にせものほんもの展

1956年08月

一一日から二三日まで読売新聞社の主催により白木屋で開催、ほんもの、にせものを対照し、かつそれを判別する光学的方法なども併せて展示した。

毎日産業デザイン賞

1956年08月

第二回毎日産業デザイン賞は、次の通り発表され、九月六日授賞式が行われた。 工業デザイン部門─ダットサン、一九五五年一一二型セダン、日産自動車株式会社佐藤章蔵 商業デザイン部門─グラフィック55展、亀倉雄策原弘、河野鷹思、伊藤憲治、大橋正、早川良雄、山城隆一、

陸奥国分寺発掘

1956年08月

昨夏に引続き今年も一日から仙台市にある陸奥国分寺址の発掘調査が行われた。講堂、中門、回廊の発掘を終つて、それらの規模を確認したもので、それと同時に附近一帯にかけてかなり広範囲に条里制の存在が認められることが東北大学伊東信雄から発表された。

四天王寺発掘

1956年07月

文化財保護委員会と大阪府教育委員会では昨年からの継続事業としている四天王寺の発掘を一○日から八月四日まで行つた。南大門址では礼拝石の北に南北の瓦敷の参道を、中門では、東回廊南縁の中門に接する部分に東西に走る瓦積の基壇を発見するなど、重要な事実を明かにした。

日仏具象作家協会結成

1956年06月

寺田春一、矢口洋小野末、他Paul Aizpri, Raymond Gu?rrier, Roger Montan?, ら一九五四年在仏中交友あつた日・仏同志により結成され、各々の伝統を尊重しつつ、生活に基盤をもつレアリテ・ユメインを造型表現に訴えようとするものだと声明している。七月第一回展を開催した。

西洋美術館の基本設計成る

1956年06月

松方コレクション受入れのための西洋美術館建設に関しては、その設計をフランスの建築家ル・コルビュジェに依嘱中のところ、その基本設計が完成し、外務省に送られて来た旨、二九日同省より発表された。

欧米に工業デザイン視察団を派遣

1956年06月

日本生産性本部と通産省産業工芸試験所では、民間デザイン研究所及び会社、地方自治体、産業工芸試験所等の工業デザイナー一三名を欧米に視察のため派遣した。一行は団長に千葉大工学部教授小池新二、副団長に産業工芸試験所意匠部長豊口克平がなり、二六日出発した。

ヴェニス国際美術展の日本館完成

1956年06月

第二八回ビエンナーレ国際美術展の開かれる一六日に先だち、一一日日本館(吉阪隆正設計)の開館式が、日本からの代表委員評論家富永惣一、日本美術家連盟委員長伊原宇三郎、それに日本館建設の民間資金を寄贈した石橋正二郎等が参列して盛大に行われた。日本館はかねてイタリア政府より敷地の提供を申出られていたが、資金面で建設は実現困難であつたが、日本美術家連盟が中心となりヴェニス日本館建設準備委員会(委員長団伊能)等が設けられ熱心な運動がつづけられた。当初賛成を得られなかつた政府からも漸く建設費の一部三○○万円を計上され、不足額二○○○万円の調達は極めて難行だつたが、石橋正二郎がその全額援助を申出たことによりこの実現をみるに至つたものである。

朝鮮古陶磁展

1956年06月

鎌倉近代美術館では二日から七月二九日まで、朝鮮古陶磁展を開催、三○○点に近い作品が年代順に配置され、楽浪、三国時代から李朝に至る朝鮮古陶磁の歴史的概観を示した。

出版文化国際交流会発足

1956年05月

最近出版物に関する世界各国よりの照会、展示会開催の要望が多くなつたので、従来のアジア文化交流出版会を発展的に解消し、新たに出版文化国際交流会(会長下中弥三郎)を結成、三○日その発会式を行つた。

日本美術史展

1956年05月

愛知県立美術館の日本美術史展は前年に引続き第三期(桃山時代─江戸時代)を、二七日から六月二五日まで朝日新聞社の主催で開催した。今回で独自の方式を以て美術作家を系統的に紹介しようという同展覧会の企劃が一応完了したことになる。

アジアアフリカ諸国美術展に参加

1956年05月

七月カイロで開かれたバンドン会議の決議にもとづくエジプト政府主催のアジア・アフリカ諸国美術展に、日本からも参加し、日本画一○名、洋画九名、版画三名、合計二三名の作家各一点ずつと、工芸作家二○名、二○点の作品及び市販品の七宝、食器等が送られ、会場で大いに人気を集めた。

米国建築家の一行来日

1956年05月

アメリカの民間建築家一九名が、日本古典建築の見学に二二日来日した。最近米国での日本建築への関心は強く、初旬に行われたアメリカ建築家大会がきつかけとなり有志が集つたもので、一行は約三週間の予定で、古建築及び最近の和風建築の見学を行い、また日本建築学会等と意見の交換を行つた。

浦上玉堂展

1956年05月

一一日から一六日まで日本経済新聞社の主催により八重洲口大丸で玉堂展を開催した。

シェル美術賞の設定

1956年05月

シェル石油会社は日本の新人美術家奨励のため「シェル美術賞」を設定した。競技の運営及び選考は同社の依嘱により美術評論家連盟が当り、授賞の対象は日本画、洋画、水彩画に限られる。(賞金一等一点一○万円、二等一点五万円、三等四点各一五○○○円)

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