ミシガン大学「石濤展」に重文の石濤画参加
1967年08月ミシガン大学は創立150周年を記念して東洋学者会議を開催し、その際「石濤展」を中心とする東洋美術の展観を行った。日本からは住友家の、盧山観瀑図及び黄山八勝図冊(共に重文)の2点のほか数点が出品され、米沢嘉圃、鈴木敬両氏が記念講演を行なった。
ミシガン大学は創立150周年を記念して東洋学者会議を開催し、その際「石濤展」を中心とする東洋美術の展観を行った。日本からは住友家の、盧山観瀑図及び黄山八勝図冊(共に重文)の2点のほか数点が出品され、米沢嘉圃、鈴木敬両氏が記念講演を行なった。
過去1年間、最も活動し、注目を集めた作家を選んで、その作品を展示する、京都国立近代美術館の企画展で、広く新人作家を選出し、現代美術の新しい認識を意図する展覧会である。
毎日新聞社主催で東京を初め名古屋、大阪、静岡、福岡の各地で開かれた。東京は上野松坂屋を会場に8日から20日まで開催され、油絵57点、彫刻6点、リトグラフ12点が出品され、英・仏の画廊、蒐集家から作品が集められた。
秋田県鷹巣町胡桃館で平安中期の豪族の居館跡と推測される三棟の建物と棚が発掘された。なおこの付近には建築部材の出土するところがあり、更に何棟かの埋没家屋の存在が予想されている。
将来を期待されながら昭和19年、43歳で逝去した官展系作家野口謙蔵の遺作展が18年ぶりで開かれ、全作品304点を収録したカタログも出版された。初期のフォーヴ風の作品から、郷土、滋賀県琵琶湖畔の風土と生活に至純の慕情をささげた南画風の後期作品まで、約60点が銀座、彩壷堂で展示された。
7月24日午前9時ごろ、厳島神社祓殿の檜皮葺の屋根が燃えているのを発見、すぐ消火されたが、消火作業の際、屋根の一部が破損された。
富山県上市町の日石寺不動堂が7月23日全焼した。不動堂は解体修理中であったが、この火災で損焼をまぬかれた旧部材は僅少であった。
山種美術館開館1周年記念特別展として大観展が開かれた。前期展(7月21日―27日)と後期展(8月1日―27日)と2回に分け総出品数約80点、大観の画業を回顧するにふさわしい数年ぶりの大回顧展であった。
東京都台東区谷中の岡倉天心旧宅跡が区立岡倉天心記念公園として開放されることになり12月開園式が行なわれた。東隅に六角堂を模した天心史跡記念堂がつくられ、平櫛田中による、天心の上半身像(約1米)が納められる。
日本芸術院では23日の総会で院長選挙を行ない現院長、高橋誠一郎を再選した。
画業40年を回顧し、1926年作から近作まで約80点を陳列、6月16日から銀座松屋で開いた。
6月2日、衆院文教委員会で、芸術院会員の選考法、各部定員の不均衡、或は写真、華道その他へ門戸を拡げよなどの発言があり、更に7月には芸術議員連盟の有志代議士と芸術院会員有志(中曽根康弘、麻生良方、北村西望、川端康成、宮本三郎ら12人)が懇談会を開き、今後も討議を重ねることとなった。
国立近代美術館京都分館が京都国立近代美術館として昇格、独立したのを記念しての展観で、伝統的日本画の再認識を促す企画展であった。
国立近代美術館京都分館は1日から独立、京都国立近代美術館(館長今泉篤男)として発足した。
文化財保護委員会美術工芸課が中心となって行なっていた四国八十八箇所文化財総合調査は、高知県を最後に4カ年にわたる作業を終了した。
39年3月より東京国立文化財研究所保存科学部において修理が進められていた金色堂内陣部材の漆芸部門の修理が終了したのを記念し、東京国立博物館でこれら部材の特別展観が行なわれた。
明治以降、小林清親から現代までの創作版画の歴史的展望を試みた展観で、国立近代美術館では初めての企画であった。石井柏亭、坂本繁二郎、万鉄五郎等洋画家の手になる版画も含め280余点が5月20日から6月18日まで展示された。
毎日新聞社、日本国際美術振興会主催、5月10日から30日まで東京都美術館で開催。参加17カ国、280余作家480余点の出品で、特別陳列としてホアン・ミロとジャコメッティの版画50点を展示した。
昨秋逝去した河井寛次郎の遺作展が、日本民芸館、大原美術館、毎日新聞社の主催で2日から7日迄日本橋高島屋で開かれた。50余年の陶業を回顧する、代表作約200点の他、京都河井家の内部を会場に再現する他、彼の蒐集した民芸品も陳列され、河井芸術の全ぼうをよく伝えた。
旧橋本関雪の自宅並びに庭園を開放、美術館として関雪の東西に亘る美術コレクションを中心に随時特別展を開くことになった。第1回は記念展としてギリシヤ陶芸展を29日から開催した。