吉村忠夫
元日展運営会依嘱、日本画院同人吉村忠夫は2月17日、脳溢血のため世田谷区の自宅で逝去した。享年53歳。明治31年福岡県に生れ、大正8年東京美術学校日本画科を卒業、大和絵による新民族絵画の提唱者である。松岡映丘に師事した。主として文、帝展に出品、大正11年第4回帝展の「清吟緑觴」、同15年第7回帝展の「多至波奈大女郎」、昭和2年第8回帝展の「望の月夜」は特選となり、昭和3年第9回帝展「木蘭」では無鑑査、第11回帝展「和光薫風」では審査員となり、其後も屡々審査員をつとめた。また一方正倉院御物をはじめ古典工芸の研究を以て知られ、今上陛下御成婚に際しては絵画と共に工芸品を製作献上した。師映丘の没後は国画院を指導し、大和絵発展につとめ、昭和14年には同志と共に日本画院を創設その同人となつた。晩年は舞台美術の方面にも筆をふるい、大和絵風の典雅な装置をみせた。
略年譜
明治31年 福岡県遠賀郡に生る。
大正7年 第12回文展「玉のうてな」出品。
大正8年 東京美術学校日本画科を卒業。 第1回帝展「徳大寺左大臣」出品。
大正9年 第2回帝展「初秋」
大正10年 第3回帝展「野分の朝」出品。
大正11年 第4回帝展「清吟緑觴」(特選)出品。
大正13年 第5回帝展「常寂光」出品。
大正14年 第6回帝展「王母」出品。
大正15年 第7回帝展「多至波奈大女郎」(特選)出品。
昭和2年 第8回帝展「望の月夜」(特選)出品。
昭和3年 第9回帝展「木蘭」出品。
昭和4年 第10回帝展「龍女」出品。
昭和5年 第11回帝展「和光薫風」出品。審査員となる。
昭和6年 第12回帝展「奢春光(有智子内親王)」出品。
昭和7年 第13回帝展「孝養図」(光明皇后)出品。
昭和8年 第14回帝展「浴」出品。
昭和9年 第15回帝展「鵤の聖」出品。
昭和11年 招待展「燈籠大臣」出品。
昭和14年 第3回文展「横川の僧都」出品。
昭和15年 北支、満洲、蒙古等の研究旅行をなす。
昭和26年 歌舞伎座上演舞台装置及び美術考証「菅公」「時宗」「静物語」「源氏物語」担当。
昭和27年 2月17日逝去。
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「吉村忠夫」『日本美術年鑑』昭和28年版(136頁)
例)「吉村忠夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8835.html(閲覧日 2024-10-05)
以下のデータベースにも「吉村忠夫」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1936年01月 第一部会の運動
- 1937年06月 オリンピツク芸術委員会設立
- 1938年10月 傷痍軍人感謝絵はがき
- 1940年04月 陸軍より十二画家支那戦線へ派遣
- 1940年08月 川崎小虎、吉村忠夫従軍
- 1941年05月 「肇国創業絵巻」公開
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1919(大正8) 大正八年度帝国絵画番附_807061
- 1920(大正9) 大正九年度帝国絵画番附_807066
- 1921(大正10) 大正十年帝国絵画番付_807076
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1926(大正15) 大正十五年版 東洋画家名鑑_807026
- 1927(昭和2) 増補古今書画名家一覧_807121
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
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