小林徳三郎
春陽会々員小林徳三郎は、4月19日豊島区の自宅で急逝した。享年66。明治17年広島県に生る。幼名藤井嘉太郎、後母方の伯父小林徳三郎の養子となり、襲名す。号天徳堂。明治42年東京美術学校を卒業、大正元年フユウザン会の創立に加わり、これに出品した。その後島村抱月の芸術座の舞台装飾主任となり、大正5、6年頃に至つた。同8年院展洋画部に「鰯」を出品、その後同展に発表した。大正12年春陽会第1回展に「鰯」その他を出品、その後毎回出品、大正15年同会々院に推された。昭和8年以来病に罹り、房州館山に療養生活の傍ら制作した。同11年帰京、同14年頃から多く江の浦に滞在、多数の作品を生んだ。昭和20年戦災のため箱根強羅に移り、同24年帰京したが、この年急逝した。その主な作品に「子供」(昭和2年)「金魚を見る子供」(同3年)「小卓子」(同6年)「へちま」(同7年)「窓辺の子供」(同11年)「河口湖夕照」(同15年)「江の浦残照」(同16年)「郊外落日」(同24年)等がある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「小林徳三郎」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)
例)「小林徳三郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8700.html(閲覧日 2024-12-05)
例)「小林徳三郎」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)
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