河北倫明
美術評論家で文化功労者の河北倫明は10月30日午前3時45分心不全のため、東京都文京区の順天堂病院で死去した。享年80。大正3(1914)年12月14日福岡県浮羽郡山春村に生まれる。久留米市立篠山尋常小学校を経て、昭和6(1931)年福岡県立明善校を修了。同10年旧制第五高等学校を卒業して京都帝国大学文学部に進学し、同13年同大哲学科を卒業して同大学院に進学する。同18年帝国美術院付属美術研究所(現・東京国立文化財研所)助手となり、日本近代画家の調査・研究に取り組む。戦後、同23年ころより日本近代美術史に立脚した現代美術評論活動を盛んに行うようになった。同23年同郷の洋画家青木繁の調査・研究成果として『青木繁』(養徳社)を刊行。また、同年『近代日本画論』(高桐書院)を刊行して、個々の作家、作品についての調査・研究に基づぎながら、史的流れのうえにそれらを位置づける日本近代絵画史の新たな方向を提起した。同27年国立近代美術館(現・東京国立近代美術館)事業課長となり、日本で最初の近代美術館の運営に尽力。また、美術評論の分野でもその活性化と相互の連絡を目的として同29年美術評論家連盟を結成し、事務局長に就任した。同38年3月東京国立近代美術館次長となる。同42年5月美術交流展覧会のためソヴィエト連邦を訪れる。以後も、美術による国際交流のため中国、西欧、アメリカ、南米等を訪れる。同44年2月京都国立近代美術館館長となって、関西方面の美術館活動にも深く関わるようになり、同45年大阪万博では同博覧会美術館委員をつとめた。同57年美術館連絡協議会理事長に就任し、歿するまで全国の美術館運営、学芸員の調査・研究の奨励に寄与した。同61年10月より平成6(1994)年まで美術評論家連盟会長をつとめる。昭和61年京都国立近代美術館館長を退き、京都芸術短期大学の設立に尽力して翌62年6月同大学学長となった。平成元(1989)年1月より同4年6月まで横浜美術館館長をつとめ、この間同3年より同7年3月まで京都造形芸術大学学長をもつとめた。また、平成元年私財を投じて全国の若手の美術館学芸員、美術研究者の活動を支援すべく「倫雅美術奨励賞」を創設。同5年より式年遷宮記念神宮美術館館長、同7年より京都造形芸術大学名誉学長となった。主要著書に『日本の美術』(昭和33年 社会思想研究社出版部)、『大観』(同37年 平凡社)、『村上華岳』(同44年 中央公論美術出版)、『坂本繁三郎』(同49年 中央公論美術出版)、『河北倫明美術論集』全5巻(昭和52-53年 講談社)、『近代日本絵画史』(高階秀爾と共著 昭和53年中央公論美術出版)、『河北倫明美術時評集』全5巻(平成4-6年 思文閣出版)がある。
出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(328頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
例)「河北倫明」『日本美術年鑑』平成8年版(328頁)
例)「河北倫明 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10708.html(閲覧日 2024-10-07)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1960年05月 中国で現代日本画展を開催
- 1961年05月 丸善石油、芸術奨励賞を設ける
- 1963年03月 国立近代美術館京都分館設立
- 1965年02月 文部省の買上作品決定
- 1965年10月 在外日本作家展
- 1965年12月 芸術議員連盟の初仕事「日本芸術見本市」の国内展示
- 1949年03月 美術評論家組合結成
- 1959年09月 文部省、優秀美術品買上制度を設ける
- 1969年02月 京都国立近代美術館長決まる
- 1971年08月 円空学会設立
- 1972年02月 第1回平櫛田中賞
- 1972年03月 安井賞
- 1973年09月 「国立国際美術館」
- 1982年12月 美術館連絡協議会発足
- 1986年04月 国立美術館に新館長就任
- 1986年06月 明治村賞決定
- 1988年11月 第1回北野美術館大賞決定
- 1989年03月 横浜美術館開館
- 1991年04月 京都造形芸術大学開校
- 1991年05月 横浜美術館でゲストキュレーター制度
- 1991年10月 文化勲章、文化功労者決定
- 1992年11月 第4回倫雅美術奨励賞決定
- 1993年11月 第5回倫雅美術奨励賞決定
- 1994年11月 第6回倫雅美術奨励賞
- 2006年11月 倫雅美術奨励賞受賞者決定
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