小野末
洋学家で安井曽太郎記念会理事の小野末は、1月10日脳血栓のため東京都千代田区の東京警察病院で死去した。享年74。明治43(1910)年4月10日新潟市に生まれる。本名末吉。昭和9年新潟師範学校卒業後上京、安井曽太郎に師事しその内弟子となった。同13年2回一水会展に初入選、同18年7月一水会展で「早春」などで一水会賞を受賞する。戦後の同21年一水会会員となる。同23年10回一水会展に「華街展望」で一水会優賞を受賞。また、同24年一燈園新人賞、同25年第1回アトリエ新人賞を受けた。同26年一水会委員となるが、同47年には一水会を退会した。この間、一水会展、個展の他、現代日本美術展などに出品、同34年には国際具象派協会創立に参画した。同35-38年の間渡欧、同40年には東南アジア、エジプト、ギリシャ、同47、49、50年の三度にわたりメキシコを訪れた。また、同31年に設置された安井曽太郎記念会の運営に携わり、安井賞の評議員、運営委員もつとめた。同53年東京セントラル美術館と梅田近代美術館で回顧展を開催する。同56年、東京、大阪の高島屋で個展「砂漠の歌」を開催、「乾いた湖」「カボルカの砂丘」など大作15点を発表し、翌年この個展により昭和56年度芸術選奨文部大臣賞を受賞した。安井写実主義から出発し、一時フォンタナなどの抽象絵画にもひかれたが再び写実に徹し、自然の厳しい凝視から生まれた緊迫感のある画面をつくりあげた。作品は他に、「闘牛」「岩山」などがある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(246頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「小野末」『日本美術年鑑』昭和61年版(246頁)
例)「小野末 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10097.html(閲覧日 2024-09-20)
例)「小野末」『日本美術年鑑』昭和61年版(246頁)
例)「小野末 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10097.html(閲覧日 2024-09-20)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1950年04月 第一回アトリエ新人賞決定
- 1956年06月 日仏具象作家協会結成
- 1949年12月 一灯賞決る
- 1982年02月 芸術選奨決定