福田平八郎

没年月日:1974/03/22
分野:, (日)

 日本画家福田平八郎は、3月22日急性肺炎のため京都市の国立京都病院で死去した。享年82歳。明治25年2月28日大分市に生れ、同43年大分中学校在学中、絵画への志を立て上洛した。この年、京都市立絵画専門学校別科に入学し、翌年京都市立美術工芸学校に入学しなおした。大正4年同校卒業とともに、京都市立絵画専門学校に入学、同7年卒業した。在学中に第10・11・12回文展に入選し、帝展となってからも第1回より連年ここを舞台に発表し、引続き新文展、戦後日展へと、官展を中心に活躍しつづけた。この間、街の展観にも佳作が多い。そのほか後進の育成にもあたり、母校で教鞭をとったが昭和12年絵専の教授を辞め、制作に専念する。昭和22年帝国芸術院会員となり、同36年には文化勲章を受章した。またこの年大分市名誉市民に推され、48年には小野竹喬堂本印象らとともに京都市名誉市民として表彰された。作品は、最初厳しい写実により出発し、次第に画面は自由に簡略化され、その作風は従来の日本画にみられない独自なものとして高く評価された。代表作―「鯉」(3回帝展)「漣」「筍」「新雪」「雨」など。

略年譜
明治25年(1892) 2月28日、大分市、大分師範学校門前に文房具商を営む父馬太郎、母安の長男として生まれる。本名平八郎。素僊、九州の号あり。作品に「馬安」の印のあるのは父母の名による。
明治31年 4月大分師範附属小学校に入学。
明治35年 3月大分師範附属小学校を卒業、4月高等小学校に入学。
明治39年 3月高等小学校を卒業。
4月大分県立大分中学校(現上野丘高校)に入学。日本画の教師として松本古村(明治7―昭和22)がいた。
明治43年 3月大分中学校3年在学中、絵を描かんとして京都に出、京都市立絵画専門学校の別科に入学。大分中学校は明治44年に中退。
明治44年 4月京都市立美術工芸学校に入学しなおす。1年次の終わりの校友会展出品作「落椿」で銀牌を受けたが、2年から4年までは金牌を受けた。この頃、銀閣寺付近の農家に下宿する。
大正4年 3月京都市立美術工芸学校卒業。この頃岡崎の谷口家に下宿する。
4月京都市立絵画専門学校に入学。
京都市立美術工芸学校卒業制作「雨後」。
大正5年 10月第11回文展に「桃と女」を出品。
大正6年 10月第11回文展に「驢馬と子供」を出品。
大正7年 3月京都市立絵画専門学校卒業。同級生は岡本神草、堀井香坡吉川観方など。この頃、島原半島に写生旅行をする。またこの年下宿を下鴨に移す。
京都市立絵画専門学校卒業制作「霞める空」。
10月第12回文展に「緬羊」を出品。
大正8年 10月第1回帝展に「雪」を出品、初入選。
大正9年 この頃下宿を南禅寺に移す。
10月第2回帝展に「安石榴」を出品。
大正10年 一時郷里の大分に帰る。
10月第3回帝展に「鯉」を出品、特選を受ける。「遊鯉」を制作。
大正11年 3月谷口テイと結婚。新居を下鴨にもつ。
春、菊池契月西山翠嶂西村五雲の三師によって選定された新人作家による九名会(伊藤草白、堂本印象登内微笑、岡本神草、中村大三郎宇田荻邨山口華楊、山本紅雲、福田平八郎)が組織され一員となる。この会は展覧会および研究会(福村祥雲堂主催)をたびたび重ねる。
10月、帝展推薦となり、以後無鑑査の資格を与えられる。
〔主な作品〕
4月日仏交換展に「鯉」を出品。
10月第4回帝展に「鶴」を出品。
大正12年 〔主な作品〕
11月大阪毎日新聞社主催、日本美術展に「沙魚」を出品。
大正13年 5月帝展委員に任命される。
5月九名会展が7回に達したのを記念し、「九名会作画集」が刊行される。
7月京都市立絵画専門学校の助教授となり、同美術工芸学校の教諭を兼ねる。
10月第5回帝展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
10月第5回帝展に「牡丹」を出品。
「草河豚・鰈」を制作。
大正14年 〔主な作品〕
10月第6回帝展に「閑庭待春」を出品。
12月尚美展に「牡丹」を出品。
昭和15年昭和元年(1926) 3月長男宗平誕生。
〔主な作品〕
2月頃第1回青陽会展に「春庭」を出品。
5月第1回聖徳太子奉讃美術展に「庭前麗光」を出品。
10月第7回帝展に「朝顔」を出品。
昭和2年 〔主な作品〕
