野間仁根

没年月日:1979/12/30
分野:, (洋)

一陽会創立会員の洋画家野間仁根は、12月30日肺炎のため東京港区の慈恵医大付属病院で死去した。享年78。1901(明治34)年2月5日愛媛県越智郡に生まれ、1914年今治中学校に入学、19年母と共に上京し、翌年2月川端画学校に入り、4月東京美術学校西洋画科に入学、25年卒業する。在学中の22年に久遠社、翌年伊東廉らと童顔社を結社、24年には第11回二科展に「静物」が初入選する。28年第15回二科展に「夜の床」など3点を出品し樗牛賞を受け、同年拓榴社に入会、29年第16回二科展に「ぜ・ふうるむうん」(The Full Moon)「友達」を出品し二科賞を授賞、30年二科会々友、33年二科会々員に推挙される。また、31年佐藤春夫作『むさしの少女』の挿絵を描いたのをはじめ、坪田譲治作『風の中の子供』(36年)井伏鱒二作『花の街』(42年)などの新聞連載小説の挿絵にも戦後まで腕をふるった。この間、38年から翌年にかけて臨時召集され中国で兵役につく。戦後も二科に出品を続けたが、55年6月鈴木信太郎らと同会を退会し、7月鈴木、高岡徳太郎ら同志と一陽会を結成し、以後同会の主要作家として没年まで制作発表を続ける。きらびやかな色彩と骨太な筆触でユーモラスで幻想的な画風を築いた。画壇きっての釣り師としても有名で、『香馬先生釣日記』などの著書もある。

