松本城復元完成

1955年10月

松本城の修理工事が五年ぶりに完成、一日落成式典が行われた。天守二階の窓が五間連続のものとなり、渡櫓・乾小天主一、二階の西、北側にあつたガラス窓、月見櫓の縁の勾欄を復元し、乾小天主四階の西、北の窓を華頭窓に復元したことが、以前に比較して変つた点である。

雑誌みづえ創刊五〇周年記念展

1955年10月

美術出版社発行の雑誌「みづゑ」が明治三八年創刊されてから五〇周年を迎え、その記念に一日から同社主催で「日本洋画名作展」が日本橋高島屋に開催された。

文化勲章選考委員決る

1955年09月

昭和三〇年度文化勲章ならびに文化功労者選考委員一〇名を二三日閣議で決定した。 委員左の通り 国立近代美術館次長今泉篤男、慶応大学々長潮田江次、芸術大学音楽学部長加藤成之、東大教授茅誠司、大妻女子大学長河原春作、芸術院会員久保田万太郎、東京都立大学長柴田雄次、文化財保護委員会委員長高橋誠一郎、早大文学部長谷崎精二、東京慈恵医大学長寺田正中

欧州各地で「日本書道展」開催

1955年09月

最近の欧米に於ける日本書道に対する関心にこたえ、オランダ、アムステルダムを皮切りに欧洲各地に「日本書道展」を開催した。一一団体八九作家の作品一一五点がえらばれ、発送前八月二〇日から九月四日まで国立近代美術館で、欧洲出品記念展が行われた。

メキシコ美術展開く

1955年09月

日墨文化協定成立を記念して、メキシコ芸術院、東京国立博物館、読売新聞社主催で「メキシコ美術展」が一一日から一〇月二〇日まで東京国立博物館で開催され千三百余点の作品が陳列された。

文部省人事異動

1955年09月

文部省では六日寺中社会教育局長のパリ駐在文化使節転出を初め大幅の人事異動を発令した。

「日本工芸会」発足

1955年08月

無形文化財に選定された京都在住の作家によつて結成された日本工人社が発端となり、この組織を全国的に拡大しようと、さきに同社を解散し、新らたに社団法人組織として結実したものである。工芸家の統一組織としては初めてのもので、会員五九名。

平和祈念像除幕式

1955年08月

かねて四年有半を費して長崎に建設中の平和祈念像が原爆一〇周年記念日の九日を前に八日爆心地浦上平和公園で、各関係者参集の上除幕式が挙行された。この像は一三尺の台座に座る三丈二尺のブロンズ男像で、制作は北村西望による。

美術映画「広重」文部省選定になる

1955年08月

東京都教育委員会企画、北欧映画製作の美術映画「広重」(四巻)は、英語版も製作され、最近欧米でも公開されているが、今度文部省選定、優秀映画鑑賞会推薦となつた。

サンパウロ国際建築展に早大入賞

1955年08月

ブラジル、サンパウロの国際建築展に出品した早稲田大学建築科学生の作品「三千人の勤労者の家族が一ケ月間、休暇で過せるような水辺にある休養施設」(課題作)は一等賞を獲得した。

平城京跡発掘

1955年08月

平城京跡の発掘は、奈良国立文化財研究所を中心に一日から開始、一三日終了した。一〇年計画の第一年目で、本年度は朝堂院内大極殿跡東南の回廊角約一〇〇坪を調査し、大極殿東側回廊は梁間二〇尺、柱間一二尺の複廊であることが判明した。

第一回毎日産業デザイン賞

1955年07月

我国産業デザインの向上を目的として、「毎日賞」の中に新しく今年度から設定されたもので、年度内に於ける商工業デザインを通じて最も優秀と認められる作家および団体の顕著な業績に対し、毎年授賞される。今年度(昭和三〇年度)の受賞者は左の通りで二三日受賞式を行つた。 特別賞―国井喜太郎(工業デザイン部門)、山名文夫(商業デザイン部門) 作品賞―小杉二郎(工業デザイン部門「松田三輪トラック、蛇の目ミシンその他」)、早川良雄(商業デザイン部門、「年間を通じての一連の作品」)

鳳凰堂扉絵の落書発見

1955年07月

修理の為解体中の平等院鳳凰堂の扉絵の縁板の下から戯画が発見された。上品中生来迎図を主題とした正面右側の扉の内南側のふち板の下から発見されたもので、人物一三人と花卉が描かれている。変化にとんだ姿態、風俗がいきいきと描かれ、同時代の下層階級の風俗資料の貴重な例として話題をよんだ。

四天王寺遺構の発掘調査

1955年07月

文化財保護委員会と大阪府教育委員会では、大阪四天王寺の発掘調査を四日開始した。三ケ年の継続事業として東京国立博物館石田茂作、東京大学藤島亥治郎、東京国立文化財研究所福山敏男らが参加する調査団が当り、今年は現状実測図の作製、金堂跡、南大門跡の発掘を行い、八月二日その第一年度を終了した。

ベルリンで現代日本木版画展開く

1955年06月

日本美術家連盟とドイツ芸術家協会との共催による「現代日本木版画展」が二六日から七月一七日までベルリンに於いて開催され、日本からの六作家六〇点の作品が陳列された。

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