5月第2回青陽会展に「ひすゐ」を出品。
10月第8回帝展に「茄子」を出品。
昭和3年 10月第9回帝展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
3月尚美展に「晴雪」を出品。
10月第9回帝展に「菊」を出品。
昭和4年 3月長女陽子誕生
〔主な作品〕
6月パリ日本美術展に「春雪」を出品。
10月第10回帝展に「南蛮黍」を出品。
昭和5年 4月山口華楊猪原大華と共に、絵専の派遣で中国に渡り、研鑽につとめる。7月六潮会(中村岳陵山口蓬春牧野虎雄木村荘八中川紀元外狩素心庵、横川毅一郎、福田平八郎)を結成する。
10月第11回帝展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
10月第11回帝展に「緋鯉」を出品。
昭和6年 3月伏見桃山羽柴長吉に転居。
12月京都市立美術工芸学校教諭の兼務を解かれる。
〔主な作品〕
1月ベルリン日本美術展に「萩紅」を出品。
6月第4回下鴨画家展に「藪」を出品。
昭和7年 10月第13回帝展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
2月第1回六潮会展に「暖冬」「雪の野」「雪の月」を出品。
3月釆々会展に「雪の日」を出品。
10月第13回帝展に「漣」を出品。
昭和8年 〔主な作品〕
2月第2回六潮会展に「蕾」「あやめ」を出品。
昭和9年 1月大礼記念京都美術館会館記念京都市美術展の出品選考委員となる。
7月佐藤梅軒画廊において、10点からなる個展を催す。
8月長女陽子死去。
10月第15回帝展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
2月第3回六潮会展に「鮎習作三題(1)淵(2)瀬(3)瀞」を出品。
5月大礼記念京都美術館開館記念京都市美術展に「白梅」を出品。
7月梅軒画廊個展に「青薄」「蜻蛉」を出品。
8月尚美展に「罌粟」を出品。
10月第15回帝展に「花菖蒲」を出品。
昭和10年 5月京都市展が開設され審査員をつとめる。
10月帝国美術院の改組(5月)にともない、参与に推挙される。
〔主な作品〕
2月第4回六潮会展に「初冬」「山桜」を出品。
3月第1回春虹会展に「双鯉」を出品。
4月第1回踏青会展に「春庭」を出品。
5月第1回京都市展に「鮎」を出品。
7月マリア画房創業10周年記念平安大家名作展に「鴛鴦」「緋鯉」を出品。
12月尚美展に「麦」を出品。
「鴨」を制作。
昭和11年 1月京都市立絵画専門学校の教授となる。
冬、外狩素心庵、横川毅一郎と共に満州に渡り巡遊する。
この年文部省美術展の展覧会委員となり、10月開催の鑑査展の審査員をつとめる。
秋、六潮版画第1輯「風」が出版され、「西風」を発表する。
伏見桃山泰長老に転居する。
〔主な作品〕
1月第5回六潮会展に「五月晴」「北西の風」「漁楽十二題」のうち「種魚」を出品。
3月第2回春虹会展に「春雪」を出品。
4月第2回踏青会展に「菖蒲」を出品。
5月山陽美術展に「菖蒲」を出品。
昭和12年 10月第1回新文展の審査員をつとめる。
12月病気のため京都市立絵画専門学校の教授を辞任し、制作に専念する。
昭和13年 5月第3回京都市展の審査員をつとめる。
2月に第1回展を開いた半弓会に参加、翌年から出品を続ける。
〔主な作品〕
3月第4回春虹会展に「大根」を出品。
5月第7回六潮会展に「鴛鴦」を出品。
10月第2回新文展に「青柿」を出品。
10月第1回春秋会展に「鴛鴦」を出品。
昭和14年 7月佐藤梅軒画廊で金島桂華と二人展を開催し、5点を出品。
〔主な作品〕
3月第5回春虹会展に「陽春」を出品。
5月第8回六潮会展に「竹」「ひよどり」を出品
6月第1回蒼穹展に「鮎」を出品。
6月三越小品展に「朝顔」を出品。
7月梅軒画廊二人展に「花菖蒲」「夏草と小鳥」を出品。
この頃「竹」「芍薬」を制作。
昭和15年 〔主な作品〕
2月岡山で開催の紀元2600年記念現代日本画展に「白梅鶯」を出品。
3月第6回春虹会展に「春水」を出品。
4月第9回六潮会展、10周年記念展に「青柿」「桃の花」を出品。
4月関西画壇26巨匠新作展に「青楓」を出品。
11月紀元2600年奉祝美術展に「竹」を出品。
「水辺初夏」を制作。
昭和16年 5月第6回京都市展の審査員をつとめる。
