宰する青竜社は、さきに在野団体として独自の展覧会を開催する主旨より九月より開始さるる紀元二千六百年奉祝美術展覧会には不参加を声明したが、これに関する会期問題より爾今上野公園内東京府美術館を使用せざることを四月十二日声明した。
三都工美会結成
1940年04月工芸の進歩向上を図り、東西工芸家の親睦をはかる為、四月十二日東京、京都、大阪を中心とする工芸家五十余名を以て三都工美会が組織された。
小杉放庵等渡支
1940年04月小杉放庵、石井鶴三、田中青坪は支那華北鉄道株式会社の招聘により四月五日前後して出発した。一箇月の間上海、楊州、南京、蘇州、杭州等を旅行して写生した。