東京都美術館々長更迭
1955年06月一五日付東京都教育庁異動により、東京都美術館々長杉山司七は勇退し、早川治平が替つて就任した。
一五日付東京都教育庁異動により、東京都美術館々長杉山司七は勇退し、早川治平が替つて就任した。
朝日新聞社の主催により一一日から七月四日まで愛知県美術館で日本美術史展が開催された。ルーヴル展の会場構成に刺戟された新しい立場から企図され、その設計には谷口吉郎、吉村順三、吉阪隆正の三人が当つた。第一期を上古から奈良朝までとし、第二期を平安から室町までとして九月二七日から一〇月二五日まで同館で開催された。
一〇日から二ケ月半に亙つてスウエーデンのヘルシングボルグで開かれた「International Exhibition of Industrial Design, Housing, Homefurnishings, Crafts.」に、今年はじて日本も招待をうけ、欧米諸国にまじつて、モデル・ルームを設けて工芸品と家具類を出品した。
一〇日から一ケ月間、パリで開かれた国際警察美術展に、日本の芹田英治書記の「夜の孤独」が四位に入選した。
東山高台寺境内に、高さ七丈五尺、鉄筋コンクリート製の大観音が建立され、場所柄賛否両論が沸いたが八日開眼式が挙行された。某実業家の建立になるもので牧渓の白衣観音をモデルに山崎朝雲が製作にあたつた。胎内に今大戦の戦歿者二〇〇万の霊をまつる。
ブリヂストン美術館ではアメリカの文学者で水彩画もよくするヘンリー・ミラーの作品四〇点を七日から二六日迄陳列した。
二日、フランス政府から日仏文化交流の功労者にレジョン・ド・ヌール勲章を贈る旨伝達があつたが、美術関係者では東京国立博物館長浅野長武にオフイシェー章、同次長田内静三にシュヴアリエ章が贈られることになつた。
日本建築学会では二一日春季大会を開催「昭和二九年度日本建築学会賞」を発表した。 論文―「日本住宅史の研究」太田博太郎、後藤一雄、原田有、平賀謙一、吉武泰水 作品―「神奈川県立図書館ならびに音楽堂」前川国男、丹下健三、清家清 業跡―「沼津市防火建築帯の造成行政」松下喜一、小池新二、下出源七
毎日新聞社主催による第三回国際美術展が二〇日から六月一二日まで東京都美術館で開かれ、日本をはじめ、アメリカ、フランス等一二ケ国約六〇〇点の絵画、彫刻が陳列された。なお同社では国際賞「日本国際美術展賞」を新らたに設定、二三日左の通り決定した。 外国部 外務大臣賞―ペリクレ・ファッチニ(彫刻)イタリア 文部大臣賞―カルズー(油絵)フランス 東京都知事賞―ベン・ニコルソン(油絵)イギリス 毎日新聞社賞―ピーター・ルバルダ(油絵)ユーゴスラヴィア 日本部 最優秀賞―脇田和(油絵) 佳作賞―海老原喜之助、村井正誠、高畠達四郎(油絵)福田豊四郎(日本画)
東京都美術館が故佐藤慶太郎の寄附によつて創建されて以来、三〇周年を迎え、五月一一日多数の来賓を招いて盛大な記念祝典及び祝賀会が催された。
ニューヨークのブルックリン美術館で日仏米三国参加による第一八回「国際水彩画ビエンナーレ展」が四日から六月一二日まで開かれ、日本から海老原喜之助、桂ユキ子、草間弥生他二六名七六点の作品が出品された。
ブリヂストン美術館では三日から一五日まで、アメリカ・フィラデルフィア版画協会員二一名の作品、リトグラフ、セリグラフ、木版、エッチング等四〇余点を陳列した。
国立近代美術館では二九日から五月二九日まで「日米抽象美術展」を開催、絵画、彫刻、版画、書等一〇〇余点を陳列、抽象美術に対する親しみを深めた。
中尊寺の宝物収蔵庫「讃衡蔵」は近代科学の粋を集めて完成し、五月三日の落成式に先だつて、二八日から三日間、東北大学教授亀田孜の指揮のもとに一山の各寺堂に散在している宝物の収蔵を行つた。
日本陶磁協会創立一〇周年を記念して宋磁名品展が二六日から五月一日まで高島屋で開催された。宋代諸窯のうちでも特に重要な窯の代表的名作一四一点が選ばれ、米国よりの出品もあり、宋磁の展観としてかつてない優れたものであつた。
現代イタリア美術を代表する一〇作家八一点の作品が、二六日から六月一二日迄神奈川県立近代美術館で展観された。
日本陶磁協会では三〇年度から毎年、その前年の最優秀の新進陶磁作家を二、三名選んで表彰することになつた。今年は数年来の成績も参照し、熊倉順吉、清水卯一、加藤嶺男の三名に決まつた。
戦災でその殆どを焼失した明治神宮は、仮本殿のままであつたが、漸く浄財が一定額に達したので、一八日地鎮祭を行い起工した。なお完成は昭和三五年で、同三四年一〇月には遷宮を行う予定である。
奈良国立博物館では開館六〇周年を迎えるに当り、その記念事業として、また戦前戦後にわたつた法隆寺修理の完成をも記念して、一〇日から五月二〇日まで法隆寺献納御物展を開催し、総数三百数十点中から略一三〇点を展観した。尚同博物館では二八日記念式典を挙行した。
芸術院会員の和田三造、川島理一郎を名誉会員に、旺玄会を脱退した大久保作次郎、吉村芳松他、東光会、創元会等より参加して、七日新世紀美術協会が結成された。