欧州巡回日本古美術品展出品作品無事帰国
1959年03月33年4月より本年2月まで欧州4ケ国(フランス、イギリス、オランダ、イタリア)を巡回した日本古美術展出品作品143点は、3月30日フランス船にて横浜港に無事到着した。
33年4月より本年2月まで欧州4ケ国(フランス、イギリス、オランダ、イタリア)を巡回した日本古美術展出品作品143点は、3月30日フランス船にて横浜港に無事到着した。
東大イラク・イラン遺跡発掘委員会(委員長茅東大総長)は、去る31年に行つた第一次発掘調査の成果にもとづき江上波夫教授以下11人の第二次調査団を派遣することとなつた。江上団長ら三人の先発隊は1月末テヘランに先行、受入れ準備をすすめており新規矩男副団長(東京芸大教授)ら8人の本隊は29日現地に向つた。
28日、33年度(第29回)の芸術選奨授賞者がきまり、美術関係では上村松篁、建築では大江宏が選ばれた。 上村松篁 新制作展の「星五位」で日本の伝統と革新の調和をなしとげた功績に対し 授賞式は4月6日文部省で行われた。
日華事変以後、太平洋戦争まで、大陸や南方戦線で散つた無名戦士の遺骨を収めるため、東京都千代田区三番町千鳥ケ淵に建設中の墓苑は28日完成し、完工式と追悼式を行つた。建築設計谷口吉郎、造園田村剛、工事は竹中工務店、敷地16,000平方米、工事費4,800万円。
文化財保護委員会は28日国宝及び重要文化財の新指定を行つた。新たに指定された国宝は14件で、瑞巌寺庫裏及び廊下(宮城)や刀無銘正宗(文化財保護委員会保管)などあり、重要文化財は277件で、旧法隆寺献納御物の各種工芸品47件(東博保管)など含まれている。
日本芸術院は23日補充会員の選考委員会をひらき、第一部新会員に金島桂華、児玉希望、小糸源太郎が決定した。選考は、さきに選考委員会があげた11人の候補者について(6人の補充予定)各部門毎に会員から書面投票を求めた結果、過半数を獲得した人で、美術部門3人(第1部)、芸能部門1人、計4人であつた。
フランスの建築雑誌、〟L’architecture D’aujourd’hui〝は、同誌が創設した、建築および芸術の国際グランプリ第1回(1959年)受賞者として丹下健三を決定したと、20日報じた。1958年の建築雑誌に発表された現代建築について、「建築と絵画の結びつき(協力)」を重視して審査した結果、丹下の東京都庁舎及び草月会館が受賞対象となつたものである。なお6月7日パリで授賞式が行われ丹下が出席した。
日本クラフト・センターでは、丸善の協力を得て、日本各地に埋れているハンドクラフト製品の健全な発達と、優秀性を内外に紹介するため、東京日本橋の丸善ビル3階に恒久的な展示場を設けた。各地の陶磁器、木竹工芸、金工、ガラス製品、紙、玩具など陳列品は各種に及ぶが、クラフト・センター所属の勝見勝、渡辺力他10名のデザイナーの厳格な選衡により国際水準に達した優れた作品のみが展示されることになつている。14日から展示をはじめた。
鎌倉大仏の名で親しまれていた阿弥陀如来像の保存修理は2月に鎌倉大仏修理委員会(委員長関野克東大教授)をつくり、第1-4半期より着工した。
今年から67才を定年として、定年制が実施されることになつた芸大では、前田青邨、石井鶴三、丸山不忘、脇本楽之軒がこれに該当し勇退することとなつた。なかでも日本画科は、従来教授をはじめ助教授、講師のほとんどを院展系作家で占めていたため、日展系作家の不満も多かつたが、それが1月8日の美校日本画出身者の同窓会で表面化し、「朝日」「東京」などの紙上で大きく報道され波紋をおこした。後任教授の問題は、その後も、日展、院展両派の対立抗争としてしばしばジャーナリズムの取りあげるところとなつたが、芸大は独自の立場から選考、後任は吉岡堅二ときまつた。なお吉岡堅二は助教授として任命される。
