日本南画院解散 

記事番号:00128
年月:1936年09月

日本南画院では曩に文展不参加の態度を決定、声明したが其の後同人中には文展との絶縁を快しとせず、出品の自由を主張する意見が行はれ、分裂の危機を孕むに至つたので、関西在住の同人は九月五日京都で会合した結果、同院の解散を決議するに至つた。之に基いて東京側同人が集合協議し、主宰者小室翠雲の決断を仰いだ結果、遂に翠雲は同院を解散することに決定し八日左の声明書を発表した。 「我日本南画院は開設以来十有六年の星霜を閲し東洋南画の伝統と時代性の摂取とに因り日本独自の立場において新南画を創設しこゝに新なる日本南画の基礎を樹立し得たるを確信す、然るに向後に於ける団体としての行動に付いては先後両者の立場自ら相背馳するものあり為めに後進の自由を妨ぐる嫌なしとせず此処に鑑みる所ありこの際本院の解体を断行し以て大乗的見地より随意研鑚するの必要を認め敢て解散を声明する所以なり 尚予て発表せる裁藻展覧会は本院の解散に伴ひ開会を中止する事とす 昭和十一年九月八日 日本南画院小室翠雲

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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