堀井香坡
日本画家堀井香坡は、4月18日午後8時14分、老衰のため京都市左京区の松ケ崎病院で死去した。享年93。明治30(1897)年3月9日京都市に生まれ、本名清太郎。大正4年京都市立美術工芸学校を卒業後、京都市立絵画専門学校に進み、同7年同校を卒業する。菊池契月に師事して、大正4年第9回文展に「ねがひ」が初入選。同6年第11回文展にも「雷鳴」が入選し、帝展には第2回よりほぼ毎年出品した。大正9年第2回「鷺娘」、10年第3回「異端の女」、11年第4回「春宵」、13年第6回「童女」、15年第7回「太夫」、昭和2年第8回「山姥」と、大正期の京都画壇に特有の官能性をいくぶんおびた女性像を描く。昭和3年第9回「百万」、4年第10回「夕凪」が連続して特選を受賞、昭和期に入って師契月風の端正な美人画を描くようになる。5年の第11回帝展より無鑑査出品し、6年第12回「夏日遊戯」、8年第14回「夏日清遊」などを出品し、「南島暮色」を出品した9年第15回帝展で審査員をつとめている。また18年第6回新文展「傘蓋行道」、19年戦時特別展「将軍閑日」などの歴史画も発表。戦後は昭和25年第6回日展からしばしば招待出品し、31年第12回日展「熊野」などを出品。日展への出品は、昭和42年の第10回新日展「舞妓」が最後となった。悠采会、菊重社などに所属し、古美術の収集にも関心を持っていた。
出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(291頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「堀井香坡」『日本美術年鑑』平成3年版(291頁)
例)「堀井香坡 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10364.html(閲覧日 2024-09-14)
例)「堀井香坡」『日本美術年鑑』平成3年版(291頁)
例)「堀井香坡 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10364.html(閲覧日 2024-09-14)
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