独立美術協会声明

1937年09月

独立美術協会では先頃から林重義曽宮一念伊藤廉里見勝蔵妹尾正彦、田中行一の六会員が脱退し、其の動揺が危まれてゐたが九月二日左の声明書を発表して会の態度を明かにした。 「今回本協会に於いて、数人の脱退者を生じたるは誠に遺憾とすれど吾等は飽くまで一致団結、創立当初の精神に基き総ゆる絵画上の主義思想の厳正批判上に、大観的態度を持し我国美術興隆の為、献身努力するに毫も変りたることなし。こゝに敢へて吾等の決意を声明す。」

文展審査員決定

1937年08月

文部当局では曩に決定発表した本年度文展審査員の人選に基き各人に受諾を交捗中であつたが、第二部では金山平三牧野虎雄南薫造安井曽太郎の四名が辞退した為、改めて帝国芸術院会員中沢弘光を審査主任に推し八月十六日其の受諾を得、他の部には問題なく全審査員を決定した。

京都美術家クラブ創立

1937年08月

京都に於ける美術家の相互親睦の機関として京都美術家クラブが結成され、八月十九日夕朝日ビル内アラスカで発会式が行はれた。各部内に於ける主要作家を綱羅し、会員約八十名である。

日本万国博建国記念館設計懸賞募集

1937年08月

皇紀二千六百年を記念する日本万国博覧会の会場計画は同事務局工営部に於て着々進められてゐるが、其の会場中央に聳立すべき建国記念館の設計は、其の図案を一般から懸賞募集することに八月十一日会場計画委員会に於て決定し、其の募集規程を発表した。紀元二千六百年を記念すべき永久建造物とし、日本精神を象徴した壮厳雄大なるもの、建築費約百五十万円、内部には便殿、貴賓室、集会ホール、食堂等の外絵画陳列室を設ける予定とする。賞金は一等一名三千円、二等二名各千五百円、三等四名各八百円等で締切は本年十一月一日である。

工芸指導所拡充

1937年08月

商工省では工芸指導所を拡大、本所を仙台より東京に移し新に関西に支所を置き、全国に対し工芸品の試験研究、原材料の品質鑑定、製作技術の伝習講話、新製品の意匠図案配布等に当ることとし、新に技師二名、技手二名を増員、新設事務の為準備に着手することとなつた。而も従来其の仕事が木工、金工等に限られてゐたものを広く工芸品一般に及ぼし、組織の拡充と相俟つて活溌な活動を起すこととなつた。右に依る工芸指導所官制改正の勅令は八月十三日官報を以て公布された。尚東京、関西共今年中に敷地を選定、来年度より新庁舎建設に着手の予定である。

第三部会小倉右一郎と絶縁

1937年08月

反官展を標榜する旧帝展系彫刻団体第三部会では八月十日同会々員小倉右一郎と今後絶縁する旨を声明した。彼が本年度文展審査員に選ばれて之を受諾した為である。

ラスキン資料蒐集家破産

1937年08月

ジヨン・ラスキンの研究家として、且つラスキンに関する資料蒐集家として聞えた御木本隆三は、ラスキン文庫、喫茶店ラスキン等の事業経営から財政上破綻を来し、莫大な負債の為終に八月十日破産の宣告を受け、一切の蒐集品は家財と共に管財人の手に移されることとなつた。

世界教育会議開催

1937年08月

世界聯合教育会主催第七回世界教育会議が八月二日より七日迄東京帝大安田講堂に於て開催され各国の教育関係代表者一千余名、日本側代表者二千名出席、会議の外に我が国文化芸術等を認識させる為種々の招待、参観等が行はれた。

第二部会協議

1937年07月

第二部会では会員中文展審査員の諾否を決する為七月二十九日夜マーブルで総会を催し参集者等協議を行つたが、出席者が全会員の半数に充たなかつた為八月二日改めて総会を開くこととした。

安井曽太郎審査員辞退

1937年07月

文展審査員に選ばれた安井曽太郎は之に対する態度決定を保留してゐたが、七月三十日夜所属一水会々員協議の結果に基き、審査員辞退を申出た。

美術調査会計画さる

1937年07月

文部省では本年文展開催に関し細川侯爵等五名の顧問に意見を徴し之に基いて其の大綱を決定したが、尚無鑑査制度等将来に残された問題もあり、美術行政に就ては今後益々整備を必要とするもの多き為、各方面の権威者を集め美術に関する審議機関として美術調査会を新設すべく計画中なる旨七月二十七日発表された。

南薫造審査員辞退

1937年07月

本年度文展審査員第二部主任に推された南薫造は七月二十九日書面を以て審査員辞退を申出た。

文展審査員及無鑑査決定

1937年07月

文部省では今秋開催予定の文展審査員の人選を了し、七月二十七日午後審査員五十六名(第一部十五名、第二部十五名、第三部十三名、第四部十三名)の氏名並に審査員長及び各部主任の氏名を発表、又無鑑査資格者は本年度に限り昭和十一年度文展に招待を受けた者並に同展に文部大臣賞を受けた者二名として之を発表した。

日本美術院献金

1937年07月

日本美術院では七月二十三日同院基本金中より金七千円を立替支出して東朝社に託し、軍用機献納資金中に寄贈した。立替金は十月を期し同人一同から作品を提供之を填補することとした。