5月大日本航空美術協会が結成されたが、その創立委員(美術家35名で構成)となる。しかし9月開催された同協会、朝日新聞社主催の航空美術展には出品しなかった。
10月開催の新文展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
3月第1回尚絅会展に「紅梅(写生)」を出品。
5月第6回京都市展に「紅梅」を出品。
昭和17年 5月第7回京都市展の審査員をつとめる。
7月満州国国展審査のため須田国太郎などと中国各地を訪れる。
10月第5回新文展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
3月日本画家報国会軍用機献納作品展に「白梅」を出品。
5月第7回京都市展に「花菖蒲」を出品。
11月第1回十宜会展に「花菖蒲」を出品
昭和18年 5月第8回京都市展の審査員をつとめる。
10月第6回新文展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
5月第8回京都市展に「柿紅葉」(後に「彩秋」と改題)を出品。
7月第3回尚絅会展に「鴛鴦」を出品。
9月関西邦画展に「山桜」を出品。
昭和19年 7月奉祝京都市展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
7月奉祝京都市展に「花菖蒲」を出品。
11月戦時特別文展に「若桜」を出品。
昭和20年 冬、桃山泰長老から転居。
春、海軍軍需美術研究所が開設され、指導主任となる。
9月京都市美術館の評議員となる。
昭和21年 5月第2回京展の審査員をつとめる。
昭和22年 4月帝国芸術院(現日本芸術院)会員となる。
6月第3回京展の審査員をつとめる。
10月第3回日展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
5月東京都、朝日新聞社主催現代美術展に「紅葉と虹」を出品。
5月頃第12回清光会展に「鯉」を出品。
5月第1回五月会展に「筍」を出品。
6月第3回京展に「紅葉と虹」を出品。
10月第3回日展に「筍」を出品。
「緋鯉」を制作。
昭和23年 1月大阪大丸で草人社主催新作発表会を催し、坂本繁二郎と各8点を出品する。
7月第1回展を開いた転石会に参加。
10月第4回日展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
1月草人社二人展に「山葡萄」「紅葉」を出品。
4月第1回清流会展に「雪庭」を出品。
5月第2回五月会展に「鮎」を出品。
5月第13回清光会展に「雉子」「牡丹」を出品。
6月第1回彩交会展に「鮎」を出品。
10月第4回日展に「新雪」を出品。
昭和24年 5月官設の日展が終わり、日展運営会が組織される際に理事となる。
8月桃山長岡越中に転居する。
11月「新雪」(第4回日展出品)など一連の作品活動に対し、第1回毎日美術賞を受ける。
〔主な作品〕
4月第2回清流会展に「白木蓮」を出品。
5月第3回五月会展に「牡丹」を出品。
6月第2回彩交会展に「新竹」を出品。
6月第14回清光会展に「罌粟」を出品。
11月第3回霜月会展に「春雪」を出品。
「牡丹猫」を制作。
昭和25年 10月第6回日展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
5月第3回清流会展に「柿若葉」を出品。
5月第4回五月会展に「立葵」を出品。
6月第3回彩交会展に「鮎」を出品。
6月第15回清光会展に「花菖蒲」を出品。
6月第1回東華会展に「折鶴」を出品。
8月一哉堂主催新作展に「鮎」を出品。
9月第1回百二会展に「白桃」「青柿」を出品。
10月第6回日展に「雲」を出品。
11月第4回霜月会展に「初冬」を出品。
昭和26年 1月第2回秀作美術展に「雲」(第6回日展出品)が選ばれる。
11月大宮御所で須田国太郎と共に京都の日本画について御進講。
〔主な作品〕
4月第4回清流会展に「鮎」を出品。
5月第16回清光会展に「樫若葉」を出品。
5月第5回五月会展に「樫の新芽(素描)」を出品。
7月第4回彩交会展に「花菖蒲」を出品。
10月第7回日展に「紅葉」を出品。
10月第2回百二会展に「鮎」「朝顔」を出品。
