團伊能
元東大教授で、美術史のほかにも幅広い活躍をした團伊能は、2月9日心不全に肺感染症を併発し、神奈川県横須賀市民病院で死去した。享年80歳。号疎林庵。宗鳥。明治25年2月21日福岡県大牟田市に團琢磨の長男として生れ、大正6年7月東京帝国大学文学部を卒業した。翌7年3月、宮内省嘱託として海外に留学、同10年8月帰国した。同年11月欧米視察実業団随員として外遊、翌年5月帰国した。大正12年4月東京帝国大学講師となり、美術史を講じ、昭和3年助教授となった。昭和8年5月同職を退官し、国際文化振興会に入り常務理事となった。その後、昭和13年にはパリ万国博覧会理事として渡仏し、また同15年にはニューヨーク万国博覧会日本事務総長として渡米した。戦後は、昭和21年5月貴族院議員、翌年引続き参議院議員となり、厚生政務次官をつとめた。同25年参議院議員再選となり、同年冨士精密工業KKの社長となった。そのほか、日本美術協会々長(29年)、国際文化振興会副会長(30年)、ブリジストンタイヤKK取締役、プリンス自動車会社々長、九州朝日放送会社々長を歴任した。勲二等瑞宝章、スエーデン勲二等。仏オフシエアカデミー章(昭3)、ニューヨーク名誉市民。イタリー・グランド・オフシエ勲章等受領(昭6)。著書―「伊太利美術紀行」(大正13年)、「概観欧洲芸術史」(昭和7年)。
出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(242頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「團伊能」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(242頁)
例)「團伊能 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9473.html(閲覧日 2024-12-13)
例)「團伊能」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(242頁)
例)「團伊能 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9473.html(閲覧日 2024-12-13)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1937年02月 日伊学会創立
- 1951年07月 近代美術館設立委員決る
- 1956年06月 ヴェニス国際美術展の日本館完成
- 1956年10月 文化勲章選考委員決定
- 1940年02月 東洋美術国際研究会の設立
- 1942年01月 近代美術館建設協議会
- 1957年09月 文化勲章並びに文化功労者年金受賞者(三二年度)選考委員決まる
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