高岡徳太郎

没年月日:1991/10/10
分野:, (洋)

一陽会常任委員の洋画家高岡徳太郎は、10月10日心筋こうそくのため東京都武蔵野市の病院で死去した。享年89。一陽会の創立会員であり、また、マネキン人形やインテリアの制作会社ノバマネキン社々長をつとめ、陶器の制作も行うなど多面な活動を展開した高岡は、明治35(1902)年7月27日大阪府堺市に生まれた。はじめ、大阪天彩画塾で松原三五郎に洋画の手ほどきを受けたのち、大正13年には、大阪信濃橋洋画研究所へ通い小出楢重に師事した。同年の第11回二科展に初入選した。また、岡田三郎助が指導する本郷絵画研究所へ通ったこともある。昭和6年、第18回二科展に「I氏立像」で二科賞を受賞し二科会友となる。同9年林武とともに靖国丸で渡欧、翌年にかけパリでは自由研究所へ通った。同10年の第22回二科展に「踊り子」「田舎」「モンスリー公園」他の滞欧作品を特別陳列し、翌年二科会会員に推挙された。戦後は東郷青児らと二科会を再建し、同28年の第38回二科展に「岩」で会員努力賞を受けたが、同30年の二科展開催前に鈴木信太郎野間仁根等と同会を脱退して新たに一陽会を結成し、同会委員(同48年)、常任委員をつとめた。一陽会展への出品作に「朝顔」(1回)「海」(2回)「裸婦」(4回)「犬吠岬の海」(9回)「夏の山A」(15回)「海からの道」(20回)「漁村の晴日」(25回)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(304頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「高岡徳太郎」『日本美術年鑑』平成4年版(304頁)
例)「高岡徳太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10420.html(閲覧日 2024-04-26)

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