西大寺の総合調査

1961年08月

奈良国立文化財研究所長小林剛守田公夫らは、8月3日から3日間、奈良市西大寺町、西大寺の総合調査を行ない、同寺所蔵の絵画約3百50点のなかから、興正菩薩叡尊画像など画像3幅、板絵浴室本尊羅漢画像など板絵2枚を発見した。

仏海上人の入定墓発掘調査

1961年07月

新潟県村上市肴町の観音寺にある仏海上人の入定墓の発掘調査が、日本ミイラ研究グループと地元の村上市教育委員会の手で、7月17日より1週間行なわれ、ほぼ完全なミイラを木棺とともに発掘した。仏海上人は明治36年に死亡しており、日本で最後の即身仏といわれる人。

山下摩起展

1961年07月

朝日文化賞受賞を記念しての展観で、受賞の対象となった四天王寺五重塔扉絵の原画をはじめ新作を加え約80点が大阪高島屋で4日から9日迄展示された。なお引続き8月に名古屋、福岡、東京の順で展覧会が開かれた。

東京五輪芸術展示特別委員会委員きまる

1961年07月

7月14日、東京オリンピック組織委員会は、芸術展示特別委員会を設け、26氏に委員を委嘱した。26人の氏名は以下の通り。有光次郎有島生馬朝倉文夫浅野長武・花柳寿輔・堀口捨巳・細川護立・市川猿之助・稲田清助・加藤成之・河原春作・岸田日出刀北村西望・久保田万太郎・前田青邨松田権六・成沢金兵衛・信時潔・緒方信一・高橋誠一郎高村豊周富永惣一辻永・山田耕作・山口蓬春山崎覚太郎。なお、20日には院長に細川護立氏が選ばれた。

犬山城解体修理決定

1961年06月

文化財保護委員会では国法犬山城(成瀬正勝氏所有)の解体修理のため2千5百万円の補助を決定、地元負担の1千万円を合せ、文化財保護委員会の指揮のもとに36年度から工事にとりかかることとなった。

新開古墳出土品の復元完成

1961年07月

滋賀県栗太郡栗東町の新開古墳から発掘された出土品百数十点の復元をめざしていた京都国立博物館では、このほどその完成をみ、7月4日から9月3日まで館内に陳列、一般に公開した。

芸術院長に高橋誠一郎再選

1961年06月

日本芸術院では院長の任期満了にともなう改選について会員に書面投票を求め、16日開票した結果、現院長高橋誠一郎の再選が決定した。 同氏の院長就任はこれで連続5期となった。

鎌倉大仏の修理完成

1961年06月

鎌倉市高徳院阿弥陀如来座像(通称鎌倉大仏)の改修工事が2年5ヶ月ぶりで終わり、27日午後、開眼供養が行なわれた。また今回の修理の際、大仏の総重量が124トンあることもわかった。

現代工芸美術家協会設立

1961年06月

日展系工芸家が中心となり、新らたな創作活動を目指してつくられた団体。板谷波山岩田藤七高村豊周山鹿清華を顧問に、山崎覚太郎が委員長となり、役員、会員は、染色、金工、陶磁、硝子、漆工、その他工芸のあらゆる分野の人を含んでいる。日本テレビ、読売新聞社が後援している。事務所は東京都千代田区神田鍛冶町1ノ4

和歌山県慈尊院の秘仏調査

1961年06月

1,000年来の秘仏といわれる和歌山県伊都郡九度山慈尊院の本尊弥勒菩薩座像を文化財保護委員会の技官がが6月8日はじめて三重の扉を開けて調べたところ、金色極彩色の仏像がほとんど完全に近い姿で残されており、9世紀、平安初期の代表的名作であることがわかった。

大原美術館新館落成

1961年05月

大原美術館では本館の傍らに新たに分館を建設中であったが、5月30日竣工公開された。鉄筋コンクリート平家建、設計監理、倉敷レイヨン営繕部 浦松鎮太郎、松村慶三

国立近代美術館増築

1961年05月

国立近代美術館では開館以来二度目の大規模な増築工事に着手したため5月から休館となった。今回の増築工事が完成すれば館の建坪は現在の664坪から500坪増加する。

芸術院定員を120人に

1961年05月

政府は29日の次官会議で日本芸術院の定員をこれまでの100人から120人に増員することにきめ、30日の閣議で正式に決定された。第一部(美術)はこれまでの50人から56人にふえた。

俵屋宗達展

1961年05月

日本経済新聞社の主催する大規模な俵屋宗達展が5月30日から6月11日まで東京・高島屋で開催され、宗達の代表作のほとんど及び宗達派の作品約100点が展観された。

ムンク版画展

1961年05月

ノルウェーの画家エドヴァルト・ムンク(1863~1944)の版画104点がオスロー市立美術館から送られて、5月20日から6月18日まで国立西洋美術館で展示された。わが国では大正時代からムンクの芸術は紹介され、特異な画家として限られた愛好者をもっっていたが、これほど規模の大きな展観は初めてであり、ムンクのペシミスティックな幻想的芸術が広く再認識を求められる貴重な機会を提供した。

鎌倉大仏建造当時の経文など発見

1961年05月

建長2年、北条時頼が鎌倉に大仏をつくたとき奉納した経文約600巻と、比叡山延暦寺の僧覚超直筆の願文(永延3年)とが和泉市の池辺弘方から発見され、22日に京大赤松俊秀教授鑑定の結果、和泉市から文化財保護委員会に文化財指定を申請することとなった。

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