平生文相の方針伝へらる 

1936年09月

平生文相は前項藤島武二と会談後新聞記者団に美術行政に関する方針を語つたが、其の意見として報道された所の要点は左の如くである。 「帝国美術院から展覧会を完全に分離して、文展を継続して行ふ。美術行政上に対しては三大原則に依る。即ち一は美術界の元老、功労者の為に帝国美術院を確立して優遇し、諮問機関とする。二は既成作家の為に目下計画中の現代美術館を提供する。三は新人の為の登竜門として文展を継続する。」

文展委員決定 

1936年09月

文部省では今秋の文部省展覧会委員を銓衡決定する為、九月十一日午前十時半から文相官邸に帝国美術院残留会員を招いて打合会を開き、会員各部会に於て銓衡の結果夫々委員候補者合計七十五名を決定、発表した。 其の中第二部、金山平三牧野虎雄川島理一郎藤田嗣治中山巍の五名は当局の勧誘を固辞した為、其の他の七十名を委員とし、九月十八日正式に委嘱した。

藤島武二意見書提出 

1936年09月

帝国美術院会員藤島武二は昨年の帝院改組当時帝展不開催を主張し、去る四月には他の会員等と共に帝国美術院解消若くは帝展廃止意見を提出し、其の後は去る六月四日文相主催の帝院会員懇談会を初め、新文展に関する打合会等にも総て出席せず独り沈黙を守つてゐたが、九月二十五日午後平生文相を官邸に訪問、会見して所見を述べ「帝国美術院改革に関する私見」と云ふ意見書を提出した。其の内容として伝へられる所によれば、「帝国美術院の使命を展覧会開催と混同した所に誤りがあるから、之と離れて帝院本来の使命に帰るべきである。政府が展覧会を開催することは真の美術奨励に適せず、官展は廃すべきである」との意味を説いたものである。

第一部会解散 

1936年09月

第一部会は其の運動の第一目的である同会々員の無鑑査復活が、今次の文展に於いて実現されたので九月五日夕新橋駅東洋軒で総務会を開き同会の解散を決議、十日午後三時半から上野精養軒で最後の総会を開催し正式に解散を決定した。

大阪市立美術館開館 

1936年09月

大阪市立美術館は本年五月一日竣工落成式を挙行し開館記念として帝国美術院展覧会を開いたが常設陳列の準備も整つたので九月十一日から愈々開館の運びに至り、同月中其の記念の特別陳列を行つた。

佐分賞設定 

1936年09月

佐分真の親近の友人の間で故人の志を生かすべく協議中であつたが、佐分家より提供された資金に依り佐分賞を設定し、洋画壇の新進奨励の賞金とすることに決定、九月十六日之を発表した。 賞金は年額一千円として十年継続、年度に最もよい成績を示した新進作家四名以内を選んで毎年四月二十三日故人の忌日に発表授与する。授賞者の銓衡は広く洋画壇から推奨を求め、藤島武二梅原竜三郎安井曽太郎藤田嗣治長谷川昇の五名が委員として決定する。 此の事務一切を処理する為佐分賞委員会が設けられた。委員は、伊藤廉伊原宇三郎福島繁太郎小寺健吉益田義信宮田重雄山喜多二郎太、窪田照三、田口省吾の九名である。

日本南画院解散 

1936年09月

日本南画院では曩に文展不参加の態度を決定、声明したが其の後同人中には文展との絶縁を快しとせず、出品の自由を主張する意見が行はれ、分裂の危機を孕むに至つたので、関西在住の同人は九月五日京都で会合した結果、同院の解散を決議するに至つた。之に基いて東京側同人が集合協議し、主宰者小室翠雲の決断を仰いだ結果、遂に翠雲は同院を解散することに決定し八日左の声明書を発表した。 「我日本南画院は開設以来十有六年の星霜を閲し東洋南画の伝統と時代性の摂取とに因り日本独自の立場において新南画を創設しこゝに新なる日本南画の基礎を樹立し得たるを確信す、然るに向後に於ける団体としての行動に付いては先後両者の立場自ら相背馳するものあり為めに後進の自由を妨ぐる嫌なしとせず此処に鑑みる所ありこの際本院の解体を断行し以て大乗的見地より随意研鑚するの必要を認め敢て解散を声明する所以なり 尚予て発表せる裁藻展覧会は本院の解散に伴ひ開会を中止する事とす 昭和十一年九月八日 日本南画院小室翠雲

環堵画塾解散 

1936年09月

日本南画院を解散した小室翠雲は其の私塾環堵画塾をも解散することとし、九月九日同画塾幹部会を召集して解散の辞を述べ、十日午後二時から在京の塾員一同を集めて解散式を挙げた。

新文展一般出品者大会 

1936年08月

文展に参加出品せんとする光風会、太平洋画会、春台展、白日会の有志は八月七日丸の内マーブルに一般出品者大会を開催、左の檄を決議した。 「過去一年間に亙る帝院改組問題に当面せる我々は今回提示されたる平生文相試案による文展支持を廻る諸問題の経過に鑑み今や更生の意気甚だ烈々捉へ来らんとする因亦清新たり同志相寄りて専心絵画に純粋ならんことを誓ひて感銘する処多大なり、向後は一路製作に邁進其の成果を大方画壇社会に問ふ処あらんことを期す、此処に我等の決意に宣揚し、広く天下同志諸彦に檄となす所以なり 八月七日文展支持各派有志」