11月第5回霜月会展に「葱と雀」を出品。
昭和27年 1月第3回秀作美術展に「鮎」が選ばれる。
3月日本橋三越において草人社主催のもとに坂本繁二郎徳岡神泉との三人展を催す。
10月第8回日展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
3月草人社三人展に「早春」を出品。
4月第5回春光会展に「蛤」を出品。
5月第17回清光会展に「筍」を出品。
5月第6回五月会展に「柿」を出品。
5月第1回日本国際美術展に「筍」を出品。
6月第5回清流会展に「鯉」を出品。
6月第5回彩交会展に「鮎」を出品。
11月第6回霜月会展に「清秋」を出品。
12月尚美堂35周年記念展に「水蜜桃」を出品。
12月第3回百二会展に「柿」「桃」を出品。
昭和28年 1月第4回秀作美術展に「鮎」が選ばれる。
4月開催の第5回京展の審査員をつとめる。
引き続き昭和42年第19回まで同展の審査員となる。
〔主な作品〕
4月第2回成和会展に「汀」を出品。
10月第9回日展に「雨」を出品。
この頃「鮎」を制作。
昭和29年 1月第5回秀作美術展に「柿若葉」(第3回清流会展出品)、「筍」(第3回日展出品)、「新雪」(第4回日展出品)、「雨」(第9回日展出品)が選ばれる。
10月大分トキワデパートにおいて福田平八郎デッサン展が開かれる。
10月開催の第10回日展の審査員となる。
〔主な作品〕
4月第4回百二会展に「鱶の鰭と甘鯛」「桃」を出品。
5月第2回皐月会展に「柿若葉」を出品。
6月第7回彩交会展に「游鮎」を出品。
6月第5回茜会展に「洋梨」を出品。
7月第5回東華会展に「桃」を出品。
10月第10回日展に「鯉」を出品。
昭和30年 1月第6回秀作美術展に「雨」(第9回日展出品)が選ばれる。
2月国立近代美術館主催の19人の作家展に「新雪」(第4回日展出品)など5点を出品。
10月開催の第11回日展の審査員をつとめる。
〔主な作品〕
2月第3回昭和会展に「曙」を出品。
3月第1回燦光会展に「春雪」を出品。
5月第3回皐月会展に「筍」を出品。
5月第3回日本国際美術展に「氷」を出品。
6月第8回彩交会展に「清流」を出品。
7月第7回清流会展に「曙」を出品。
8月日本芸術院会員作品展に「竹」を出品。
12月第5回百二会展に「清秋」を出品。
昭和31年 11月スケッチ展シリーズの一つとして福田平八郎写生画展(朝日新聞社主催於銀座松屋)が開かれる。
〔主な作品〕
2月第2回爽竜会展に「白桃」を出品。
4月第9回彩交会展に「罌粟」を出品。
5月第8回京展に「青木(写生)」を出品。
5月第4回皐月会展に「柿若葉」を出品。
6月第7回茜会展に「桃」を出品。
6月第8回清流会展に「鮎」を出品。
7月第2回燦光会展に「花鳥」を出品。
11月の本芸術院会員作品展に「鮎」を出品。
12月第4回成和会展に「林檎」を出品。
「梅若葉」を制作。
昭和32年 1月第8回秀作美術展に「清秋」(第5回百二会展出品)が選ばれたが都合により出陳されなかった。
3月京都府ギャラリーにおいて福田平八郎スケッチ展が開かれる。
10月開催の第13回日展の審査員をつとめる。
11月毎日美術賞10年記念展(毎日新聞社主催於高島屋)に「雨」(第9回日展出品)など5点を出品。
〔主な作品〕
1月第17回半弓会展に「蜜柑」を出品。
3月京都日本画家協会・京都工芸家協会展に「林檎」を出品。
4月日本芸術院会員・受賞者美術展に「茄子」を出品。
4月第10回彩交会展に「筍」を出品。
6月第3回爽竜会展に「新竹」を出品。
7月第3回燦光会展に「立葵」を出品。
7月第9回清流会展に「花菖蒲」を出品。
12月第5回成和会展に「秋」を出品。
昭和33年 1月第9回秀作美術展に「筍」(第10回彩光会展出品)が選ばれる。
3月社団法人日展発足し、その常任理事となる。
 〔主な作品〕
3月高島屋美術部創設50周年記念展に「春雪」を出品。
4月第11回彩交会展に「万年青」を出品。
4月弥生画廊10周年記念展に「鮎」を出品。
6月頃第4回爽竜会展に「鮎」を出品。
7月第10回清流会展に「雪后(雪庭)」を出品。
11月第1回新日展に「水」を出品。
12月第6回百二会展に「桃」を出品。
昭和34年 1月第10回秀作美術展に「雪后(雪庭)」(第10回清流会展出品)が選ばれる。
3月桃山松平筑前に転居する。
