村上華岳

没年月日:1939/11/11
分野:, (日)

日本画家村上華岳は宿痾の喘息のため11月11日逝去した。享年52歳。本名震一、明治21年7月大阪に生れた。京都市立美術工芸学校を経て、同44年京都絵画専門学校を卒業、大正7年同志と共に図画創作協会を創立し、活動を続けたが、同15年同会を離脱し、爾後一切の団体より完全に独立した。
 作家として生来特質を強く備へ、既に初期の時代より洋の東西を問はず画風を摂取して、独自の感覚を示した。「夜桜」には就中浮世絵研究の跡が窺はれる。41年文展に「驢馬に夏草」を出して3等賞となつた。其の後第10回文展に特選となつた「阿弥陀」、国展出品の「裸婦」に及んで、独自の勁い線描の発展があり、印度及び西欧壁画の影響が認められる。而して「裸婦」は出品画的大作の最後のものであり、後半生は絶えざる闘病生活となつて比較的小品画のみが作られた。白描の仏画、没骨による花卉及び風景画には此の作者独自の画風が生じ、その仏教的な思想を反映しつつ時には晦渋とも見える主観的な作品を生むに至つた。美術団体に属さぬところから、後年の制作で公表されずに個人の所蔵に帰したものは尠くない由である。
略年譜
明治21年 7月大阪に生る、武田誠三の長男、武田震一
明治28年 神戸小学校に入学、神戸村上家に寄居
明治34年 同校卒業、京都美術工芸学校に入学
明治37年 村上家を嗣ぐ
明治40年 美術工芸学校卒業
明治41年 第13回新古美術品展「木枯」4等、文展第2回「驢馬に夏草」3等
明治42年 第14回新古美術品展「春の雨」4等。京都絵画専門学校設立、入学
明治44年 第16回新古美術品展「早春」3等、文展第5回「二月の頃」褒状、京都絵専第1回卒業、入江波光榊原紫峰土田麦僊小野竹喬等同期生
大正4年 文展第9回「春耕図」
大正5年 文展第10回「阿弥陀」特選
大正6年 文展第11回「白頭翁」、選外
大正7年 1月、入江、土田、榊原、小野、野長瀬等と国画創作協会創立、国展第1回「聖者の死」
大正8年 国展第2回「日高川」
大正9年 国展第3回「裸婦」
大正11年 巴里日本美術展「CINTAMANICAKRA」出品
大正12年 京都を去り阪神沿線に住む
大正13年 国展第4回「説法の図」「八重橋」「瓜茄残暑」
大正14年 国展第5回「松山雲煙」
大正15年 久迩宮家へ献上画。以後一切の美術団体を離脱
昭和10年 帝院改組に際し無鑑査推挙、所蔵家により東京永楽倶楽部にて5月個展
昭和11年 中井宗太郎主催で京都美術倶楽部にて個展開催
昭和12年 三聖代名作美術展へ「山」(連作)出品
昭和14年 11月11日没
画集―「華岳画集」(大正12年発行)、「華岳画集」(大正14年発行)「華岳画集」(大正15年発行)「華岳画譜」(昭和6年発行)「華岳画襍」(昭和14年発行)

出 典:『日本美術年鑑』昭和15年版(122-123頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「村上華岳」『日本美術年鑑』昭和15年版(122-123頁)
例)「村上華岳 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8479.html(閲覧日 2024-04-19)

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