杉本哲郎

没年月日:1985/03/20
分野:, (日)
読み:スギモト, テツオ*、 Sugimoto, Tetsuo*

 日本画家杉本哲郎は、3月20日午前8時14分、急性呼吸不全のため京都市山科区の音羽病院で死去した。享年85。明治32(1899)年5月25日滋賀県大津市に生まれ、初め隣家の山田翠谷に絵の手ほどきを受ける。大正2年山元春挙の画塾早苗会に入塾、また同年京都市立美術工芸学校3年から京都市立絵画専門学校に入学し、同9年卒業する。11年第4回帝展に「近江富士」が初入選。翌年研究会白光社を結成し、これを機に早苗会を離れる。東洋古美術の研究を志し、同12年朝鮮、満州、中国を旅行。昭和10年には仏教美術の研究に着手し、高楠順次郎、松本文三郎に学ぶ。12年外務省文化事業部嘱託としてインドのアジャンタ洞窟壁画の模写に従事し、翌年セイロンのシーギリヤ岩崖壁画を模写、15年には満州史跡調査員としてモンゴルのワーリン・マンハ慶陵壁画模写に従事する。18年東本願寺南方仏教美術調査隊としてインド、クメール、タイ、スマトラ、ジャワなどの仏教美術を調査、26年インド・シャンチニケータン大学客員教授として教鞭をとる。44年東本願寺津村別院壁画「無明と寂光」を完成後、同年福岡市メシア教本部から万教帰一の壁画「世界十大宗教」壁画の制作を依頼される。仏教より制作に着手し、46年ネパールからイラン、トルコ、イスラエルなど各地を巡り、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを研究取材。12年をかけて制作を続け、53年十大宗教壁画の中心となる「神々の座-ヒマラヤ」を完成。すべてのシリーズを終えた。この間51年ブラジルより国際文化勲章(メーダラ・デ・メリート・インチグラシオ・ナショナール」を受章、59年京都市文化功労者となった。著書に『杉本哲郎画集及び画論』(昭和9年 東京アトリエ社)『私の幼少年代』(38年京都白川書院)『こころの風景』(44年初音書房)などがある。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(249-250頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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