新美術人協会結成

1938年02月

昭和九年以来新日本画樹立を目指して研究を重ね来つた新日本画研究会員は、その目的達成の為新美術人協会を組織し五月第一回公募展を開くこととなつた旨二月十一日発表した。

岡田三郎助に寿像を贈呈

1938年02月

昨年文化勲章拝受の光栄を記念し、知人、門下等五百余名が岡田三郎助に寿像を贈ることとなり二月十五日東京府美術館でその贈呈式をあげた。像は和服姿の坐像で吉田久継の作になる。

京都陶磁器輸出振興会設立

1938年02月

京都陶磁器の積極的な海外新市場の開拓及輸出増進を図る為京都陶磁器工業組合では、協議の結果加盟当業者を以て同組合輸出部内に京都輸出陶磁器振興会を組織することとなり、二月十五日その発会式を兼ねて府、市、関係者その他参集懇談協議する所があつた。

絶対象派協会結成

1938年02月

前衛派作家等によつて組織されてゐた黒色展はこの程解散されたが、その旧同人その他五名は絶対象派協会を結成し、二月六日発会式をあげた。

憲法発布五十年祝賀式記念画

1938年02月

二月十一日帝国議会議事堂で憲法発布五十年祝賀式が盛大に挙行され、秩父御名代宮殿下の勅語御捧読以下の盛儀が行はれたが、貴族院ではこの歴史的光景を油絵にして永く伝へることとなり、委嘱を受けた伊原宇三郎は当日同式場を拝観、油絵によるスケツチを行つた。

日本万国博覧会準備

1938年01月

昭和十五年に開催予定の紀元二千六百年記念日本万国博覧会準備は着々進捗し、一月二十五日同博覧会規則を制定発表、同時に国務大臣、内閣参議、枢密顧問官、枢、貴、衆三院正副議長等五十五名を名誉顧問に推挙した。又同博覧会の主標として建設し永久に伝へんとする肇国記念館は、旧冬募集した一等当選作の設計に多少の変更を加へることとなり、その敷地は月島埋立四号地正面に内定した。

日本画会解散

1938年02月

明治三十年創立以来四十年間に亙つて存続し、毎春展覧会を開催して来た日本画会は、時代の推移に伴ふ四囲の都合上解散することとなり、二月一日会員総会を開いて之を決定、諸方面に挨拶状を発送した。

印度奥地に日本風宮殿建設

1938年01月

印度パテイアラ王国のマハラジヤーが日本風の庭園及び宮殿造営の希望を有し、適当な技師派遣につき昨春カルカツタ駐在米沢総領事に斡旋を依頼したので、爾来外務省文化事業部と国際文化振興会とでその実現方を考究中であつたが、人選の結果建築家谷一東と造園家西川浩の両名を委嘱同会より派遣することとなり、両名は一月十二日出発した。

美術調査会報道さる

1938年01月

文部省では美術行政一般に関する根本的方策考究の為美術調査会設置の意向なる旨昨夏発表する所があつたが、近く成案を得て実現することとなつたとの報道が一月五日諸新聞紙上に伝へられた。

海軍従軍画家

1937年12月

洋画家小林喜代吉、斎藤文人は海軍に従軍、夫々十二月上旬及び下旬上海南京方面或は北支方面へ向つた。 

岡田三郎助、藤島武二御下命作品奉納

1937年12月

昭和三年聖上陛下が赤坂離宮より宮城へ遷御の御祝として皇太后陛下より御贈進遊ばさるる油絵の御下命を拝した岡田三郎助、藤田武二の両作家は爾来苦心製作中であつたが漸く完成し、十二月二十六日大宮御所に奉納、同御所より直に宮城へ御贈進遊ばれた。

金使用規則発布

1937年12月

大蔵省では金使用規則を制定し、十二月二十八日省令第六十号を以て同日附官報で公布した。其の要点を記せば、金を用ひたる製品(金箔、金糸、金粉等を除く)で其の金の品位千分中三百七十六(九金)を超えるものは当分の内製造を禁ずる。但し工業用、医療用等必要已むを得ぬものは大蔵大臣の許可を得て除外される。金又は金箔、金糸、金粉、金液は当分の内?風、襖、額縁其の他表装用、天金、金文字等装幀用、其の他広告、印刷、標識等の用途に用ひることを禁ずる。但し之も大臣の許可に依り除外例が認められる。其の他金使用の製造業者に対する届け出で等を規定したものである。

空チユーブ献納

1937年12月

鈴木千久馬の主宰する四元荘では美術家報国運動として絵具の空チユーブを集めてゐたが、南京陥落を一段落として之を打切り、全国洋画家百六十四名から集つた五十三貫余の売上総額五百五十余円を、十二月十一日陸軍省に献納した。

小国民道場竣功

1937年12月

皇太子殿下御降誕記念事業として東京府が麻布区盛岡町の高松宮御下賜の敷地に建設中であつた小国民道場は此の程竣工し、十二月一日開館式を挙行した。養正館本館と呼ばれる道場の階上は国史絵画館とし、日本画及び洋画諸家の執筆になる国史画七十七図を掲げる。絵画は未だ全部完成に至らなかつた。

奈良美術家連盟献画

1937年11月

奈良美術家聯盟では海軍戦傷兵慰問の為十一月二十五日会員作油絵七点を寄贈した。

年賀電報紙図案作製

1937年11月

逓信省では来春の年賀慶祝電報用紙の図案を左記三作家に依嘱作製した。杉浦非水のは富士に双鶴、石井柏亭のは瑞雲に燕と松竹月桂樹、松岡映丘のは蓬莱山に鶴と亀とを配したもので、之等は年賀のみならず一般慶祝にも用ひる。又別に年賀用として逓信博物館で勅題干支等に因むもの三種を作つた。