稲香画塾の献画
1937年11月名古屋森村宣稲の稲香画塾では同地陸軍病院に在る傷病兵慰安の為、宣稲初め門下生一同が各々作品一点宛総数百十五点を同病院に寄贈、十一月十一日之を了した。
名古屋森村宣稲の稲香画塾では同地陸軍病院に在る傷病兵慰安の為、宣稲初め門下生一同が各々作品一点宛総数百十五点を同病院に寄贈、十一月十一日之を了した。
予て設計図案懸賞募集中であつたが応募図案一〇八通に就き十一月十一、十二両日審査の結果左の通り当選者が発表された。 一等高梨脇重、二等一席同上、同二席清岡宏彩、三等一席佐藤重夫、同二席片山節義、同三席永井孝直、同四席阿部庄吉、選外佳作六名
明治初年来朝して我が陶業界に偉大な功績を遺したワグネル博士(Dr. Gottfried Wagener)を記念する為同博士記念事業会が組織され、東京工業大学庭内に記念碑建設中であつたが、十一月八日午後二時から多数来賓出席の下に盛大な除幕式が行はれた。尚同日午前青山墓地で墓前祭、夜は丸之内電気倶楽部で記念講演会が催された。
春陽会々員及会友等は作品三十七点を集め、陸軍病院に収容中の傷病兵慰問に寄贈した。
京都及大阪の南画家二十余名に依つて新団体日本新興南画院が結成された。
予て旧地所に新築中であつた東京美術倶楽部が竣工し十一月三日落成祝賀の会を開いた。
京都市では市制五十年記念として、明年三月大規模な博覧会を開催すべく予てより諸般の準備を進めてゐたが、時局に鑑みて一箇年延期する事に決し、十月三十日正式に発表した。
洋画家古島松之助、三国久、高橋亮、清水登之は何れも海軍に従軍を許され十月中旬或は下旬上海方面に向つた。
文部省では国民精神総動員運動の一として数種のボスターを製作したが、其の図案は竹内栖鳳、横山大観も執筆寄贈し、其の他東京美術学校、東京高等工芸学校に依嘱して作製、二十余万枚を印刷の上全国に配布した。
パリ万国博覧会日本館設計者坂倉準三に対し同博覧会当局は十月二十二日建築特別賞を授与した。
安井文相辞職の為、侯爵木戸幸一が後任として十月二十二日文部大臣に親任された。
明朗美術聯盟を脱退した十名の作家は十月一日新団体新国画協会を結成、左の宣言を発表した。年一回公募展開催の予定である。 「宣言 吾等は新国画協会を組織し日本精神の本義に基き新興日本絵画の確立を期す」
従軍画家岩倉具方は十月十四日上海方面戦線に於て敵弾の為戦死を遂げた。
落合朗風の歿後明朗美術聯盟同人間に意見の相違を生じ荒井草雨、井上陵華等の同人盟友七名は九月二十二日左の声明書を発して同聯盟を脱退した。 「声明書 現今の明朗美術聯盟内の情勢に於て吾等は自己の芸術主張並に経営に付相容れざるものあり同人として其職責を遂行し能はず故落合朗風氏の盟約に対し自責の念に堪へず茲に脱退を声明す。」
オリンピツク東京大会のポスターは予て懸賞募集中であつたが、九月二十四日満鉄ビル内で審査を行ひ応募約二千点の中一等より三等迄の当選を左の如く決定した。 一等京都黒田典夫、二等東京山名文夫、同赤羽喜一、三等京都加藤清澄、東京脇田和、大阪荒川寅一。
皇紀二千六百年を記念して肇国の理想に則り、我が国文化の綜合進展と其の中外宣揚等を目的とする官民合同の中央的機関を設置すべく、馬場鍈一、岡部長景子、小山松吉、松本学、香坂昌康等二十四名の発案に依り、種々具体案の研究が重ねられてゐたが、政府に於て補助金十五万円の支出も決定した為、組織、事業等に関し文部省とも緊密に聯絡の上八月八日?町区内幸町大阪ビルデイングに設立発起人会を開催、寄附行為、事業要綱、役員等を議決聯盟の設立を決定し、九月十七日財団法人の設立許可を得て正式に結成された。会長島津忠重公、副会長桜井錠二、理事長小山松吉、常務理事伊東延吉、伊賀良一、井上庚二郎、松本学等の役員を置き日本文化の全般に亙り、研究、宣揚、奨励等に関する頗る広汎、大規模な事業が計画されてゐる。
昭和十年七月帝国美術院改組に反対し、旧帝展第二部無鑑査の作家に依つて結成された第二部会は、九月二十日丸之内マーブルに会員総会を開いて協議の結果、既に同会の使命を畢りたるものとし其の解散を決議した。
文部省では新な機構になる文部省美術展覧会規則を制定し九月十一日官報を以て告示、併せて審査員委嘱を発表した。
日本美術院々友茨木衫風、保尊良朔、吉田澄舟、田中案山子、内田青薫、小林三季、小林巣居、鬼原素俊、芝垣興生、森山麦笑、鈴木三朝、菊池公明の十二名は九月十七日左の声明書及び宣言を発して、日本美術院を脱退すると共に新興美術院を結成した。春秋に公募展及び同人展を開く予定である。 「声明書 吾等今日感ずるところあり日本美術院を去ることとなりました。その理由とするところは芸術上の批判を日本美術院の責任にかけず各自の責任となし精進努力以て画徒としての完成をみたいからであります。吾等は日本美術院の院友として永らく切なる指導を賜はり共の恩恵の深きこと慈父の如く克く凡才非力の吾等を育くみ院の一員として今日まで鞭撻激励を賜はりたることはひとしく先輩諸先生に感謝するところであります。 宣言 茲に吾等結束を固め新興美術院を起し自由拘束なき新興清新なる芸術を揚達し以て美術界に臨む所以であります。 昭和十二年九月 新興美術院同人(十二名連名)」
本年四月創刊の美術雑誌「国民美術」主幹石田幸太郎は六月同誌と絶縁し、九月五日美術雑誌「美術時代」を創刊した。