山鹿清華
染織美術の草分け的存在であった文化功労者で芸術院会員の山鹿清華(本名健吉)は、6月26日急性肺炎のため京都市中京区の高折病院で死去した。享年96。1885(明治18)年3月22日京都市に生れた。軍学者山鹿素行の子孫。西陣織に従事していた四番目の兄の影響で、小学校卒業後、織図案家の西田竹雪の内弟子になり、並行して日本画の勉強もする。10年間の年期奉公があけると、図案家として当時の第一人者であった神坂雪佳に師事し、明治末期から大正にかけて、関西図案会・新工芸院・京都図案家協会などの創立に尽くした。現代のファイバーアートのはしりを行く染織美術作品を、撚糸や染など広く内外の染織技法の研究を続けて独自の手織錦を考案、1925(大正14)年のパリ万国装飾美術工芸博で手織錦「孔雀」がグランプりを受け、以後数多くの優作を発表した。1927(昭和2)年の帝展工芸部で手織錦「オランダ舟」で特選、第7回日展出品の「無心壁掛」及び撚糸染法の新生面開拓によって1951(昭和26)年芸術院賞を受賞した。以後日展などの審査員をつとめ、工芸作家の第一人者といわれるに至った。1957(昭和32)年に芸術院会員に、1969(昭和44)年文化功労者に選ばれた。1974(昭和49)年に勲二等瑞宝章受章。
出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(278頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「山鹿清華」『日本美術年鑑』昭和57年版(278頁)
例)「山鹿清華 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9824.html(閲覧日 2024-12-04)
例)「山鹿清華」『日本美術年鑑』昭和57年版(278頁)
例)「山鹿清華 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9824.html(閲覧日 2024-12-04)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1961年06月 現代工芸美術家協会設立
- 1965年11月 第4回生存者叙勲の美術関係
- 1948年09月 工芸作家日展不参加決議
- 1957年01月 芸術院補充会員決定
- 1957年07月 衆議院文教委員会で美術行政を追求
- 1969年10月 文化勲章功労者決定
- 1978年05月 現代工芸美術家協会の分裂
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