5月朝日新聞社主催により、銀座松屋において福田平八郎自選展が開催され、「遊鯉」(大正10年作)など六十余点が展示される。
11月開催の第2回新日展の審査員となる。
〔主な作品〕
3月第6回成和会展に「茄子」を出品。
7月第11回清流会展に「桃」を出品。
12月尚美、古希記念展に「馬」を出品。
昭和35年 1月第11回秀作美術展に「水」(第1回新日展出品)が選ばれる。
〔主な作品〕
3月第1回好日会展に「筍」を出品。
4月第7回成和会展に「鮎」を出品。
5月第8回皐月会展に「罌粟」を出品。
7月第13回彩交会展に「鸚哥」を出品。
7月第12回清流会展に「桃」を出品。
昭和36年 11月文化勲章を受章、文化功労者に列せられる。
12月大分市の名誉市民に推挙される。
〔主な作品〕
3月尚美堂45周年記念展に「桃」を出品。
3月第2回好日会展に「紅梅」を出品。
6月第5回爽竜会展に「春汀」を出品。
6月第14回彩交会展に「菖蒲の芽」を出品。
7月第13回清流会展に「菖蒲」を出品。
10月第20回清光会展に「鮎」を出品。
11月第4回新日展に「花の習作」を出品。
12月善田画廊新築披露展に「桃」を出品。
12月第7回百二会展に「梅」を出品。
昭和37年 5月大分市名誉市民推挙記念、福田平八郎近作展が大分市トキハ文化ホールにおいて開かれ、17点が展示される。(主催は福田平八郎近作展委員会)。
〔主な作品〕
2月第6回燦光会展に「静物」を出品。
3月上田竹栄堂30周年記念展に「鯉」を出品。
3月錦虹会展に「花の習作(春日)」を出品。
12月第8回百二会展に「柏鶯」を出品。
「紅梅」を制作。
昭和38年 1月第14回秀作美術展に「花の習作」(第4回新日展出品)が選ばれる。
9月6日、テイ夫人死去。
〔主な作品〕
2月第6回爽竜会展に「秋晴」を出品。
4月第4回好日会展に「茄子」を出品。
6月和光美術展に「鮎」を出品。
7月第16回彩交会展に「鴛鴦」を出品。
12月第9回百二会展に「鴛鴦」を出品。
「海魚」「鯉」を制作。
昭和39年 1月第15回記念習作美術展に「雨」(第9回日展出品)が選ばれる。
〔主な作品〕
1月第1回京風会展に「淡紅梅」を出品。
4月第5回好日会展に「雪庭」を出品。
5月第2回新椿会展に「若葉」を出品。
5月和光日本画展に「花菖蒲」を出品。
5月第17回彩交会展に「筍」を出品。
6月第16回清流会展に「雪」を出品。
7月スケッチ展シリーズ完結記念50人の画家展に「鮎」を出品。
9月南天子画廊・新秋大家展に「清秋」を出品。
12月第10回百二会展に「紅白梅」を出品。
12月第7回爽竜会展に「爽秋」を出品。
「筍」「鸚哥」を制作。
昭和40年 1月第16回秀作美術展に「筍」(第17回彩交会展出品)が選ばれる。春ごろから下脚部の疲れを覚えるようになる。
〔主な作品〕
1月第2回京風会展に「雪」を出品。
3月第3回春虹会展に「筍」を出品。
4月第25回半弓会展に「鴛鴦」を出品。
6月第18回彩交会展に「躑躅と小鳥」を出品。
6月第17回清流会展に「筍」を出品。
7月和光美術展に「立葵」を出品。
この頃「鴛鴦」を制作。
昭和41年 6月大阪大丸において福田平八郎近作展が開催(主催朝日新聞社)され、「筍」(昭和32年第10回彩交会展出品)より「日盛」(昭和41年第7回好日会展出品)に至る35点が展示される。
 〔主な作品〕
3月第3回京風会展に「熊笹と小禽」を出品。
4月第7回好日会展に「日盛」を出品。
4月撰美堂70周年記念展に「曙」を出品。
5月第4回春虹会展に「筍」を出品。
6月第19回彩光会展に「鮎」を出品。
6月第18回清流会展に「鮎」を出品。
7月山種美術館会館記念展に「鯉」を出品。
10月松豊画廊開廊記念展に「桃」を出品。
12月第12回百二会展に「初雪」を出品。
「初雪」を制作。
昭和42年 6月京都国立近代美術館の近代日本画の名作展に「漣」(第13回帝展出品)、「水」(第1回新日展出品)、「鯉」(山種美術館開館記念展出品)を出品。
夏、下脚部の治療のため、別府温泉で療養する。
〔主な作品〕
1月和光美術展に「雪の朝」を出品。
2月第8回爽竜会展に「白桃」を出品。
2月第4回京風会展に「躑躅」を出品。
4月大丸創業250年記念現代巨匠展に「鮎」を出品。
5月第20回彩交会展に「雉」を出品。
6月第19回清流会展に「鯉」を出品。一哉堂画廊10周年記念展に「鮎」を出品。