年譜
1901 2月5日、愛媛県越智郡に、父野間五恵、母ダイの長男として生まれる。
1907 津倉尋常小学校に入学。
1913 津倉尋常小学校卒業。今治第二高等尋常小学校入学。今治市、伊藤ヨウ方に寄宿。
1914 今治中学校入学。
1915 今中寄宿舎に入る。
1918 今治市中浜町、松の屋旅館に下宿。
1919 12月25日、母と共に上京、下谷区、三村方に寄宿。
1920 2月、本郷春日町、川端画学校に入校。
4月、東京美術学校入学。本郷区台町、三国館に下宿。夏季休暇利用し諏訪、甲州に旅行。9月、本郷区に移る。
1921 10月、塩原温泉に写生旅行。「秋山景色」を描く。
1922 久遠社を結成し美校倶楽部にて第1回展開催。
1923 童顔社を結成、伊東廉、中谷健次、一原五常、山本雅彦(彫刻)、斉藤瑞唆(木彫)後、沢健太郎、水野清入社。「娘と人形」を描く。
10月、大阪に移住1ヶ月。
1924 巣鴨、室谷に下宿。
本郷区浅嘉町松井鉄之助方に下宿。「静物」新光洋画展出品。「静物」中央美術展出品。「庭」光風会展出品。第1回個展開催。童顔社、展覧会開催。
9月、「静物」第11回二科展出品、初入選。
10月、神田竹見屋にて個展開催、約30点出品。谷中天王寺三村に寄宿後、下谷区金杉町192、片岡方借家に移住。
1925 東京美術学校卒業。卒業制作百号「裸婦」。「静物」第6回中央美術展出品。
9月、二科展落選。
10月、片岡方より下谷区、三村方借家に移住。
11月、童顔社展覧会、30点出品。
12月、香川県善通寺町山隊隊に山砲兵として入隊。
1926 11月、山砲兵第11連帯現役満期。
9月、「静物」第13回二科展出品。童顔社展、約20点出品。
1927 下谷区谷中天王寺町34に住む。
9月、「娘と人形」「摘草」など5点、第14回二科展出品。
9月、童顔社解散。
1928 下谷区谷中三崎町18に移る。
1月、拓榴社に入会する。
6月、日本橋丸善にて拓榴社展を開催。
9月、「夜の床」など3点第15回二科展出品、第15回樗牛賞授賞。作品「壺の中のダリヤ」。
1929 1月、紀伊國屋にて展覧会。
拓榴社同人となる。「操り人形四種」「玩具の会話」第10回中央美術展出品。
9月、「ぜ・ふうるむうん」「友達」第16回二科展出品、二科賞受賞。
11月、銀座資生堂の漣洋画展に出品。
11月、拓榴社展に出品。作品「アルルカン」「柿」。
1930 9月、「龍桜」「濤声」「冬夜の歌」第17回二科展出品。二科会友となる。
1931 佐藤春夫作「むさしの少女」に挿絵を描く。
9月「La Promenade de l’artiste」「鴎」第18回二科展出品。アンデパンダン展出品。
1932 9月、「夏の夜の戯れ」「小鳥は楽しく鳴いている」第19回二科展出品。
9月、千駄木、福原平一借家に移住。
12月、津倉にて岡山市都窪郡帯江村、長瀬又七長女、志那子と結婚。
1933 9月、「画室」「睡れる旅人」第20回二科展出品。二科会々員となる。本郷区駒込千駄木町に移る。作品「麦畑と子供」。
1934 1月、長女佳子生まれる。下谷区に移る。銀座画廊にて個展開催。
9月、「魔法の森」第21回二科展出品。作品「かぶと虫と話す牛」「ライオンとかぶと虫」。
1935 長男伝治生まれる。新宿紀伊國屋画廊にて個展開催。
9月、「晩夏交響楽」「海辺」(2点)第22回二科展出品。作品「家族」。
1936 本郷駒込坂下町に移る。
9月、「花園の友人」「鮒と麦の花」など5点第23回二科展出品。
9月、坪田壤治『風の中の子供』(東京朝日新聞夕刊)の挿画連載を始める。作品「夜々の星」「壁」。
1937 二男雅二郎生まれる。銀座日動画廊、銀座ラテン画廊にて個展開催。坪田壌治作「三平チャンと善太君」(大阪朝日新聞夕刊)にて挿絵を書く。9月「夏の淡水魚」第24回二科展出品。
1938 2月、銀座日動画廊にて熊谷守一と共に個展開催。
8月、臨時召集により山砲兵第11連帯に応召、中国へ渡る。
9月、「夏園」「田園」第25回二科展出品。作品「薔薇と雀」
1939 5月、召集解除。日動画廊にて個展開催。約20点出品。銀座三越にて第1回新水彩展開催。「看護婦の散歩」「花と水鳥」「檳榔樹の並木」第26回二科展出品。
1940 1月から千葉県安房郡太海へ、8月伊豆、10月茨城県龍ヶ崎町など写生旅行。
第2回新水彩展、第5回京都市美術展、無涯社第1回展などへ出品。「春の海」「朝陽」春季二科展出品(高島屋)。「花実と白鷺」第27回二科展出品。
5月、日動画廊で個展開催30点余を出品。『童話集』(小川未明著)『童心の花』(坪田壌治著)『愛児煩悩』(舟橋聖一著)の装幀を行う。
1941 4月、妙義山写生旅行。
5月、長野県初谷砿泉に写生旅行。
5月、三男利根生まれる。
6月、日動画廊にて新作油絵展開催。20点余を出品。
7月、大阪三角堂で個展開催。仏印巡回絵画展、洋画10作家新作発表展に出品。
10月、文化奉公会出征画家展に「広東の回想」出品。台東区桜木町に移る。作品「虫と猫」。『井伏鱒二随筆集』の装幀と表紙、扉画、『ドン氏の行列』(太田博也著)の装幀と表紙と扉画を行う。
