有光次郎
読み:ありみつじろう
元文部次官、前日本芸術院長の有光次郎は2月22日午後O時10分、脳こうそくのため東京都東久留米市の老人ホームで死去した。享年91。明治36(1903)年12月15日高知県高知市に生まれる。東京大学法学部を卒業して昭和27年に文部省に入り、戦後の混乱期に教科書局長、47年に文部事務次官に就任。6・3制を定めた教育基本法、学校教育法の起草をめぐりアメリカ側との折衝にあたるなど日本の教育・文化の振興に尽力した。同48年に退官したのち、社会教育協会理事長、映倫委員長、国語審議会会長、日本棋院理事長などを歴任したほか、東京家政大学長、武蔵野美術大学長などもつとめ、同54年から平成2年まで10年余にわたり日本芸術院院長として日本の芸術・文化の振興に尽くした。著書に『宗教行政』『戦後教育と私』『有光次郎日記」などがある。
出 典:『日本美術年鑑』平成8年版(310頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
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例)「有光次郎」『日本美術年鑑』平成8年版(310頁)
例)「有光次郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10711.html(閲覧日 2024-10-07)
例)「有光次郎」『日本美術年鑑』平成8年版(310頁)
例)「有光次郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10711.html(閲覧日 2024-10-07)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1950年07月 文化財保護委員閣議で決る
- 1951年12月 文化財保護委員に内田祥三
- 1961年07月 東京五輪芸術展示特別委員会委員きまる
- 1949年09月 法隆寺国宝保存委員会委員決る
- 1958年09月 文化勲章文化功労者選考委員決定
- 1971年08月 「文化財建造物保存技術協会」発足
- 1979年06月 新日本芸術院長
- 1981年03月 日本芸術院賞決定
- 1981年11月 日本芸術院、新会員を決定
- 1982年02月 日本芸術院賞決定
- 1982年05月 有光芸術院院長を再選
- 1982年11月 日本芸術院新会員決定
- 1983年11月 芸術院新会員決定
- 1984年11月 芸術院新会員
- 1985年03月 第41回日本芸術院賞決定
- 1985年06月 日本芸術院院長再選
- 1985年11月 日本芸術院新会員決定
- 1986年02月 昭和60年度日本芸術院賞決定
- 1986年11月 日本芸術院新会員決定
- 1987年03月 43回日本芸術院賞受賞
- 1987年11月 日本芸術院新会員決定
- 1988年03月 日本芸術院賞決定
- 1988年05月 日本芸術院、有光院長を再選
- 1988年11月 日本芸術院新会員決定
- 1989年03月 日本芸術院賞
- 1989年11月 芸術院新会員決定
- 1990年03月 日本芸術院賞決定
- 1990年05月 日本芸術院新院長に犬丸直就任
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