11月小田急百貨店全館開店記念展に「白梅小禽」を出品。
12月第13回百二会展に「春の水」を出品。
12月大極会展に「初雪」を出品。
12月第9回燦光展会に「桃」を出品。
昭和43年 6月東京上野松坂屋における読売新聞社主催の明治百年記念・現代の巨匠・文化勲章・文化功労者美術展に「新雪」(第4回日展出品)など3点を出品。
〔主な作品〕
2月第5回京風会展に「鮎」を出品。
昭和43年 4月第28回半弓会展に「清秋」を出品。
7月第20回清流会展に「鮎」を出品。
7月第21回彩交会展に「鴛鴦」を出品。
9月和光美術展に「梅の庭」を出品。
11月皇居新宮殿竹の間に「竹」を描く。
12月第14回百二会展に「日の出」を出品。
昭和44年 3月日展改組に当たり、顧問となる。
4月第21回京展の審査員となる。(以後第22回展、第25回展に審査員として名を連ねる。)
〔主な作品〕
2月第6回京風会展に「日の出」を出品。
5月彩壺会展に「紅梅絞鶲」を出品。
6月第21回清流会展に「錦鯉」を出品。
7月第22回彩交会展に「鯉」を出品。
10月日本芸術院会員展に「鯉」を出品。
12月大極会展に「初日ノ出」を出品。
12月第15回百二会展に「冬」を出品。
「鯉」を制作。
昭和45年 4月大阪大丸における読売新聞社主催の万博記念日本巨匠二十人展に「紅梅絞鶲」など最近作5点を自選して出品する。
〔主な作品〕
2月松坂屋創立60年記念展に「鴛鴦」を出品。
2月第7回京風会展に「春の水」を出品。
3月和光美術展に「鮎」を出品。
3月第2回春光会展に「白梅小禽」を出品。
6月第23回彩交会展に「鮎」を出品。
6月第22回清流会展に「花菖蒲」を出品。
7月祇園会展に「秋晴」を出品。
「桔梗と鶲」を制作。
昭和46年 11月京都市美術館における京都日本画の精華展に「牡丹」(第5回帝展出品)など12点が展示される。
〔主な作品〕
2月第8回京風会展に「若鮎」を出品。
3月和光美術展に「筍」を出品。
4月第11回燦光会展に「若鮎」を出品。
6月第23回清流会展に「新雪」を出品。
昭和47年 1月下呂温泉で療養につとめる。
2月発作で倒れる。
7月国立京都病院に入院。
9月一時通院する。
11月阪神百貨店、伊勢丹本店における読売新聞社主催の日本巨匠展に「遊鮎」(昭和40年)を出品。
昭和48年 10月小野竹喬堂本印象山鹿清華と共に京都市名誉市民として表彰される。これを記念して名作展が京都市美術館で開かれる。
昭和49年3月8日国立京都病院に入院。
3月22日午後6時30分、国立京都病院にて気管支肺炎のため死去。採光院殿照誉春雪馬安大居士をおくられる。従三位に叙せられ、銀杯一組を贈られる。
3月24日松平筑前の自宅で密葬。
4月2日知恩院良正院で告別式が営まれる。
4月9日京都会館において京都市公葬が営まれる。
4月15日大分文化会館において大分市民葬が営まれる。
10月大分文化会館において「福田平八郎 生野祥雲斎をしのぶ作品展」が開かれ、「鯉」(第3回帝展出品)など18点が展示される。
昭和50年 2月東京国立近代美術館に於て福田平八郎遺作展開催される。
3月京都市美術館に於て同展開催。
8月ソ聯より旧首藤定コレクションの内福田平八郎作品42点が日本に返還される。
(本年譜は、遺作展目録に末尾を補足したものです。)

主な参考文献
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単行本
平八郎個展画集 マリア書房 昭和9年
平八郎、桂華二人展画集 芸艸堂 昭和14年
福田平八郎自選 花鳥篇 <現代名画素描集第5輯> 芸艸堂 昭和15年
豊田豊、芳川赳(共著):福田平八郎<現代日本画家評伝> 芸術春秋社 昭和14年 大自然の使徒福田平八郎(豊田豊) 人間福田平八郎芳川赳
横川毅一郎:福田平八郎 美術出版社 昭和24年
座右宝刊行会(編):現代世界美術全集12 日本画篇 河出書房 昭和29年 本文 福田平八郎北川桃雄
座右宝刊行会(編):現代日本美術全集7 角川書店 昭和31年 本文 福田平八郎今泉篤男
福田平八郎<現代画家デッサン> 芸艸堂 昭和31年
藤本韻三(編):福田平八郎<三彩・特製版1> 造形芸術研究所出版部 昭和33年