東大文学部教授吉川逸治は、パリの日本会館々長就任のため23日渡仏した。任期は2年。
昭和33年度(第15回)恩賜賞ならびに芸術院賞が決定し25日発表された。 恩賜賞 木村荘八 「東京繁昌記」の文章と絵に対して 芸術院賞 (第一部美術部門) 加藤栄三(日本画) 33年日展作品「空」に対し 森田沙伊(日本画) 33年日展作品「少年」に対し 小山敬三(洋画) 一水会出品「白鷺城」連作に対し 林武(洋画) 33年の「回顧・新作」個展に対し 井上良斎(陶器) 33年日展出品「丸文陶平皿」に対し 大須賀喬(彫金) 33年日展出品「金彩透彫飾皿」に対し 中村順平(建築) 長年の業績に対し 木村荘八は、一昨年の折口信夫に次で故人としては二度目の受賞に当る。授賞式は5月26日日本芸術院会館で行なわれた。
20日-4月12日、於東京国立博物館、明治11年に法隆寺より帝室に献納した宝物一切、300点に及ぶ品々を公開陳列した展観で、その作品は正倉院御物に匹敵する。宝物の時代も飛鳥・奈良を中心に平安鎌倉から近世の遺品に及び、「聖徳太子及び二王子像」「鳳凰円文螺鈿唐櫃」などわが国古美術の最高級品を数多く含んでいる。
高村光太郎賞の第2回選考委員会は、21日次の通り受賞者を決定した。 造型部門 豊福知徳(新制作協会々員)の木彫「漂流」 詩部門 山之口貘「定本山之口貘詩集」(原書房)故草野天平「定本草野天平詩集」(弥生書房) 授賞式は4月2日、高村光太郎の命日に行われる。
春陽会創立以来の会員で、昨年11月物故した木村荘八の遺作展が、春陽会、毎日新聞社主催のもとに、17日から22日まで日本橋白木屋でひらかれた。フューザン会時代から、晩年に及ぶ油絵のほか、たけくらべ、?東綺譚などの挿絵、水墨画を含む100余点の代表的作品が展観され、木村荘八の初めての、大きな回顧展であり、遺作展であつた。
前委員の任期満了に伴い、改めて委員81名を決定、1日付で発令した。殆ど再任の委員であるが新委員は次の8名である。 第一分科会(美術工芸) 山口蓬春、野間清六、水野清一、竜村謙 第三分科会(史跡、天然紀念物) 辻永、駒井和愛、桜田勝徳 第四分科会(無形文化) 浜村米蔵
欧州巡回日本古美術品展覧会は2月1日、最終会場ローマのパラッツオ・ディ・エスポジチオーネにおいて無事終了した。
東京都の開都500年を記念して上野竹之台に建てられる東京都記念文化会館の起工式が1月末に行われた。総工費13億5,900万円、延21,490平方米の建物で、都民のための音楽、オペラ、バレーなどの上演にふさわしい設備をそなえ、また国際会議場としての大小のホールがつくられる。前川国男設計事務所・ミド同人の設計になるもので、36年春完成の予定である。
メキシコは第2次大戦中日本と国交断絶し、メキシコ市にあつた日本公使館の資金を凍結したが平和条約締結後、昭和30年には日墨文化協定が結ばれ、31年には凍結資金全額(約2200万円)を解除返還した。日本側は、この好意を両国の親善と文化交流に役立てようと、たまたま創立された「日墨協会」の会館建築費として返還金を寄贈し、同会館は31年12月着工、日系メキシコ人大工の手で建設された。敷地13,000平方米、木造二階建延1,500平方米、入母屋式の日本風建築で、日本が外国に建てた文化会館としては、初めての建築様式である。1月30日開館式を行つた。
昭和25年から毎日新聞社は、毎年その年度間に、優秀作品を発表、また美術界に貢献した作家に毎日美術賞を贈つてきたが、15日に第10回(33年度)の受賞者を決定、次の通り発表した。 鳥海青児 第3回現代日本美術展出品「ピカドール」その他の制作活動に対し。(賞金10万円) 山口薫 第3回現代日本美術展出品「林と動物」その他の制作活動に対し。(賞金10万円) 須田国太郎 関西画壇の向上に長期間にわたつてつくした功績に対し。(特別賞5万円)