小寺健吉
洋画家、日展参与、光風会名誉会員小寺健吉は、9月20日肝臓がんのため東京飯田橋の警察病院で死去した。享年90。俳号村鳥。明治20(1887)年1月8日岐阜県大垣市に生まれる。同39年東京美術学校西洋画科に入学し、長原孝太郎、小林万吾、和田英作、黒田清輝に指導を受け、同44年卒業。翌年光風会第1回展に「日比谷音楽」「花」を出品、以後同展に出品を続け、大正3年第3回展に「女」など4点を出品して今村奨励賞を受賞、同13年会員となった。また、大正2年第7回文展に「秋近く」が初入選、続いて第8回「浅草の夏の真昼」、第9回「水のほとり」で褒賞を受けた。その後も文展、帝展に入選を重ね、大正12年と昭和2年に各々一年余り渡欧。昭和3年、第9回帝展出品作「南欧のある日」で特選を受け、翌年は無鑑査出品、以後推薦となった。同8年光風会評議員となる。以後、光風会、新文展に出品を続けたほか、同15年の紀元2600年奉祝美術展に「細雨」を出品、同18年第6回新文展出品作「山狭」は黒田子爵奨励資金買上となった。戦後は、光風会、日展、美術団体連合展などで制作発表を行い、同25年第6回日展ではじめて審査員(以後5回)をつとめた。同40年「画業50年記念展」(日本橋・三越)を開催する。同45年日展参与となり、同52年文展以来の永年の出品活動に対して日展から顕彰状が贈られた。同年『小寺健吉画集』(日動出版部)が刊行される。初期は後期印象派風のタッチで装飾性の強い画風を示したが、やがて写生画風に転じた。戦後の代表作に「雪の夜明(蔵王)」(第48回光風会展)、「枝柿と花の静物」(第7回新日展)、「青果市場(シンガポール)」(昭和40年)、「陶器造りの庭」(同42年)などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(279頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「小寺健吉」『日本美術年鑑』昭和53年版(279頁)
例)「小寺健吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9682.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「小寺健吉」『日本美術年鑑』昭和53年版(279頁)
例)「小寺健吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9682.html(閲覧日 2024-10-10)
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- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1923(大正12) 大正十二年帝國絵画番付_807086
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
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