福田平八郎<現代日本美術全集6> 集英社 昭和48年 本文 福田平八郎の人と芸術(矢内原伊作) 作品解説(竹田道太郎) 平八郎の芸術(今泉篤男)大正の頃(福田平八郎) 自作回想(抄)
福田平八郎<日本の名画27> 講談社 昭和49年 本文 福田平八郎の絵(今泉篤男
難波専太郎:五人の画家 美術探求社 昭和32年 本文 福田平八郎
鈴木進竹田道太郎(共著):日本画とともに―十大巨匠の人と作品― 雪華社 昭和32年 本文 福田平八郎
今泉篤男:現代画家論 美術出版社 昭和33年 本文 福田平八郎の芸術
武者小路実篤:六人の現代画家 真珠社 昭和38年 本文 福田平八郎
藤本韶三:画室訪問 文/藤本韶三 写真/藤本四八 三彩社 昭和44年 本文 福田平八郎
矢内原伊作:芸術家との対話<矢内原伊作エッセイ・5> 雄渾社 昭和46年 本文 福田平八郎氏を訪ねて
定期刊行物
自筆記事
夜叉王のやうに 美術評論 4の2 (昭和10年2月号)
個展の収穫 塔影 11の8 (昭和10年8月号)
富田さんの思ひ出 塔影 12の8 (昭和11年8月号)
富田さんの追懐 美之国 12の8 (昭和11年8月号)
鮎解禁日 現代美術 3の8 (昭和11年8月号)
日本画評 京都新聞 昭和16年12月1日
竹内栖鳳追悼 日本美術 1の6 (昭和17年6月号)
大正の頃 日本美術 2の5 (昭和18年5月号)
私の写生帖(筆録) 三彩 34 (昭和24年9月号)
私の写生―花鳥― 三彩 42 (昭和25年5月号)
「青柿」について 三彩 50  (昭和26年1月号)
技法随想 三彩 54 (昭和26年6月号)
冬の八幡平登り 日本経済新聞 (昭和30年1月24日)
私のスケッチについて<写生帖拝見> 美術手帖 121 (昭和32年2月号)
北野天満宮拝殿の蟇股<美のこころ> 京都新聞 昭和42年6月17日(夕刊)
雪の想い出<特集・雪の絵画> 三彩 225 (昭和43年2月号)
速水御舟「扇面・白梅」<名作とわたし> 京都新聞 昭和45年3月27日
対談
福田平八郎、徳川夢声:問答有用 週刊朝日 (昭和29年12月27日号)
福田平八郎、亀田正雄:日本画に生きる <対談閑話> 毎日新聞 昭和43年1月28日-2月6日
福田平八郎河北倫明:美術対談 秀作美術 26 (昭和44年7月号)
作家論
新人小景 中央美術 12の5 (大正15年5月号) 純情の人福田君(中井宗太郎) 馬平安福田君(奥村久郎)
福田平八郎論 アトリエ 7の1 (昭和5年1月号) 金線の響(西山翠嶂) 福田君に踏ませ度い道(榊原紫峰) 「鯉」以前その他(金鳥桂華) 「南蛮黍」の意味するもの(神崎憲一)
木村荘八:我観福田平八郎 中央美術(復興) 14 (昭和9年9月号)
横川毅一郎:福田平八郎<現代作家人物論・17> アトリエ 12の6 (昭和10年6月号)
牧野虎雄福田平八郎と僕 現代美術 3の8 (昭和11年8月号)
高沢初風:東西画壇の好取組2―竜子関雪、蓬春印象、土牛平八郎 美之国 13の8 (昭和12年8月号)
中村岳陵:卒直の人<人物風景> 美之国 13の11 (昭和12年11月号)
鐘ヶ江現象:福田平八郎先生の印象 現代美術 8の2 (昭和15年3月号)
大口理夫福田平八郎 日本美術 2の3 (昭和18年3月号)
加藤一雄福田平八郎論―知識階級の画家― 美術 8 (昭和19年9月号)
大口理夫福田平八郎論 三彩 5 (昭和22年1月号)
松原叔人:福田平八郎<プロフィル> 美術手帖 1 (昭和23年1月号)
井島勉福田平八郎氏に寄せて 日本美術工芸 113 (昭和23年3月号)
横川毅一郎:福田平八郎 メモワールの中から 馬酔木 29の5 (昭和25年5月号)
福田平八郎<美術人断論> 東京新聞 昭和28年6月2日
河北倫明福田平八郎<人と作品・12> 芸術新潮 5の5 (昭和29年5月号)
三輪鄰:福田平八郎―新日展理事― <作家と生活> 萠春 2の7 (昭和29年8月号)
河北倫明福田平八郎<新作日本画十人集・3> 芸術新潮 6の4 (昭和30年4月号)
今泉篤男福田平八郎の芸術 みづゑ 602 (昭和30年9月号)
横川毅一郎:梅干 三彩 83 (昭和32年1月号)
福田平八郎 三彩臨時増刊 99 (昭和33年4月刊) 福田平八郎の芸術(鈴木進) 自作回想(福田平八郎)或る日の福田平八郎 静閑荘における生活記録から(横川毅一郎) 福田平八郎略年譜
