久保貞次郎

没年月日:1996/10/31
分野:, (評)
読み:くぼさだじろう

 美術評論家で跡見学園短大学長、町田市立国際版画美術館館長をつとめた久保貞次郎は10月31日午前11時30分、心不全のため東京都千代田区の半蔵門病院で死去した。享年87。
 明治42年5月12日、栃木県足利市に、父小此木仲重郎、母ヨシの次男として生まれる。昭和3年4月日本エスペラント学会に入会。同8年東京帝国大学文学部教育学科を卒業して同大大学院に進学する一方、同年4月より一年間、大日本聯合青年団社会教育研究生となる。また、同年11月結婚により久保家の婿養子となり、久保と改姓する。同10年、日本エスペラント学会の九州特派員として九州各地をまわり、宮崎で後に瑛九となる杉田秀夫に出会い、現代美術への興味を深め、以後瑛九を通じてオノサト・トシノブなどの作家たちと交遊を持つにいたった。同13年4月栃木県真岡町小学校校庭に久保講堂が竣工し、その記念事業として児童画展が行われるに伴いその審査員をつとめ、同年8月児童美術ならびに美術の研究のため北アメリカ、ヨーロッパへ渡り翌14年5月に帰国する。同19年秋、真岡に航空会社を設立。戦後の同26年瑛九を中心にデモクラート美術協会が結成されると、会員とはならずに外部から評論家として支援。同27年創造美育協会設立に参加した。評論家、収集家として主に現代版画の振興に尽くし、瑛九のほか、北川民次利根山光人泉茂吉原英雄池田満寿夫、小田㐮、深沢史朗、木村光佑らと交遊が深かった。同41年にはヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表をつとめる。同52年10月跡見学園短期大学学長に就任し、8年間その任にあたった。また、同61年9月から平成5年3月まで町田市立国際版画美術館館長をつとめた。著書に『ブリウゲル』(美術出版社)、『シャガール』(みすず書房)、『児童画の見方』(大日本図書)、『児童美術』(美術出版社)、『子どもの創造力』(黎明書房)、『児童画の世界』(大日本図書)、『ヘンリー・ミラー絵の世界』(叢文社)、『久保貞次郎 美術の世界』全12巻(叢文社)などがある。平成4年6月、町田市立国際版画美術館で「久保貞次郎と芸術家展」が開かれ、その業績が回顧された。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(353-354頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「久保貞次郎」『日本美術年鑑』平成9年版(353-354頁)
例)「久保貞次郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10720.html(閲覧日 2024-04-26)

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