国立近代美術館の建物決定
1952年01月昭和二五年の九月に原案が作られ、二六年度に一億円の予算で建設される予定であつた国立近代美術館は敷地の問題で捗らなかつたが、一五日京橋の日活本社を買上げることに決定した。改装して美術館として使用することになつた。
昭和二五年の九月に原案が作られ、二六年度に一億円の予算で建設される予定であつた国立近代美術館は敷地の問題で捗らなかつたが、一五日京橋の日活本社を買上げることに決定した。改装して美術館として使用することになつた。
「みづゑ」「美術手帖」を発行している美術出版社から月刊雑誌「美術批評」が創刊された。一般的な啓蒙、鑑賞を目的とした雑誌とはちがつて美術界の問題が批評的に取扱われている。
毎年五月パリで開かれるサロン・ド・メエは昨年我が国でも展観され注目を受けたが、今年からその外国部に我が国の作家も出品することとなつた。毎日新聞社の斡旋により一九名の作家の作品が集り、その国内発表展が一〇日から一八日まで日本橋高島屋で開かれた。
大阪在住の工芸家の研究団体として昭和二五年一二月発足した土曜倶楽部は、更に京都からの作家八名を加えて土曜会として一月から新発足をした。工芸の新しい研究と京都大阪の作家の連携親睦を趣旨としている。