横川毅一郎:日本画作家生い立ちの記3 福田平八郎 真珠 3 (昭和33年6月号)
一万田尚登:福田君と私 真珠 3 (昭和33年6月号)
矢内原伊作福田平八郎<現代を担う人・12> 芸術新潮 9の12 (昭和33年12月号)
特集 福田平八郎自選展 萠春 67 (昭和34年5月号) 福田平八郎加藤一雄) 福田平八郎 初期の作品について(関千代) ある日ある時の福田平八郎 六潮会時代のノートから(横川毅一郎) 制作年譜
鈴木進福田平八郎自選展 三彩 116 (昭和34年7月号)
中村溪男福田平八郎自選展<展覧会評> みづゑ 650 (昭和34年7月号)
富永惣一、寺田透、針生一郎:毎日美術賞十年展・大賞作家の盛衰<座談会> 芸術新潮 10の12 (昭和34年12月号)
福田宗平:福田平八郎<父の一面> 朝日新聞 昭和35年3月20日
河北倫明福田平八郎の近況 真珠 9 (昭和35年5月号)
福田平八郎<ある日ある人> 朝日新聞 昭和36年2月14日
特集 福田平八郎 色鳥 13 (昭和36年3月号) 平八郎芸術の魅力(北川桃雄) 福田平八郎の絵(高橋新吉) 福田平八郎の「鯉」(山口玄珠) 風薫る京の二日―福田平八郎画伯との交歓記―(横川毅一郎) 福田平八郎先生―下鴨時代の想い出―(池田遙邨)
北山桃雄:福田平八郎の実験精神<文化勲章受章者の新作> 芸術新潮 144 (昭和36年12月号)
福田平八郎画伯を訪ねて…<文化勲章に輝く三作家> 日本美術 22 (昭和37年1月号
加藤一雄福田平八郎小論 秀作美術 15 (昭和37年4月号)
加藤一雄福田平八郎所感 萠春 100 (昭和37年4月号)
安東次男:日本人の創造した色 芸術新潮 164 (昭和38年8月号)
橋本喜三:福田平八郎 その人と芸術 日本美術工芸 307 (昭和39年4月号)
加藤一雄:京都画壇周辺帳9 日本美術工芸 315 (昭和39年12月号)
高山辰雄:福田平八郎・先進後進 朝日ジャーナル 昭和40年7月11日号
横川毅一郎:画人青春4 福田平八郎 真珠 20 (昭和40年7月号)
加藤一雄福田平八郎<現代日本の100人> 文芸春秋 43の7 (昭和40年7月号)
福田平八郎近作展<美術メモ> 三彩 204 (昭和41年8月号)
今泉篤男福田平八郎の近作 アート 14の3 (昭和41年11月刊)
原田平作:京都派の作風 京都市美術館年報 昭和40年度 (昭和41年12月刊)
山田竜平:太公望画伯のアユ談義 福田平八郎氏 <ズバリ対談> 京都新聞 昭和42年6月10日
横川毅一郎:草際居閑話(六)―福田平八郎画伯・手製潜水眼鏡の巻―日本美術59 (昭和44年8月号)
山田竜平:福田平八郎 画談涼風 京都新聞 昭和45年7月17日
今泉篤男福田平八郎回想 東京新聞 昭和49年3月25日(夕刊)
追悼・福田平八郎先生 日本美術 107 (昭和49年4月号) 執筆者:池田遙邨(談) 佐々木直比古(談) 河北倫明
福田平八郎の死 <芸術新潮・美術> 芸術新潮 293 (昭和49年5月号)
藤本韶三福田平八郎氏を悼む <南窓雑記・8> 三彩 317 (昭和49年5月号)
村木明:福田平八郎と吉田五十八死去 <美術の話題> みづゑ 830 (昭和49年5月号)
藤本韶三:ソビエトにある福田平八郎作品 <南窓雑記・9> 三彩 323 (昭和49年10月号)
展覧会目録
平八郎自選展 主催 朝日新聞社 昭和34年5月22日-6月3日 東京・銀座松屋
大分市名誉市民推挙記念 福田平八郎近作展 主催 福田平八郎近作展委員会 昭和37年5月1日-5月6日 大分市・トキハ文化ホール
福田平八郎近作展 主催 朝日新聞社 昭和41年6月21日-6月26日 大阪・大丸 福田平八郎の近作 (今泉篤男
福田平八郎 生野祥雲斎をしのぶ作品展 主催 大分県他 昭和49年10月4日-13日 大分市・大分文化会館平八郎画伯の作品(河北倫明
(以上遺作展目録に拠る)

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(275-283頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「福田平八郎」が含まれます。
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