秀作美術展
1966年01月新春恒例の朝日新聞社主催1965年第17回秀作美術展が4日から6日間、日本橋三越で開かれた。この展覧会は同年度(日展からは前年度)1年間に開かれた各展覧会や個展で発表された作品の中から9人の選考委員が優秀作また問題作として選んだもので、日本画、洋画、版画、彫刻77点が出陳された。今回は特に在外作家の作品が数多く選ばれていることが注目された。昭和25年以来連続して開かれたこの展覧会は今回で打ち切られることになった。
新春恒例の朝日新聞社主催1965年第17回秀作美術展が4日から6日間、日本橋三越で開かれた。この展覧会は同年度(日展からは前年度)1年間に開かれた各展覧会や個展で発表された作品の中から9人の選考委員が優秀作また問題作として選んだもので、日本画、洋画、版画、彫刻77点が出陳された。今回は特に在外作家の作品が数多く選ばれていることが注目された。昭和25年以来連続して開かれたこの展覧会は今回で打ち切られることになった。
昭和4年創設以来、文化、社会奉仕、体育の分野で各年度のすぐれた業績に対して贈られてきている朝日賞の40年度(第36回)文化部門の受賞者が決定、朝日新聞社から3日発表された。文化賞は7件で、美術関係では、日本芸術院会員矢代幸雄の「日本美術についての広範な啓発活動につくした業績」に対して贈られた。
昭和40年度第7回毎日芸術賞受賞者が1日発表されたが、今回は美術部門の該当者がなく、ただ関係したもので写真の岩宮武二が、写真集「京」「大和の石仏」(淡交社刊)の業績で受賞した。
かねて話題となつていた国立近代美術館の移転問題について、政府は17日に首相官邸で、石井法相(体協会長)、中村文相、瀬戸山建設相、橋本官房長官が懇談会を開き、皇居北の丸に国立近代美術館を移転新築する計画を内定した。文部省は数年前から移転先を捜していたが、今年4月東京オリンピックの選手村跡が国から東京都に無償貸与された際、文部省と都の間に「選手村跡に国立近代美術館を新築する」ことで了解がついていた。ところがその後、体協関係から横ヤリが出、さらにブリヂストン・タイヤ、石橋正二郎会長から「北の丸に近代美術館を建設するなら、10億円を寄付する」という申し出もあり大蔵当局も北の丸移転に乗り気を示していた。
国会に芸術議員連盟(超党派260余名)が結成されたのは昨年の3月、その初仕事として明春3月20日から1カ月間、ニューヨークのユニオン・カーバイドビルで「日本芸術見本市」を開く運びになつた。その美術部門の国内展示が4日から12日まで東京・京橋の国立近代美術館で開かれた。大蔵省に対して、通産省を通じて請求した予算4千万円のうち、国庫から3千万円、競輪のあがりから1千万円の獲得ができ、さらに財界から1千万円の寄付を仰ぐというもので、今年2月財界をバックに設立された社団法人・国際芸術見本市協会(会長・永野重雄)が主催することになつた。理事長には麻生良方(民社)が就任して顧問の中曽根康弘(自)と共に運営の原動力になるという。出品作品の選定には、河北倫明、富永惣一ら12名からなる選考委員会が設置され、選考一切の権限が当委員会に一任されたので、今回はそこで選ばれた絵画、彫刻、版画、工芸の計44名の作品が出品展示された。
大阪国際空港の南500米ほどの水田跡に工業用排水処理場の建設の際、9月30日になって土器が発見された。調査の結果、この辺りは東西500米南北300米におよぶ弥生時代の集落跡と判明、日本考古学協会らが働き、3ケ月にわたる本格的発掘が始められた。住居は高床式で300戸ほど発見され11月に入るとその集落の周辺には、木棺が数多く出土し注目をあびた。
長野県松代町を中心とする頻発地震によって同町および周辺の文化財を保護する必要にせまられ、31日には同町清寺の重要文化財仏像三?を東京国立博物館へ疎開させるために搬出した。
4日、日光山輪王寺にある、承応4年4月因幡伯耆国守源朝臣光仲が奉納した唐銅製灯籠(重文)が、写真をとってもらうために登った法政大学学生某のために崩壊し破損をうけた。
京都市美術館では秋の特別展として3日より28日まで「京都洋画の発展」展を開催した。明治の初期に設立された京都府画学校に設置された西宗即ち西洋画科の指導者田村宗立ら京都洋画界の先覚からほぼ昭和前期に至る、京都或いは京都縁りの作家が築いた京都洋画の発展ぶりをひろくあとずけ、照明をあてようとしたもので、従来あまりとりあげられなかった企画としてその意義は大きかった。出品は、<明治以前洋風画><明治初期東京系作家><京都洋画の発展>と3部に分け、約85作家、180点の作品を展示して大展観となった。
政府は3日付で秋の叙勲(第4回生存者叙勲)の氏名を発表した。美術部門関係者の氏名は次の通り。勲一等瑞宝章=河原春作(文化財保護委員長)、勲二等瑞宝章=矢代幸雄(芸術院会員)、勲三等旭日中綬章=有島生馬(洋画、芸術院会員)、勲三等瑞宝章=川島理一郎(洋画・芸術院会員)、川村驥山(書・芸術院会員)、斎藤知雄(彫塑・芸術院会員)、山鹿清華(工芸・芸術院会員)、勲四等旭日小綬章=石井双石(書・日展評議員)、川崎小虎(日本画・日展評議員)、榊原紫峰(日本画)、丸尾彰三郎(美術保存)、井上庄七(文化財保護)、尾崎洵盛(陶磁器研究)、南部芳松(重要無形文化財伊勢型紙突彫)
