毎日出版文化賞
1956年11月第一○回毎日出版文化賞の一○書が決り、三日同社で贈呈式が行われた。美術関係では日本色彩の文化史的研究に専念する前田千寸著「むらさきくさ」がある。
第一○回毎日出版文化賞の一○書が決り、三日同社で贈呈式が行われた。美術関係では日本色彩の文化史的研究に専念する前田千寸著「むらさきくさ」がある。
通産省の工業標準化運動功労者表彰式が二九日行われ、一五日政府が藍授褒章授与に発令した六名に通産大臣から同章が伝達された。建築関係で、日本都市計画学会々長の内田祥三が選ばれた。
開都五○○年と世界市長合同とを祝つてスカンディナヴィア航空から、ノルウエーのムーセイド作手織壁掛けが二九日都に贈られた。壁掛けは縦一米、横五○糎ほどの極彩毛糸織で、教会の窓外を馬に乗つて散歩する王女の図が織られている。
東京国立博物館では秋の特別展として、仏紀二五○○年を記念する仏教美術展を二五日から一一月二五日まで開催した。点数約一六○点、釈迦、顕教、浄土教、密教、垂迹、仏具等の関係部門に大別して展示され、仏教芸術の全分野にわたる名品が出揃つて壮観であつた。
芸術大学建築科の吉村順三助教授は、建築デザインの進歩に貢献した理由で、ニューヨーク、パーソンズ財団経営になるパーソンズデザイン学校から表彰された。これは同校六○周年記念事業として行われたもので、国際関係四人、国内七人を選び、同助教授は一昨年ニューヨーク近代美術館に寄贈した同館庭に造られた「日本の家」その他の建築デザインが認められたものである。
昭和三一年度、第一五回文化勲章並びに第六回文化功労年金受領者九名が二三日正式に決定し、一一月三日「文化の日」に授賞式が行われた。美術関係では洋画家坂本繁二郎が文化勲章を受領した。
文化財保護委員会では、欧洲各国の希望で日本古美術展を計画中であつたが、来春より三三年にかけ、仏、英、蘭、伊の四ヶ国で開催することに決定した。
本年度文化勲章文化功労者年金受賞者を決める選考委員一○名が二一日決定し、次のとおり発表された。なお従来選考委員の分野が狭すぎるという意見があり、今回は最初の案を再度練り直したもので、委員の層が拡大されている。浅野長武(東京国立博物館長) 岡田辰三(京大教授) 奥井復太郎(慶応義塾々長) 団伊能(元参議院議員) 千葉雄次郎(東大新聞研究所々長) 東畑精一(東大教授) 長尾優(東京医科歯科大学長) 野尻清彦(作家大仏次郎) 畠山一清(発明協会々長) 堀内敬三。
奈良国立博物館で正倉院展が開催されるようになつて第一○回の展観であり、聖武天皇の一二○○年忌にもあたるので、本年は特に記念展として御遺愛品を中心に八八点を選んで、二一日から一一月三日まで展観した。
新築成つた浅草寺天井絵を川端竜子に依嘱中のところ二ヶ月を要して「竜図」を完成し、一八日除幕式が行われた。同図は四間に三間の厚手和紙六枚を張合せ、墨と白群及び金箔を部分的に用いている。
第三回紫綬褒章者一三名が一六日の閣議で決定した。美術関係では、榊本義春―文化財(彫刻類)の保存修理、西川辰之助―文化財(建造物)の保存修理等が選ばれた。
一二、三両日ロンドンで開催される英国産業意匠協議会主催のデザイン会議に、さきに工業デザイン調査団の一員として米国へ派遣された渡辺力が日本を代表して出席した。同会議は戦後欧州に於ける著名なるもので、戦後日本人として初の参加である。
米国オレゴン州の州立美術館では一日から「東西交流展」を開催し、各都市を巡回するが、館長ボールディン・ジャー氏が戦後来日中行動美術会員と親交のあつた関係上、同会の出陳が要請され、絵画八○、彫刻二○点が送られた。なお同展には初代館長ウォーナー博士の東洋美術コレクションも出品される。
京都市が、同市を名実共に国際観光都市とするための財源として、社寺の拝観に課税する観光税(文化観光施設条例案)を設けようとするのに対して、社側は観光税対策本部を設け対抗して来たが、一三日から実施されることとなつた。
一一日未明比叡山延暦寺大講堂西側附近から出火、重文大講堂、同鐘台、食堂、前唐院の四棟を焼失した。尚重文六体を含む仏像、肖像等の彫刻三○数体も同時に焼失した。
第一回グッゲンハイム国際美術賞審査に参加する日本代表の作品が一○日の選考委員会で決り、次の通り発表された。このうち同美術賞の国内賞は脇田和「あらそい」に決定した。 日本画─前田青邨「紅梅」、福田平八郎「雨」、洋画─脇田和「あらそい」「鳥追い」、海老原喜之助「船を造る人」
醍醐寺と毎日新聞社の共催により、九日から一八日まで、渋谷東横で国宝醍醐寺展が開催された。絵画では絵因果経、五重塔板絵、文殊渡海図、五大尊、閻魔天、訶梨帝母等、筆跡では弘法大師大日経開題、月狸毛筆奉献表、後醍醐天皇宸翰等の国宝をはじめ、平安初期から桃山にわたる日本文化の粋を最も多く秘蔵している醍醐寺の寺宝百数十点を公開したものである。
東大藤島亥治郎を主任とする平泉遺跡調査団は九日から二九日まで、毛越寺第三次調査として嘉祥寺跡、法華堂、常行堂跡の発掘に従い又同時に観自在王院跡の発掘も行つた。
メソポタミアを中心に古代遺跡の発掘調査を行う東京大学イラク・イラン遺跡調査団の本隊新、高井両副団長ら一○名は七日出発した。一行は六月先発した江上団長ら五名とテヘランで合流し現地の調査を行う。
日本考古学会仏教遺跡特別委員会では二日から一五日まで、東京都下国分寺町にある武蔵国分寺址の発掘を行つた。約三箇年にわたる継続調査の一環となるもので、今年の発掘により、全国国分寺中でも最大と目される七間四面の金堂の規模が実証され、講堂は二重遺跡であることが判明した。また同時に附近の堅穴住居址も調査を行つた。