小池新二

没年月日:1981/05/04
分野:, (学)

 元九州芸術工科大学長、元千葉大学教授の小池新二は、5月4日急性呼吸不全のため東京都三鷹市の杏林大付属病院で死去した。享年79。造形理論及び造形史を専門にし、とくに工業意匠の分野で幅広い活動をした小池は、1901(明治34)年11月23日東京に生まれ、東京府立一中、松本高等学校を経て、27(昭和2)年東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業、同年の帝国美術学校創設に関わりのち教授をつとめる。戦前は建築運動に積極的に関与し、建築博物館設立を提唱した他、36年には戦後の建築運動の思想的架橋ともなった日本工作文化連盟結成に加わり理事をつとめ、42年にはアルス社から『汎美計画』を刊行した。また、この間「建築世界」「建築時潮」の編集執筆に携わり、商工省工芸指導所専任技師をつとめる。戦後の48年から翌年にかけて「工芸ニュース」海外新刊紹介欄を担当、マンフォード『人間の条件』、ギーディオン『機械化の支配』などを紹介、また日本貿易博覧会渉外部嘱託、同協会企画専門委員として、横浜博、神戸博等の企画に参与する。50年千葉大学教授に就任し、翌年同大工学部工業意匠学科創設に携わった。54年には『世界の現代建築』『世界の現代住宅』(彰国社)の企画並びに出版に対して日本建築学会賞を受賞する。その後、56年に日本生産性本部第1回米国工業デザイン視察団団長として渡米したのをはじめ、ジャパン・デザイン・ハウス運営委員会委員(59年)、第12回ミラノ・トリエンナーレ展示会現地日本事務局長及び欧州デザイン事情視察日本代表(60年)、通産省工業技術院産業工芸試験所技術顧問などを歴任し、64年文部省産業芸術大学(仮称)設置に関する調査委員となる。67年、千葉大学を退官し、九州芸術工科大学創設準備室長に就任、翌年九州芸術工科大学初代学長となり74年まで在職した。75年からは、79年に開館した福岡市立美術館の設立専門委員となり、同館開館展となったアジア展実行委員会第一部会長もつとめた。この間、65年に『デザイン』を出版、72年に勲二等瑞宝章を受け、また、78年から会津若松市国立大学設置準備委員会専門委員となった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(273-274頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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