1942 2月、嵯峨嵯温泉写生旅行。
第2回出征美術家展に出品、火野葦平作「ハタノウタ」に挿絵を書く。
8月、井伏鱒二の小説『花の街』(東京日々新聞朝刊)の挿画連載を始める。
9月、二科展に「越後毛渡沢渓流」「子供勤労」「葛飾の子供」を出品。
1944 1月、愛媛県に疎開。二科展解散。
1945 再建二科会入会。秋の審査に上京。作品「迷宮物語」。三男博生まれる。
1946 9月、「夜釣」「滞船」など6点第31回二科展出品。
1948 9月、「銀河」「夜々の星」など4点第32回二科展出品。作品「魚」
1948 作品「風景」「瀬戸内の海」
1949 作品「田舎の家族」「受胎告知」「処女宮」。
9月、「かっぱと花」「壺の花」など6点第34回二科展出品。
1950 9月「すばる星と金牛宮」「夜曲夜釣」など4点第35回二科展出品。
1951 9月、「魚歌水心」「魚譜」など4点第36回二科展出品。
作品「星座」「海」。
1952 日展改組に審査員として出席、7月上京。
9月、「海の花苑」「川口」など4点第37回二科展出品。
「瀬戸内海・南浦風景」芸大文庫買上げ。毎日新聞連載、石川達三作「青色革命」に挿絵を書く。作品「漁火」
1953 2月頃家族上京。
9月、「漁火」「子供と昆虫」「谷中の森」第38回二科展出品。
作品「漁介」「兄弟と昆虫」「春潮」「嵯峨沢渓流」「房州太海海岸」。
1954 東京の自宅を回収。作品「牡丹」「浜離宮」、「5月の花」国際新美術展出品。
9月、「昆虫」。「街の散歩」など5点第39回二科展出品。
1955 6月、鈴木信太郎らと二科会退会。7月、鈴木、高岡徳太郎らと一陽会結成。9月、日本橋高島屋で第1回展開催、「星座・アンドロメダ」「貝殻」「生物B」「双魚」出品。
1956 日動画廊にて近作展開催。
8月、「森のニンフ」第2回一陽会出品。「メバル」
1957 8月、「渦潮」「裸婦七人」第3回一陽会出品。
1958 野間仁根個展開催。
9月、「水浴」「水辺の物語」第4回一陽会出品。「外房州天面海辺」。
1959 9月「鳥の会話」第5回一陽会出品、「魚と釣師」。
1960 第1回谺会出品。野間仁根新作油絵展。秀作デッサン展。
9月、「ダリア」「疚太風景」第6回一陽展出品。作品「河童の酒宴」「メバルとヨメガサ」。
1961 野間仁根油絵個展を松坂屋で開催。
9月、「聖人文壺のダリア」など3点第7回一陽展出品。作品「蜂」
1962 野間仁根新作油絵展、野間仁根油絵小品展開催。
9月、「浜木綿」など3点第8回一陽展出品。
1963 9月、「漁村の岩山」など3点第9回一陽会出品作品「浜木綿」「星座・琴の二重星」。
1964 9月、「天河」「薔薇」第10回一陽会出品。「春の星座」。
1965 9月、「未来水道」「魚の散歩」第11回一陽会出品。
1966 9月、「吉浦漁村」「天面漁村」第12回一陽会出品。
1967 千代田画廊にて、田崎広助、鈴木信太郎らと「三人展」開催。
9月、「来島水道仲度島付近」「能島水道」第13回一陽会出品。
1968 9月、「瀬戸内海・早川」「瀬戸内海・能島鯛崎」第14回一陽会出品。
1969 9月、「瀬戸内海石槌山遠望」「瀬戸内海早川の景」第15回一陽会出品。
1970 9月、「森の友達」「虫の演奏会」第16回一陽会出品。
1971 9月、「瀬戸内海・仲度島付近」「瀬戸内海漁港」第17回一陽会出品。
作品「メバル」「瀬戸内海・釣魚」「神々の集い」。
1972 9月、「瀬戸内海伯方島遠望」「瀬戸内海南浦の朝」第18回一陽会出品。
作品「露草とカマキリ」「露草とカタツムリ」「山彦」。
1973 9月、「常石の眺望」「森の人々」第19回一陽会出品。「アネモネ」
1974 9月、「天ノ河」「森の友達」「旧作森の物語」第20回一陽会出品。「蟹」。
1975 9月、「森の友達」「虫の演奏会」第21回一陽会出品。「沼の河童」。
1976 9月、「森の猿」「森の妖精」第22回一陽会出品。「水辺の鳥」「森の人々」。
1977 9月、「蛙と猿」「ニンフの午睡」第23回一陽会出品。「外房州天面」。
1978 9月、「マリオネットの散歩」「森のヒッピイ」第24回一陽会出品。「泊港滞船」。
1979 9月「芸術の散歩」「森の楽人」第25回一陽会出品。「富嶽」絶筆「森の鳥たち」。12月30日逝去。78歳。
[本年譜は『野間仁根画集』(昭和55年、三彩新社)所載の「野間仁根年譜」に添削を加えたものである。]

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(302-304頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「野間仁根」『日本美術年鑑』昭和55年版(302-304頁)
例)「野間仁根 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9633.html(閲覧日 2024-10-10)

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