宮田重雄

没年月日:1971/04/28
分野:, (洋)
読み:ミヤタ, シゲオ*、 Miyata, Shigeo*

 医学博士で国画会会員の洋画家、宮田重雄は、4月28日午後4時45分、ジン硬化症による尿毒症のため東京・田無市の田無病院で死去した。享年70才。宮田重雄は明治33年(1900)10月31日、名古屋市の13代続いた医師の家に生まれ、愛知第一中学をへて慶応大学医学部にすゝみ、大正14年(1925)卒業した。愛知一中時代から伊藤廉らと共に絵を描きはじめ、草土社の画風にひかれ、慶応大学在学中の大正12年(1923)、春陽会第1回展に「横浜風景」が入選した。その後、梅原龍三郎に師事、大正14年国画会洋画部発足と同時に国画会展に出品したが、昭和2年(1927)パリに留学しパスツール研究所で血清研究のかたわら絵を描き、ユトリロ、アンリ・ルッソーの影響をうけ、昭和5年(1930)帰国、国画会展に作品を発表、翌6年会友に推され、また昭和7年医学博士となる。昭和8年中島飛行機製作所田無病院に勤務、昭和13年(1938)、北支派遣軍見習士官の軍医として北中国にいき、大同に駐屯し石仏を描き、帰国後、個展を開催、このときの作品が生涯を通じての代表作となった。この年国画会会員となる。昭和16~17年(1941~42)には満州へ派遣された。戦中・戦後田無病院長をつとめ、戦後は、ラジオ放送「廿の扉」のレギュラーメンバーとなって広く知られ、また、獅子文六の新聞連載小説「自由学校」、「箱根山」、「てんやわんや」、「青春怪談」などの挿絵を担当、その他、日曜画家の集団チャーチル会の主要な指導者であり、俳句、小唄をもよくし多方面に活躍した。著書に「ユトリロ」「フランス近代名画撰」「大同小異」などがある。
作品略年譜
国画会展出品作品-「波止場」「赤坂風景」(昭5・5回)「ヴィリエ・シュル・モラン」(1~2)「ヴィルフランシュ」(1~3)、「ヴィリエのエグリーズ」「ギョームの門(シャルトル)」「長崎風景」他9点(昭6、6回)、「ヴィルフランシュ」「カーニユ、ホテル」「郊外」「掛角」「土場」(昭7、7回)、「少年」「静物」(昭8、8回)、「卓上」「花」(昭9、9回)、「牡丹」「城」(昭10、10回)、「少女」「日蓮崎」「堂ケ島の朝」(昭12、12回)、「松と入江」(昭13、13回)、「雲崗第十一窟」「雲崗石仏」「雲崗石仏頭」(昭15、15回)、「微笑仏(大同)」「遅日」(昭16、16回)、「金堂内陣」(昭18、18回)、「読書」(昭22、21回)、「ボレロの娘」(昭23、22回)、「ミモザ裸婦」「ミモザ卓上」(昭24、23回)、「旅日記」(昭29、28回)、「恩師細谷教授像」(昭30、29回)、「長崎の丘」(昭33、32回)、「ヴエンス海岸通」(昭35、34回)、「焼岳晩秋」「石庭新緑」(昭38、37回)、「山桜」(昭44、43回)

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(81-82頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
以下のデータベースにも「宮田重雄」が含まれます。
to page top