小林剛

没年月日:1969/05/26
分野:, (学)

奈良国立文化財研究所所長の小林剛は、5月26日午前1時40分脳出血のため奈良市の自宅で死去した。6月4日午後2時から同研究所葬が行なわれ、従三位勲三等を賜わった。明治36年10月1日水戸市に生まれ、大正15年3月水戸高等学校文科甲類を卒業し、同年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、日本美術史を専攻した。昭和4年3月同校を卒業し、同年9月、東京帝室博物館美術課に入り鑑査官補となりこの頃から日本彫刻史の本格的研究に専心した。この頃の論文には昭和5年1月の「漆と工芸」344号に発表した「唐招提寺金堂本尊昆盧舎那仏像の作者について」がある。同5年2月には入営したが、11月には除隊となり、同6年1月には、日本美術の宝庫である奈良帝室博物館に転勤した。これより「東洋美術」「美術研究」に多くの論文を発表したが、殊に同8年11月に奈良帝室博物館から発行した「鎌倉彫刻図録」と同9年7月に岩波書店より発行した岩波講座「鎌倉時代の彫刻」はその頃の研究の成果を示すものである。
 昭和10年6月には、再び東京帝室博物館にもどり、11年10月には、欧米に出張、翌12年7月に帰京した。昭和13年には帝室博物館鑑査官となり、これより昭和13年10月に臨時召集によりソ満国境に行くまでの3年間に発表した代表的な論文としては、14年5月発行の画説29にのせた「貞観彫刻の様式に関する一考察」や、同年9月発表の「建築史」1の5所載の「室生寺の貞観彫刻について」、同年8月発行の「考古学雑誌」30の8所載の「白鳳彫刻史論」等がある。単行本としては16年10月地人書館発行の「日本彫刻史」がある。
 その後、大東亜戦争の勃発と共に同氏は再度、召集され、昭和20年10月8日に復員し、国立博物館調査課に勤務した。日本彫刻史の研究も、精力的に行なわれ、21年9月には、「国華」654に、及び655に「東大寺三月堂の研究」を発表し、22年7月には、「御物金銅仏像」の大著を国立博物館から出し、同年12月には、それまで書いた論文をまとめた「日本彫刻史研究」を養徳社から出版した。昭和25年9月には、東京国立博物館より文化財保護委員会保存部美術工芸課に移り、重要文化財の指定や保存の仕事に従事したが、奈良に新たに奈良文化財研究所が出来るに及び、同所の美術工芸研究室長として再び奈良におもむいた。この間発表した代表的論文としては26年3月発行の「仏教芸術」11号に「室町時代に於ける椿井仏所」、26年12月発行の「国華」717号所載の「仏師法印長勢」等があり、27年7月には藤田経世氏と共に、創元社より「日本美術史年表」を編集し、学会に寄与した。昭和28年12月には「日本彫刻史における仏師の研究」により文学博士となり、同36年2月には文化財専門審議会専門委員、同年7月には奈良国立文化財研究所所長となった。この間は最も研究活動の活発な時期で、代表的論文としては、28年3月発行の「大和文華」9号に「仏師法眼院覚」、同年4月には「国華」733、734号に「三条仏師明丹」、同年9月の「大和文華」11号に「円成寺の阿弥陀如来像と大日如来像」、同年10月発行の「大和文化研究」1号には「椿井仏師舜覚房春慶」、同年12月「大和文華」12号には「大仏師法印湛慶」等を発表した。さらに29年12月には、「仏教芸術」23号に「俊乗房重源の肖像について」、30年5月発行の「南都仏教」2号には「東大寺の天平彫刻雑考」、同年12月発行の奈良国立文化財研究所学報3には「国中連公麻呂」、32年3月発行の「仏教芸術」31号には「仏師善円、善慶、善春」、33年11月発行の「国華」800号には「六波羅蜜寺の十一面観音像について」、35年1月発行の「大和文化研究」21号には「東大寺中性院の弥勒菩薩立像」、同年2月発行の奈良国立文化財研究所学報8には「室生寺金堂五仏について」、37年5月発行の「大和文化研究」49号には「興正菩薩叡尊の文殊信仰とその造像」を発表した他、美術全集、日本歴史大辞典、世界大百科事典等の解説等多数執筆した。またこの時期の単行本としては29年9月奈良国立文化財研究所発行の「仏師運慶の研究」、31年3月同所発行の「西大寺叡尊伝記集成」等がある。昭和36年7月には奈良国立文化財研究所所長に就任、その後いくつかの委員を兼務し、文化財行政にたずさわった。すなわち38年11月には奈良国立博物館評議員、43年7月には文化財保存審議会専門調査会臨時専門委員、44年3月には日本万国博覧会協会美術展示委員会委員等がそれである。こうして多忙なうちにも研究活動は続けられた。38年2月には近畿日本叢書の「東大寺」に東大寺の彫刻」を発表、39年8月発行の同叢書「飛鳥」には「飛鳥地方の彫刻」を発表、41年10月「仏教芸術」62号には「西大寺における興正菩薩叡尊の事蹟」、42年5月の「仏教芸術」64号には「唐招提寺金堂の諸尊像」、43年12月発行の「仏教芸術」69号には「唐招提寺の鎌倉復興」を発表した。この間の単行図書としては、37年5月に奈良国立文化財研究所発行の「巧匠安阿弥陀仏快慶」、39年11月に宝山寺より刊行された「宝山湛海伝記史料集成」、40年奈良国立文化財研究所から刊行された「俊乗房重源史料集成」等がある。なお、同氏の研究業績の全貌は「故小林剛先生著作目録稿」として奈良国立文化財研究所有志により昭和44年6月に出版されている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(74-75頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小林剛」『日本美術年鑑』昭和45年版(74-75頁)
例)「小林剛 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9249.html(閲覧日 2024-03-29)

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