昭和40年度文化勲章並びに文化功労年金受領者10名が29日の閣議で決定した。勲章の授与式は11月3日文化の日に皇居で行なわれ、同4日には文化功労者5名の顕彰式が勲章受章者とともに、東京・虎ノ門の国立教育会館で行なわれた。文化勲章5名のうち美術関係では、洋画の小糸源太郎と日本画の山口蓬春の両名が受章した。
福岡県浮羽郡吉井町の日岡古墳の壁画模写は7月20日よりはじめられ、本月下旬第一次の予定を終了した。日岡古墳の壁画は8面あり、そのうち今度は奥室東側壁の模写を行ったものである。
東京・上野の東京国立博物館に「東洋館」がつくられることになり、21日文部省、文化財保護委員会、建設省など関係者約200人が参列して起工式が行なわれた。「東洋館」は同博物館に保管されているアジア、中近東、太平洋地域の美術工芸品や民俗資料1万数千点を一堂に集めて、常時陳列しようというもの。43年3月完成の予定で、44年春開館の運びとなる。
在外日本人美術家は、パリの菅井汲、浜口陽三、今井俊満、田淵安一、森省一郎、ミラノの吾妻兼治郎、豊福知徳、ニューヨークの岡田謙三、高井貞二、桑山忠祐らと、有力な作家たちの進出がみられ、年々活発に活躍するようになってきた。東京・京橋の国立近代美術館では、特に国家予算を計上して、これら在外作家の作品を招待して「在外日本作家展・ヨーロッパとアメリカ」を15日から11月28日まで開催した。さきに、ヨーロッパへ河北倫明、アメリカへ本間正義の館員を派遣して調査選定した作家、ヨーロッパから27人、アメリカから26人の作品が送られてきた。海外にいる日本の現有勢力を一望させる有意義な催しとして注目された。
わが近代美術の発展に大きな足跡をのこした洋画家、黒田清輝は慶応2年(1866)鹿児島に生れているので、ちようど来年は生誕百年を迎えることになる。あらためて巨匠の功績を讃え遺業を顕彰するため東京・京橋のブリヂストン美術館で12日より11月14日まで、「黒田清輝展―生誕百年記念―」(黒田清輝生誕百年記念会・ブリヂストン美術館・日本経済新聞社主催、東京国立文化財研究所・東京芸術大学後援)を開催した。
去る昭和27年末開館以来、美術ファンに親しまれてきた東京・京橋の国立近代美術館が建物の老朽化、狭隘、災害時の危険などの理由から、他に移転して新しく建て直すことがきまり、文部省では美術・建築の権威者30名から成る移転調査委員会を設け、移転地として代々木のオリンピック選手村跡を有力候補地として本格的準備を進め、また国会議員が超党派で結成している芸術振興議員連盟が5月初めから側画的にその実現への推進をはかっていたが、このほど当初の計画通り代々木移転を実現する態度を決め、8日の閣議で中村文相が移転計画を説明することになった。
昭和40年度の文部省関係の褒章授章者が、8日政府から発表された。学術、文化(スポーツを含む)、芸術部門の功労者に贈られる紫綬褒章25名のうちには美術関係で次の5名が選ばれていた。<陶芸>重要無形文化財保持者・荒川豊蔵、<陶芸>宇野宗太郎(宗甕)、<友禅染>重要無形文化財保持者・木村文二(雨山)、<漆芸>重要無形文化財保持者・高野重人(松山)、<美術評論>坂崎担
近代フランスの偉大な画家、ジョルジュ・ルオーの遺作展(読売新聞社、文部省、国立西洋美術館主催、外務省、フランス文化省、フランス大使館後援)が7日より12月5日まで東京・上野の国立西洋美術館で開かれ、油彩、デッサン、グワッシュなど181点が公開された。さきに読売新聞社はルオーの生前1953年にこの巨匠の代表作展を国立博物館で開き、日本の美術愛好家に深い感銘を与えたが今回は7年前に没したルオーがアトリエにのこした数百点の未完の絵、画稿(遺児イサベラ嬢が、これらをすべてフランス政府に寄付)から選ばれてきたものである。東京展閉会後、引続き12月12日から翌1月23日まで大阪市立美術館で開かれた。
宇部市野外彫刻美術館では1日より31日まで第1回現代日本彫刻展(毎日新聞社、宇部市、日本美術館協議会主催、宇部興産株式会社協賛)を開催した。同展は2年毎に常盤公園の広大な緑地にその年度の秀作を集めて彫刻の現況を展望させようというもので、今回は土方定一、柳原義達、大高正人ら評論家、彫刻家、建築家10名からなる審査選定委員によつて、昨年1年間と今年前半期に発表された作品のなかから選定して招待展の形がとられた。招待作は44作家の50点が選ばれ本会場に展示された。そのなかから審査の結果、大賞(宇部興産賞)が江口週(無所属)の木彫「砂上櫓」に与えられたのをはじめ主催者や協賛者からの8つの賞が与えられ、日本では珍しい大規模な野外彫刻展として注目された。
来年6月に開かれる「第32回ベネチア・ビエンナーレ展」の出品作家がこのほど決まつた。絵画がオノサト・トシノブ、靉嘔の2名、彫刻が篠田守男、版画が池田満寿夫の計4名。これは先に決まつたコミツショナー久保貞次郎が選考したりストにもとづいて、国際美術協議会が正式に決定したものである。