安井賞

1970年03月

第13回安井曽太郎賞(財団法人安井曽太郎記念会、毎日新聞社主催)の選考委員会は、4日東京・上野の日本美術協会会館で開かれ、安井賞に藤田吉香(国画会会員)の「春木萬華」が決まり、今回から加えられた佳作賞には市川正三(三軌会会友)の「無言譜」が選ばれた。受賞作を含む64作家70点の作品は6日から17日まで池袋西武百貨店で開催の安井賞展に展示された。

広隆寺境内の発掘調査

1970年03月

京都市のバイパス建設工事に先立ち平安博物館が広隆寺境内の発掘調査を行っているが、2日までに日本書紀の記述の通り現在の広隆寺の境内に蜂岡寺が実在したことが確認された。

国宝浄楽寺本堂、破損

1970年02月

滋賀県甲賀郡の浄楽寺は国宝の本堂と三重塔とがアオゲラ(キツツキ科)に荒らされ、支輪の部分に穴を開けられた個所が見つかった。アオゲラは保護鳥なので捕獲せず、建物の周囲に網を張って被害の拡大を防ぐこととした。

天台の秘宝展

1970年02月

最澄の1150年忌を機に14日から3月3日まで新宿の小田急百貨店に於いて延暦寺を始め全国の天台宗寺院・博物館から100余点の寺宝を集めて開催された。

ピカソ近代版画展

1970年02月

パプロ・ピカソの新作版画をあつめた「ピカソ近作版画展」(東京国立近代美術館、毎日新聞社主催)が、7日から3月15日まで東京国立近代美術館で開催された。前年欧米各地で開かれ国際的な話題をまいた版画展で、’68年3月から10月にわたっての精力的な製作ぶりを示し、エロチカルな日記風につづられた版画347点のうちの256点を展示、エッチング、ドライポイント、アクアティントなどさまざまな版画の技法を試みた作品群は、版画家や愛好家の関心をあつめた。

建築家丹下健三に法王庁から勲章

1970年02月

丹下健三東大教授にローマ法王庁から「サン・グレゴリオ・マンニャ勲章」が授与されることになり、本月初旬、駐日ローマ法王庁大使館から連絡があった。東京・文京区の東京カテドラル(昭和39年完成)を設計したのが授章の理由で、16日に同大使館で伝達式が行なわれた。因みに同勲章はローマ法王庁の最高勲章で、日本人としては4人目の受章者となった。なお同教授は「日本の都市を変化させた業績」に対して、18日香港大学から名誉学位を贈られた。

第2回新潮芸術大賞

1970年01月

文芸・美術の分野でのすぐれた業績をあげた作家に贈られる第2回新潮芸術大賞は、今回芸術部門の授賞者として、ここ2、3年来の業績が高く評価された日本画家日展理事高山辰雄が選ばれた。26日、東京・帝国ホテルで授賞式が行なわれた。

文化庁買上げ作品

1970年01月

文化庁では美術団体展、個展などの発表作の中から毎年その年度の優秀作品の買上げを行なっているが、昭和44年度の買上げ作品が下記の通り決まり、21日発表された。 日本画―「碇と少年」加倉井和夫(日展会員)、「青の時」下田義寛(院展特待)、「ロマネスクの祭壇」大森運夫(新制作協友) 洋画―「外輪山」田村一男(日展理事)、「驚く可き風景B」猪熊弦一郎(新制作会員)、「画家の家族」北川民次(二科副会長)、「町・トレド」藤田吉香(国画会員) 彫刻―「鳥の季節」水船六洲(日展評議員)

埋蔵文化財の破壊の現状についての報告

1970年01月

日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策特別委員会は全国の埋蔵文化財が開発事業などで破壊されてゆく埋蔵文化財の実態を、昭和40年より調査して来たが、この程その調査結果の大要をまとめ「埋蔵文化財破壊の現状」と題する資料を発表した。それによると、埋蔵文化財は予想以上に激しい勢いで壊わされつつあり、調査をせぬうちに破壊され文化財としての価値を失った遺跡の数は地元の研究者が確認しただけでも5年間で1000件を越えている。(8日)

「世界の歌麿」展

1970年01月

4日から20日まで新宿小田急百貨店において歌麿の作品300余点を集めて行なわれた。ギメ美術館、ホノルル美術館、リードバーグ美術館など外国からの出品も50余点を数えた。

毎日芸術賞

1970年01月

第11回毎日芸術賞(昭和44年度)の受賞者が1日附毎日新聞紙上で発表されたが、美術関係では、芸術大賞に板画家・棟方志功(「板画大柵」と板芸業40年記念「棟方志功障壁画展」の成果)と芸術賞に建築家・白井晟一(「親和銀行本店」の設計)がきまり、16日、東京一ツ橋のパレスサイドビルで表彰式が行なわれた。