オリンピツク芸術競技審査発表 

1936年07月

ベルリンに開かれた第十一回国際オリンピツク大会芸術競技審査の結果は、七月三十日発表された。我が国からの出品は造形美術では絵画六三点、彫刻一一点、建築五点であつたが、内入賞したものは左記の通りであつた。 絵画並に写真 三等 アイスホツケー 藤田隆治 デザイン水彩画 三等 古典競馬 鈴木朱雀 彫刻 褒賞 力士 長谷川義起

文部省美術展覧会規則制定 

1936年08月

文部省では今秋開催することとなつた昭和十一年文部省美術展覧会規則を正式に制定し、同省告示として八月四日の官報で発表した。

久米桂一郎記念像除幕 

1936年07月

東京美術学校内に故久米桂一郎の記念像を建設すべく、予て和田校長を実行委員長とし、故人の友人門下の間で醵金、北村西望の手で胸像を製作中であつたが、愈々完成し、三周忌に当る七月二十七日同校庭で除幕式が行はれた。

春台展有志文展支持声明 

1936年07月

岡田三郎助の研究所関係者より成る春台美術展の有志は、協議の結果七月三十日左の声明書を発し文展支持を明かにした。 「今回現文相の企てたる帝院再改組は美術振興の上に多大なる貢献を齎らさんとするものなるを認め茲に我々は曩の政府展不出品声明を解除し新文展支持を声明す 昭和十一年七月三十日 春台美術有志」

第二部会一般出品者同盟解散 

1936年07月

旧帝展洋画出品者に依り昨年結成されて第二部会を支持してゐた一般出品者同盟では第二部会が文展参加に決定してから、其の態度を非難し文展反対を出張する意見有力となり実行委員と第二部会との間に詰問応答などが行はれてゐたが、態度決定の為七月十九日夜東京府美術館食堂で総会を開いた。其の結果、文展参加と不参加とに意見が岐れ、遂に一致の行動に出づること能はず、実行委員は総辞職し同盟は分裂解散するに至つた。

光風会文展支持声明 

1936年07月

昨年新帝展に対して不出品を声明した光風会では、七月二十一日丸の内マーブルに総会を開き、左の声明を発して新文展を支持する態度を明かにした。 「今次現文相が企てたる帝院の再改組は、前々文相に依つて行はれたる改組の非を認め、全く新しき立場に於て本邦美術の振興に資せんとするの意なりと認む、依つて本会は茲に曩の政府展不出品声明を撤去す 昭和十一年七月二十一日光風会」

新制作派協会結成 

1936年07月

過日第二部会の文展参加の決議に反対して同会を脱退した作家達は、新団体新制作派協会を結成、七月二十五日発会式を挙げ左の声明書を発した。同会の規約に依れば、「一切の政治的工作を拒否し、純粋芸術の責任ある行動に於て新芸術の確立を期し、『反アカデミツク』の芸術精神に於て官展に関与せず、年一回以上の公募展覧会を最も厳格なる芸術的態度に於て開催する」ものである。 「声明書 現下我国美術界紛擾に直面した我々の体験の結果は画家生活に於けるその政治的行動の矛盾を痛感せしめた。今や我々は一切の過去に於ける画壇的情実を断ちきり今後は芸術家相互の信頼の上にその制作行動を純化せしめつゝ我々の芸術精神の意欲にのみ邁進する覚悟である。新制作派協会は斯かる意義の上に立脚し、その展覧会は真の芸術研究並びに純粋なる制作行動の発露であり、制作、行動、発表を正しき芸術家的良心の下に一元的ならしむる事を声明す。 昭和十一年七月二十五日 新制作派協会 猪熊弦一郎伊勢正義脇田和 中西利雄内田巌小磯良平 佐藤敬三田康

旺玄社文展不参加決議 

1936年07月

牧野虎雄を主宰とする洋画団体旺玄社では、文展支持を決定した第二部会の態度に不満を抱いてゐたが、七月十三日夜上野広小路明治製菓で総会を開き、社人社友等集合協議した結果、文展反対を決議、不出品の態度を取ることに決し、翌十四日左の声明書を発した。 「昨夏旺玄社が松田改組による新帝院に対して一般出品者の立場より声明した『従来の機構による官設展覧会の廃止』は、其の後吾々が帝院に対する一貫せる態度である、今回の平生文相に依る再改組なるものは何等昨年の改組と、其の本質に於ても亦機構に於ても異ならず益々吾々の理想と背馳するものである如何にそれが一応立派やかに見えやうとも全く一時的に大衆を欺瞞するもので勿論吾々の支持し得られざるものである。 同時に昨年第二部会設立以来積極的に此れを支持し来たつたのは実に前掲の立場よりなせるもので、此の度一般出品者の誠意を裏切る如き第二部会の態度は実に吾々の遺憾とするところである。 此の度吾が旺玄社は帝展に対する一貫せる態度を表明する為改めて新文展に対して不出品を声明するのである。 昭和十一年七月旺玄社」

ペンクラブ国際大会日本代表 

1936年07月

今秋ブエノスアイレスで開催されるペンクラブ国際大会に、日本ペンクラブ代表として、島崎藤村、有島生馬の両名が出席することとなり、七月十五日横浜出帆の平安丸で出発した。