三田康

没年月日:1968/02/04
分野:, (洋)
読み:サンタ, ヤスシ*、 Santa, Yasushi*

 新制作協会会員の洋画家、三田康は、2月5日朝、南フランスのニース近郊のカーニュ・スル・メールのホテル・プノンの自室で死去しているのが発見された。検医師によれば、4日午後、心臓発作のために死亡したものと推定された。三田康は、滋賀県大津市で生まれ、大正六年立教中学校を卒業、同年東京美術学校西洋画科に入学、同11年に卒業し、引続いて西洋画科研究科に入り、同14年3月研究科を修了した。美校在学中の大正10年、3回帝展に「裸体」、翌4回帝展「靴をはく少女」が入選した。昭和2年8回帝展「座像」以降、帝展改組まで毎年出品、9回展「室内」、昭和5年11回展「座像」は特選となり、昭和10年第二部会展では「教会の人」で第二部会賞を受けた。昭和11年官展改組にともなって官展から離れ、小磯良平猪熊弦一郎ら同志8名と新制作派協会を創設した。以後、新制作派展(戦後・新制作展)に作品を発表したが、昭和17~18年には、海軍報道班員として南太平洋方面に従軍し、記録画「レンネル沖海戦」を制作、戦後は、新制作展のほか、連合展、秀作展、日本国際美術展(昭和35~39年)にも出品した。昭和42年5月からフランスに滞在制作中のところ急逝した。また、毎日新聞「雑居家族」(壺井栄)、読売新聞「どっこいショ」(遠藤周作)などの新聞小説の挿画を担当して活躍した。
作品略年譜(新制作展出品作)
昭和11年「緑陰」「草上」(1回展) 同12年「森」「高原」(2回) 同13年「空港」「庭」「青衣」(3回) 同14年「緑衣」「I嬢」「工房」(4回) 同15年「鉄棒」(5回) 同16年「攀登棒」「鞦韆」(6回) 同17年「風雲急」(7回) 同18年「兵と征く報道班」「戦友」(8回) 同21年「砂丘」「初秋」「葉蔭」(10回) 同23年「人形の国A・B」「少女」(12回) 同24年「少女A・B」「緑衣」(13回) 同25年「少女」「壁」「砂上」(14回) 同26年「青衣」「画室」「黄衣」「少女」(15回) 同28年「人物A・B」「姪の像」 同30年「バレリーナ」「赤衣」「めい」(19回) 同33年「天文台」「霧笛信号所」(22回) 同35年「踊子」「緑衣」「青衣」(24回) 同40年「廃墟」(29回) 同41年「S神父と少女」(30回)

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(59-60頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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