ラングレ著「油彩画の技術」邦訳にクローデル賞

1969年12月

日仏文化交流につくしたフランスの詩人、劇作家ポール・クローデル(元駐日大使)を記念し、フランス語著作物のすぐれた邦訳に贈られる第4回クローデル賞(毎日新聞社、日仏文化会館主催)は、このほど選考委員会の審査の結果、黒江光彦(国立西洋美術館勤務)訳のグザヴィエ・ド・ラングレ著「油彩画の技術」(美術出版社刊)に決定した。この賞は、訳者に1ケ月間フランス旅行の特典が与えられる。贈呈式は明春2月上旬、毎日新聞東京本社で行なわれる。 

第4回日本芸術祭国内展示

1969年12月

日本現代美術を海外に紹介、あわせてその市場を開拓する―との趣旨ではじめられた国際芸術見本市協会主催の「日本芸術祭」は、これまでアメリカとメキシコで開催されてきたが、4回目を迎え、初めてヨーロッパに進出、来春3~4月にパリのチェルヌスキー美術館で開かれることになった。その国内披露が6日から14日まで「第4回日本芸術祭国内展示」として東京国立近代美術館で開かれた。今回は公募一本にしぼったのが特徴で、応募作は国内はもとより、海外在住の日本人作家からも寄せられ、総計1,096点にも達した。その中から今春審査が行なわれ、平面38点、立体18点、版画20点が入選。授賞作として、JAFA大賞に靉嘔の「6 RAINBOW CLOCKS」、楢葉雍の「METAMORPHOSE 1969―5」の両立体作品が推され、浅井昭「分化のスリーベルトA・A」ら4点の平面作に優秀賞が与えられた。

苔庭の庭園、猪に荒さる

1969年12月

特別名勝史跡に指定されている京都西芳寺(苔寺)の庭園に夜間、猪が出没し、名物の苔をかきむしり、庭師の手入が追いつかないほどに庭園を痛めつけた(2日)。

芸術院新会員決定

1969年11月

日本芸術院は、24日会員欠員補充選挙の開票を行ない、新会員に第一部美術部門では、井手宣通(洋画)、大内青圃(彫塑)、西川寧(書)の3名が内定、12月15日付で正式に任命された。

改組第1回日展開幕

1969年11月

過3月下旬総会を開き画期的な機構改革と、これに伴う人事の若返りを断行した社団法人「日展」が、本年度第12回日展を改組第1回日展と銘打って、新陣容のもとに1日より12月6日まで例年通り都美術館で改新初の展覧会を開幕した。ところで“日展粉砕”を目標に実力行動を起そうとする美術家共闘会議、反戦美術家共闘委の造反学生たちの動きに対して、前月13日からはじまった作品搬入、審査日以来、異例の警戒体制を強化してきたが、開会初日の彫塑会場で一部混乱をまねいただけで会期中殆んど無事に終った。

京都で野外造形’69展

1969年10月

京都では初の試み「野外造形’69」展(野外造形’69実行委員会・京都新聞社主催)が20日から11月30日まで、鴨川の西岸、北は荒神橋から南は丸太町大橋まで約9千平方メートルの府立鴨川公園をメーン会場に当てて開かれた。京都をはじめ全国で活躍中の新進先鋭作家たち約80人が参画してそれぞれ思い思いの造形意欲を発散させて競い合った。

18世紀フランス美術展

1969年10月

国立西洋美術館では開館10周年を記念して館開設に縁の深いフランスの18世紀美術展を18日より12月14日まで開催した。出品作品は、ワトー、ブーシェ、フラゴナールなどの絵画42点、ウードンなどの彫刻15点、デッサン21点、建築彫刻装飾デッサン26点、版画16点、豪華装幀本12点、家具6点、室内装飾ブロンズ5点、金工品5点、陶磁器11点、タピスリー、衣裳9点、その他の工芸品7点で、建築物の写真パネルを援用しながら、ロココ美術の多分に貴族的な生活を背景とする綜合的性格の再現を試みた興味深い展覧会であった。

文化勲章功労者決定

1969年10月

44年度の文化勲章と文化功労者が21日の閣議で内定した。4人の文化勲章受賞者のうち美術関係者は、日本画の東山魁夷(本名新吉)。6人の文化功労者のうちでは染織工芸の山鹿清華(本名健吉)。文化勲章の伝達式は11月3日皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京・虎の門の国立教育会館で行なわれた。

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