大高正人

没年月日:2010/08/20
分野:, (建)
読み:おおたかまさと

 建築家の大高正人は、8月20日午後6時35分、老衰のため死去した。享年86。1923(大正12)年9月8日、福島県田村郡三春町に生まれる。44年旧制浦和高等学校を卒業後、東京大学工学部建築学科に入学。47年に卒業後、同大学院に進み、49年修了。同年に前川國男建築設計事務所入所。62年に独立して大高建築設計事務所を設立、同代表取締役。81年から1991(平成3)年まで計画連合代表取締役。60年に東京で開催された世界デザイン会議に向けて川添登を中心に結成された「メタボリズム・グループ」に参加、59年に発表した「海上帯状都市」などの提案を行った。日本建築学会都市計画委員会に62年に設置された人工土地部会での検討にも参加し、その成果は、大高の設計により68年に第1期工事が竣工した「坂出人工土地」として結実した。コンクリートの人工地盤を設けて下部を駐車場と商店街などに利用し、上部に住宅団地とオフィス、歩行者空間を設けるというこの再開発計画は、戦後日本が直面していた都市の諸問題を解決する画期的手法として67年に日本都市計画学会石川賞を受賞した。その後も、原爆によって生じた木造スラムの再開発計画である「広島市基町・長寿園高層アパート」(1972~76年竣工)の設計を手掛け、ここでも人工地盤や屋上庭園といった計画手法や建設コスト削減のための工夫を試みている。これらの実験的計画は結局、経済効率の悪さや法制度との不整合などから一般解とはなりえなかったものの、メタボリズムの建築家たちによる都市計画的提案の大半が構想のみに終わった中で大高の計画が長年をかけて実現に漕ぎつけたことは、その地道な問題解決能力のなせる技であっただろう。一方、単体の建築作品としては公共建築を得意とし、千葉県文化会館(1968年、日本建築学会(作品)賞)や栃木県議会議事堂(1969年、芸術選奨文部大臣賞)、群馬県立歴史博物館(1980年、毎日芸術賞)をはじめとする数多くの建物を設計した。その活動には、他のメタボリストのような派手さこそなかったが、大高の作品から、「坂出人工土地」のほか、「千葉県立中央図書館」(1968年)、「花泉農協会館」(1965年)の計3件が、代表的な現存の近代建築として日本におけるDOCOMOMO150選に選出されていることが示すように、戦後日本の一時代を画した建築家の一人ということができる。中央建築審査会委員(1974~82年)、建築審議会委員(1975~93年)、日本建築学会理事(1976~77年)、都市計画委員会委員長(1980~82年)、日本建築士会連合会副会長(1988~98年)等を歴任。上記以外の主な受賞歴等として、88年紫綬褒章。2000年日本建築学会名誉会員。03年日本建築家協会名誉会員。同年旭日中授章受章など。著作に、川添登と共編による『メタボリズムとメタボリストたち』(美術出版社、2005年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(443-444頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大高正人」『日本美術年鑑』平成23年版(443-444頁)
例)「大高正人 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28503.html(閲覧日 2024-03-29)

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