小早川秋声

没年月日:1974/02/06
分野:, (日)

日本画家小早川秋声は、2月6日京都市の病院で、老衰のため死去した。享年88歳。本名盈麿。明治18年9月26日神戸市(摂津三田藩主九鬼子爵邸内)に生れ、京都市立絵画専門学校に学び、谷口香嶠塾、山元春挙塾等で教えを受けた。大正3年より同6年まで、東洋芸術研究のため渡支、同9年より12年にわたり西洋芸術研究のため渡欧した。この間、北京、奉天、慶州、ロンドン、パリ等の各博物館で研究をすすめた。また昭和6年満州事変に際し、軍嘱託として興安嶺を越え、ホロンバイル地区、マンチュリー国境地帯へ、同7年熱河省地区へ出張している。昭和12年8月には陸軍省新聞班より従軍画家として北支へ派遣され、爾来同16年末に至るまで北支、中支に従軍画家として屡々派遣された。また昭和18年6月には、大東亜戦争記録画作製のため、ビルマ地区最前線へ陸軍省より派遣された。作品は主として官展に発表し、第8回文展「こだました後」が初入選している。その後同9回「幕切れの刹那」、同11回「寂光の都」(二曲半双)、同12回「微笑」等があり、帝展では第3回「語られぬなやみ」、第5回「ヴェニスの宵」、第6回「盲目の春」、第7回「未来」、第8回「万相有情(歌僧円位)」等があり、人物画が多い。その後、軍事画も多く描き、主なものに次の作品がある。「護ノ図」(九段軍人会館)。「九段国防館壁画九面」。「歩哨図」(陸軍航空士官学校)等。戦後は宗教画も多く手がけ、また京都詩仙堂の「三十六詩仙」「夢」などの作品もある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(261-262頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小早川秋声」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(261-262頁)
例)「小早川秋声 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9323.html(閲覧日 2024-04-19)

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